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図画の時間

「これだと おかあさんがしんでしまうわよ」

本当にそんな言い方だったかどうかは 忘れたけれど

そうじ機をかける「おかあさんの絵」の背景の真っ赤な色について

その先生は私に言った。小学1年生の時だ。


何でまたバックを赤で塗ったのか今思うと不思議でもある。

先生の言葉で、まさか本気で「おかあさんが死ぬ」と思ったとも思えないが、私は泣いた、と記憶している。泣き虫で生真面目で…それより、先の写生会で描いた白鳥の絵で 何だったかの賞を貰ったこともあり、絵にちょっと自信もあったのだ。

担任の先生はおばちゃん先生で、よく先生の机で居眠りをしていた。母たちは、赤ちゃんを産んで復帰すぐとかで、色々疲れてるんだろう、でもねぇ…と ちょっと迷惑そうに噂していた。

以前は高学年を受け持っていた「ベテラン」だと聞いていたので、高齢出産だったのかもしれない。でも、子供たちが感じたよりは若かったのかもしれないな、とも今は思う。

高学年相手の言葉が ぽろっと1年生に向けて出てしまったのかもしれない。

先生と私の関係は別段悪くもならなかったけれど、それ以外にこの先生について思い出すことは無い。2学年ごとにクラス替えをする学校で、担任も持ち上がりのこともあるが、2年生の時の担任は面白い男の先生になった。

ちょっと悪さをしたら「ケツバット!」と言って おしりをバットでポーンと叩かれた。懇談では母に私のことを、お母さんが思うほど、学校では「真面目な大人しい子」じゃないと言い、母を驚かした。この先生も、母たちにはあまり評判のいい先生じゃなかったようだ。

だけど読み聞かせてくれた「ちいさいモモちゃん」は今でも大好きだし、わらびの太郎が目を覚ます「はるですよ」の歌や、面白がってみんな喧嘩腰で歌う「こんめえ馬」は楽しかった。オルガン伴奏の和音はほとんど同じのが続いて、たまに変わる。メロディに合っていたかどうかはかなり怪しい。

あれれ、1年の先生の思い出を書きたかったのに、2年のおとこ先生の話に持って行かれてしまった。

昔も今もおかあさんたちが全て納得する先生はなかなかいない。っていうか

納得するようなお母さんもなかなかいないのだ。

先生って大変なんだよね、と子供が学校を卒業し、自分も「○○ちゃんのお母さん」を終えた今、しみじみ思う。



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