なずなお

上向いて(主に)生きてる。体験が点だとしたら、その続きを、まるで物語を読むように小川に替える。 くるっとまわって、次の景色へ。

なずなお

上向いて(主に)生きてる。体験が点だとしたら、その続きを、まるで物語を読むように小川に替える。 くるっとまわって、次の景色へ。

最近の記事

やさしさのかけら。

持っている、もっている。 わたしたちはみんな。 存在する、存在する。 全てのものに。 変幻自在なそのものは、全てのものにいきづいている。 ただ。 形が違う。 大きさが違う。 見え方が違う。 とらえ方が違う。 現れ方が違う。 何億年もの間、それはあり続けている。 触れたいのか、触れたくないのか。 静かな夜に願う。 あなたも感じていますように。 わたしもあり続けられますように。 光を放つ月が、私のコトバをひろっていってくれる。 そしてまた、明日が

    • ピンクとターコイズのパステルの中で

      私はシングルマザーだ。 私は子どもが四人いる。 私はオーストラリアに住んでいる。 こうやって情報を足していくと、読み手が”わたし”というものを客観的にデザインしていく。 日本は文化の日。メルボルンではメルボルンカップという、毎年行われる競馬の日で、祝日だったのだ。 子どもを連れてどこかに行こう、と決意してから出かけるまで昼ご飯や晩御飯の準備、片付け、しつけ、自分との体力との向き合いやバランスのとり方などを考えて海へと向かう。 海は広くただそこにいてるだけなのだ。

      • 愛についての考察

        愛するということは、自然なことだと感じます。 愛せないんだ、とか、 愛なんて!ってかんじるひとほど 強く愛の大切さを感じたかったりするんじゃないかな。 愛はだれにでもあって、そこへいろんなものがつみかさなって、閉じたりして見えにくくなっている。 でも、みんなにあることを知っている。 そこと私は繋がる決意をする。 毎日、毎朝忘れないように。 ただ、それだけ。 それを思い出させてくれる人たちに感謝したい。あい

        • 雲が流れるということ。私たちは。

          空を見上げていた。 雲が動いてく。 形が変わり、色が変わり、やがて消えたと思えば濃い白になってゆく。 そこから再びどこからともなく現れた雲もまた 同じように流れては消え、再び形を変えて現れる。 普遍性と言う名の永遠。 私達もきっと同じように生きている。 あの木も、そこの水の流れのように。 そこに優劣や順位をつけているのは誰だろう。 そしてそこに息苦しさを感じているのは誰だろう。そして、そういう事実を責めて苦しんでいるのは誰なんだろう。 感じることを、感じられる

          人の役に立つということ

          今日はアートセラピーの学校の日でした。私のクラスにはいろんな人生、経験、いいことも悪いこともたくさん経験したからこそ、アートセラピーを学びたいという人たちが集まって、いつも刺激をもらったり、励まし合ったりしています。 今日はビーチで砂遊びの課題。 向き合うことが難しいテーマを個々受け取りながら、やってみたり、観察したり。 いつもたくさんクラスに貢献してくれてる人が、 「今日はあんまり役に立たなかった。時間を無駄にしてしまった」といいました。 わたしは彼女に会えてうれしかっ

          人の役に立つということ

          神様っていると思いますか?

          私母方が仏教系、父方がクリスチャンです。 なかよくなったおともだちはみんななんかの宗教をやっていて、みんないい子達だった。でもみんな宗教は違った。 完全に宗教や見えない世界を信じてない人たちもたくさん素晴らしい人たちがいて、私はなにかに決めなくてはいけないことをやめた。 昔は、神様って思うと、自分の中だけの誰にもわからないイメージがあってなんだかそれが大事だった。 今は、イメージは覚えているけどなんだか感覚のほうがしっくりくる。 そんな私の神様は名前がない。 今度

          神様っていると思いますか?

          大人、レッスン

          娘は、3歳です。 時々赤ちゃんのマネをしたり、私はお姉さん!ってなったりして、かわいいざかり。 今日は、大きくなるって、のレッスンを私にしてくれました。 一緒に、お風呂に入っていて、髪の毛あらっていたら、 『シャンプーできるってね、大きくなるってことよ、ママ』と教えてくれました。 へぇー、そうなんかー、と感心する私。 『おおきくなるってね、お目々をつむれるってこと。そーよ、ママ』 他にも、大きくなるってどんなことがあるのか教えてほしいから聞いてみると、 『大き

          大人、レッスン

          七夕に、思う。自由の作り方。

          おはようございます。 昨日までずっと雨。。 しっとりしていました。 きょうはたなばたですね。 導かれているという確信がどうして自由を生むのか。 どうしてだと思いますか? 今目の前に起こる出来事を受け止める。 理想の自分を思い描く。 その今とその先のあいだ。 一つ一つが、回り道に思えるようなこともその先へつながっている。 そうわかっている意識は、執着がなく、軽やか。 そこには、希望と言う自由の光がある。

          七夕に、思う。自由の作り方。

          『見える』が全てじゃない

          はい。 自宅にいたがために、太ったことへの言い訳ではございません。 ここで言う見える、というのは、見えるものすべて、説明されるものすべて、という意味です。 私は視覚というギフトをもらって生活しています。 夕暮れの淡い色が混じり合う空や、 寒い冬にコウコウと光る満月や、 無邪気に笑う子供の笑顔や、 宝石のようにデコレーションされたケーキを見て感動します。 とても大事な感覚の一つです。 その見えるという事実だけだと、 そこで終わる。 しかし私達はそれに触れることで動かさ

          『見える』が全てじゃない

          愛して愛されたいもの

          子どもを愛す。 自分を愛する。 自然を愛する。 同じように、異性(同性)を愛する。 パートナーシップって難しい。誰かお手本をみせて。 やり方がわからないよ。 そうやって試行錯誤して、進んでいる。

          愛して愛されたいもの

          いつからだろう。隙間が許せなかったのは。

          絵を描いていた。 えをかいて色を塗る。 真っ白な空間なんて存在しない。私はすべてのスペース何らかの色を付ける。 みんなで絵を描いていた。隙間を作ったまま作業を終える彼女たち。とても満足そうにしている。私はそこを何らかの色で埋めたくなった。でも、彼女のエリアは触れない。そのとき、どうして全部埋めてしまうの?と聞かれた。 このとき初めて、隙間を作るということが完成をなすという概念をえた。 スケッチでもない、ペイント。 そこから自分はいつも何らかの空白を、隙間を、足りなさ

          いつからだろう。隙間が許せなかったのは。

          https://twitter.com/nao_ikoma/status/1266166178457587712?s=09

          https://twitter.com/nao_ikoma/status/1266166178457587712?s=09

          ああ、冬が来た。

          ああ、冬が来た。 そう実感するシーンはある。 なんで冬…?と思われるかもしれないが、私は南半球オーストラリアに住んでいる。なので、これからがっつり冬に突入するのだ。槇原敬之さんの曲が近ごろヘビロテだ。 冬といえばなんだろう。日本の冬は、お正月やら重なって、みかんだとか、雪だるまだとか、こたつだとか、そういうイメージがある。 オーストラリアはどうだろう。典型的な冬のスポーツはAFLというオーストラリア特有のフットボール。私の前の旦那のひいおじいさんがプレイヤーだったとい

          ああ、冬が来た。

          順調に体重が増えている。理由について。

          私はオーストラリアに住んでいる。 オーストラリアはロックダウンが日本と比べ早めに開始した。 しかし、体調管理には気を付けているし、ストレスが過食を促すことも知っている。だから、太る、太る、と周りが言うほど深刻には考えていなかった。 先日体重計に乗ってみた。次男を妊娠していたころの臨月の体重と全く一緒であったことに怖さを覚えた。いったい何がどうなってこんなことになったのだろう。こういう風に、「気を付けている感」は何の頼りにもならないということを痛感した。 自己分析を行う

          順調に体重が増えている。理由について。

          アイドルを見ると涙が出てくる件

          子どもたちとお風呂上がりに音楽をかけて踊っていた。世代的にスパイスガールズだったのだが、バイリンガルの学校に通っている娘がフォーチュンクッキーがいい!といったので(コーラス部で練習していた)フォーチュンクッキーを検索。 スポティファイではなかったのでユーチューブで。 娘二人と、イェイイェイ言いながらうたっておどった。息子たちは冷ややかなしかしまんざらでもなさげに私達を眺めている。 ふと気がつくとジワぁっと感じるもののあとに涙が溢れてきた。 まてよ。 私はさしこの熱狂的

          アイドルを見ると涙が出てくる件

          アーチェリー部顧問の怒りが最高だったあの日

          高校時代、アーチェリー部に所属していた。アーチェリーは洋弓で、結構な部品や用具がまず必要なのである。矢、弓はもちろん、防具、狙いを定める部品などなど。 矢をひっかけるところを、ワックスが少しかかったひものようなものでしるしをつけ、ライターで軽くあぶって固定させる。そういうことも先輩たちに教えてもらいながらワイワイ仲良く部活をしていた。 運動部の割には日陰の部活で、毎日筋トレと校舎の裏で矢を打つ練習。顧問の先生はあまり来ず、とりあえず名前だけ顧問のような感じで、結構放任だっ

          アーチェリー部顧問の怒りが最高だったあの日