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ああ、冬が来た。

ああ、冬が来た。


そう実感するシーンはある。

なんで冬…?と思われるかもしれないが、私は南半球オーストラリアに住んでいる。なので、これからがっつり冬に突入するのだ。槇原敬之さんの曲が近ごろヘビロテだ。

冬といえばなんだろう。日本の冬は、お正月やら重なって、みかんだとか、雪だるまだとか、こたつだとか、そういうイメージがある。

オーストラリアはどうだろう。典型的な冬のスポーツはAFLというオーストラリア特有のフットボール。私の前の旦那のひいおじいさんがプレイヤーだったということを除いてはそれ以外の知識はない。唯一知っていることとすれば、審判が、ゴールが入るごとに 「ゲッツ!」みたいなポーズをまじめにやることだ。 本当にそれ以外知らない。

さて、話を戻そう。

私の住んでいる地域は、メルボルンの東南の方角にある。そして、もっとローカルな話をすると、そこにいつも肩を怒らせていそいそと歩いているおじさんがいる。彼は、目をぎょろっとさせて、ソフトモヒカン。いつも、少し速足で道を行ったり来たりしている。そわそわ、というよりも目的があって歩いているのだが目的が見当たらないのでとにかく歩かなければ、といった感じだ。なので、道の端から端まで歩いて、時々知り合いに「おぅ」といった軽い挨拶をした後は、再び反対側の道へ移動し、速足を継続させる。

なので、結構健康なのかもしれない。そして、いつも上半身は何も身に着けていないのだ。着るものがないというより、ポリシーに近い感じで歩いている。

毎日見るわけではないが、よく歩いているので見かけると、ああ、今日も速足だな、と目に留まるようになった。挨拶はしない。


このロックダウンでしばらく見なくなった。思い出しもしない。

ある時、買い物をしなければならず、近所に出向いた。

久しぶりに見たそのおじさんは、いつも裸だったはずなのに、黄色いジャンパーを着ていた。ああ、彼も寒いんだ。そういや、冷えてきたな最近。なんだ、もう冬だ。

そんな感じで私は今年の冬を体感した。

ここから学んだことは、人は、いろんなところで役にたっていて、それは無意識に自分の人生を送っていることで成り立っている事象なのかもしれないということだ。そういうことを考えると、自分がのほほんとして生きていることだって、そんなに悪くないな、と思える。



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