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大瀧詠一氏の残像集め

十代=ティーンエイジャーの終わりに、ラジオの深夜放送、今は、ラジオ日本と局名を変えた、ラジオ関東の月曜日の深夜、正確に言うと火曜日の午前零時から始まった、彼の趣味の音楽だけを語りながら掛けまくる番組『GO!GO!NIAGARA』でDJを務めた、元・はっぴいえんどのリード・ヴォーカリストを務めた後に、大瀧=ナイアガラをもじったナイアガラレーベルを立ち上げて、ソロシンガーとともに音楽プロデューサーやラジオDJとしての活動を開始していた、大瀧詠一氏の若かりし日の言動に大きな影響を受けて、私自身の音楽観が、それまでの経験とは劇的に変化していったのは事実だと思います。

当時は、インディーズに近い色彩の強かったエレックレコードから、泣く子も黙る歌謡界のメジャーレコード会社の日本コロムビアに移籍して、彼の趣味趣味音楽=シュミシュミ・ミュージックは、プロがひしめく音楽業界では大きな影響を及ぼしてはいましたが、いわゆる一般のポピュラリティーまでは獲得しておらず、レコードセールス上では、必ずしもレコード会社側の評価を十分に得ていたとは言えずに、「クオリティーの高い作品を発表してはくれるが、それが十分にセールスに結びつかないアーティスト」というものであったといえましょう。

そのことを、本人も十分に承知はしていたが、まだまだ若者(『ナイアガラ・ムーン』の楽曲で、ランララララララ、ラララ、ハッピーバースデー、スウィート、トゥエニーセヴンと歌っていましたね♫)特有の反骨精神もあり、売れる要素を自分が保持していることを自覚しつつ、それを敢えて前面には出さずに、ひたすら天の邪鬼的な態度=本当の意味でのロックン・ローラーとしての生活信条を保持しようとしていたある日、

家で出された食事の品数が極端に貧相なことに気付いて、妻にその理由を問うたところ、実は、毎日のおかずの品数にも貧するほどに家計が逼迫していることを告白され、そこから、彼の、一念発起の大逆転を目指した人生が始まります。

かつてのバンドメンバーで、解散後に逸早く売れっ子となったのは、はっぴいえんどのドラマーにして、その独特な叙情的で象徴詩のような世界観を言葉で再現できる作詞能力が、既に業界から高い評価を得ていた松本隆氏。

「木綿のハンカチーフ」に代表される、昭和歌謡やジャパニーズ・ポップスやニューミュージックなどのあらゆるジャンルにおいての名曲を、次々と残しております。

続いて、ベース担当の細野晴臣氏は、やはり、解散後の初期には、新たに結成したバンド、ティン・パン・アレーやキャラメル・ママで業界内では高く評価されるも、一般的なセールスとしては、まだまだ拡販余地を残していた状況を、坂本龍一氏と高橋幸宏氏と組んだ、Y.M.O=YELLOW MAGIC ORCHESTRAが打ち出したテクノポップブームに乗って、一躍、日本はおろか世界に打って出て、時代の寵児となります。

そのような、かつてのバンド仲間が次々に成功していく状況を横目で見ていた大瀧詠一氏は、遂に重い腰を上げ、まずは、細野晴臣氏のところにやって来て、オレも、細野さんのように売れっ子になってみせるよと宣言して、さっと帰って行ったというエピソードが残されています。

そこで、彼の構想していた成功の法則は、松本隆氏に作詞してもらって、自分が作曲をすること。

かつて、はっぴいえんどが出したアルバムに収録されている楽曲のうち、特に、エモーショナルでノスタルジックな詩曲については、「みだれ髪」「そらいろのクレヨン」「抱きしめたい」など、私だけでなく、誰もが認める名曲が揃っており、このコンビによる作品を以てすれば、必ずやヒットを獲得できるであろうという確信に近い想いがありました。

それまでの、大瀧詠一氏の作品で、いわゆる一般大衆の心を掴んで商業的にも成功したといえるのは、実は、テレビコマーシャルの、CMソングと呼ばれるもので、たとえば、三ツ矢サイダーの一連のCMソングによって、大きなポピュラリティーを獲得しており、本人も、「CMソングの成功によって、ヒットの法則は完全に会得している」と豪語していました。

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かくして、ちょうど、それまで所属していた日本コロムビアから、CBSソニーにレコード会社を移籍したのを期に、新たなアルバムを企画する際には、大瀧詠一氏の楽曲に、松本隆氏の作詞を中心にした作品で構成すれば、セールス的にも満足できる成果が得られるものが出せるであろうという予測が立てられました。

ところが、ここで、大きな問題が発生しました。

松本隆氏の妹さんが、長年の闘病生活の末に亡くなってしまい、彼女を深く愛していた彼は、あまりの喪失感に苛まされて、作詞活動を継続することが不可能になりました。

プロの作詞家となった以上、締切を守って作品を提供しなければならないのに、それができないと判断した彼は、このプロジェクトから降りると、大瀧詠一氏に伝えました。

待つよ

大瀧詠一氏は彼に対してそう答えたそうです。

その言葉を受けて、最初は絶望的な心境に陥っていた松本隆氏は、少しずつ、ゆっくりと創作意欲を取り戻し、作詞家としての再生が始まります。

後に、大ヒットの名盤となった、『A LONG VACATION』、愛称“ロンバケ”の冒頭を飾った、「君は天然色」ですが、松本隆氏によれば、この曲は、ラヴソングの体裁を取りながら、実際には、失われた“白の世界”に色を着ける作品として、大瀧詠一氏に提供したのだそうです。

(2024年4月28日放送分、TBSラジオ『風街ラヂオ』より)

つまり、リスナーにとっては、別れた恋人に対して、ノスタルジックな想い出がモノクロームの写真として残されていることを感じさせ、もう一度、鮮やかな天然色の映像に蘇ってくれと願う、王道のラヴソングに聴こえますが、

松本隆氏にとっては、より内省的な、愛する肉親を失ったことを、ラヴソングに仮託して自身の“再生”を目指した作詞作品だったのだと思います。

そして、この作詞に、総天然色の色を着けたのが、大瀧詠一氏の曲想です。

紆余曲折を経て、この唯一無二のコンビによって、このアルバムの冒頭を飾るイントロダクション・チューン「君は天然色」が収録され、さらに、3曲目の「カナリア諸島にて」によって、その、モノクロームの想い出が鮮やかなカラーで彩られた心象風景を想起させる、当時の日本人の誰もが知らない、アフリカのサハラ砂漠の西側にある大西洋の島々「カナリア諸島」の南洋の楽園のイメージで訴え掛けることによって、このアルバムの成功が約束されたといっても過言ではないでしょう。

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思い出はモノクローム
だからこそ
色を着けてくれ
総天然色で♪

※※※

「君は天然色」は、松本隆作詞、大瀧詠一作曲の楽曲を中心に配した大ヒットアルバム『A LONG VACATION』トップを飾る永遠のマストチューン=MUST TUNE。

実は、このアルバムの作詞の仕事を大瀧氏から依頼された松本氏は、直後に最愛の妹さんを病気で亡くして失意のどん底に沈み、いったんはこの仕事を断りました。

それを聞いた大瀧氏は、君がやる気になるまでアルバムの制作を待つよと告げて彼を励ましました。

その言葉を受けて作詞したのが「君は天然色」。

この歌詞に登場する“君=モノクロームの思い出になってしまった彼女”は、実は、亡き妹さんをイメージした、物悲しい彩りに溢れているのですが、それにメロディを付けた大瀧氏は、この曲を敢えて突き抜けた明るいイメージに仕上げたのが特徴的ですね。

机の上のポラロイド~

で、いったん区切った後に、

写真に話し掛けてたら~

と、ちょっと不思議な語句の区切り方による歌い方をしてますね。

本来ならば、

机の上のポラロイド写真
に話し掛けてたら

と一気に畳み掛けるべきところを、何故か、語句を途中でぶった切ってしまいました。

(実は、「雨のウェンズデー」でも、「壊れかけたワゲンの~」「ボンネットに腰掛け~て」という歌い方をしており、本来は「壊れかけた(フォルクス)ワーゲンのボンネットに腰掛けて」と歌うべきところを、やはり語句の途中で分断して歌っていますね)

歌詞の文脈を重んじるよりも、敢えてメロディの流れを重要視した結果なのか…。

たぶん、詞を提供した松本氏は、亡き妹さんの思い出を偲ぶ内省的な言葉を綴ったので、かなり物悲しい叙情的な曲調になるのではないかと予想していたら、意外に明るい印象を与えるメロディが付けられたので少々驚いたのではないでしょうか。

※※※

その後、いろいろと調べてみたら、この「君は天然色」の楽曲は、大瀧詠一氏が先に曲想をバンドで録音しておいたものに、後から松本隆氏に作詞を依頼したので、いわゆる「曲先」と呼ばれる方式だったそうですので、むしろ、この、突き抜けた明るい曲想に励まされて、松本隆氏が、愛すべき亡き妹さんとの思い出をラブソングに仮託して、作品に仕上げたことになりますが、だとしたら、文脈をぶった斬ってでも曲のノリを優先して歌ったことが、松本隆氏の許可を得たものであることになりますが、ちょっと不思議ではありますね。

まあ、そのような経緯を経たとしても、

もう、二度と逢うことが叶わないモノクロームとなってしまった大切な思い出=ブラジル音楽のボサノヴァでいうところの“サウダーヂ感”に対して、まるでその悲しみを吹き飛ばすかのように突き抜けた明るいメロディで歌うことによって、そのメモリーが総天然色の映像として鮮やかに甦った…。

結果的には、この、稀代のロングセラーアルバムの冒頭を飾る華やかなオープニングソングとなり、その後も、何回も何回もCMソングに起用されるようになるなど、まさにナイアガラサウンドに不可欠なマストチューン=KILLER TUNEになりました。

「君は天然色」は、松本隆氏と大瀧詠一氏コラボレーション楽曲の最高傑作の1つと言えるでしょう。

ただし、これだけ満を持してリリースした“ロンバケ”ですが、セールス的には、実は、当初は苦戦を強いられました。

それは、3月21日という発売日にありました。

「待つよ」の一言で、松本隆氏の作詞家としての“再生”を待っていたために、本来は、夏の風景を中心にした、サマーソング集のイメージで売り出すべきアルバムが、まだまだ、寒い冬の尻尾を引きずった3月の末に出されたのですから、リスナーからすると、時期尚早と思われても仕方がないと思います。

ところが、季節が次第に春めいていき、やがて、夏に向かって活気付いていくと、楽曲群の完成度の高さと、時代が求めるシティーポップ的なテイストが多くのリスナーからの支持と“需要”を獲得して有線放送でリクエストがたくさん掛かるようになり、本格的な夏を向かえる時期になると、一気にセールスが伸びて、大ヒットアルバムとなります。

ただし、このアルバムは、最初の「君は天然色」と、3曲目の「カナリア諸島にて」は、完全に夏のブリージング=爽やかなそよ風を感じされる楽曲が並びますが、それ以降は、捨て曲無しの名曲揃いではありますが、実は、少々、脈絡無くランダムな形で収録されているようにも感じられます。

  1. 君は天然色

  2. Velvet Motel

  3. カナリア諸島にて

  4. Pap-pi-doo-bi-doo-ba物語

  5. 我が心のピンボール

  6. 雨のウェンズデイ

  7. スピーチ・バルーン

  8. 恋するカレン

  9. FUN×4

  10. さらばシベリア鉄道

その実態については、大瀧詠一氏自身の言葉が証明しています。

https://www.facebook.com/share/p/dZb93DHqUXXSPGq4/

『ロンバケ』は人に書いたもの(ボツ曲)を集めた。
『EACH TIME』は自分用に作ってみたわけ。
だけど面白くなかったんだよ、やっぱり。
俺が言ってる enough 感て「分かった」ってやつなんだよ。
推理小説読み始めて、分かったらもうつまんなくなるっていうのと同じ。(2004)*80

※※※

なるほど。
そうかもしれませんね。

Wikipediaに掲載された曲目解説等でも、大部分の楽曲は、他のアーティストに提供するべく作曲したものを、いろんな理由でボツとなり、アレンジを替えたり、いったん別の人が付けていた歌詞を松本隆氏のものに替えたりして生み出されたものだったようで、たとえそうであっても、大瀧詠一氏の作品に相応しい形でアルバムに収録されたのは間違いないところです。

一方、“ロンバケ”の大ヒットアルバムを出した数年後に『EACH TIME』を出して、

こちらは、自ら、自分のために楽曲を書いたのに、

本人的にはアイデアを出し切った感=アイデアの枯渇感があり、それ以降は、フルレングスのアルバムを出すことを諦めた(事実上のアルバム制作活動からの隠居宣言をした)のですからね。

さて、大瀧詠一氏が、『A LONG VACATION』を出して、大ヒットメーカー・ミュージシャン&プロデューサーの仲間入りをしたので、もうこれで安心、積極的に応援する必要はないなとばかり、それ以降は、特に生前には、直接的には彼の活動ヘの関心が薄れていた(“ロンバケ”が大ヒットとなった当時、ちょうど大学の放送文化研究会=放文研というサークルに所属していて、そのサークルは季刊で文集をガリ版刷りで出していて、私は長年応援していた大瀧詠一氏の応援活動については、ヒットメイカーになって安心したので終了宣言をしたものです)天の邪鬼な私でしたが、

これからは、少しずつ、大瀧詠一氏の残像を拾い集めていこうかなと思っています。

https://note.com/nazonou4/n/n1be015939223

ちょうど、松本隆氏が、かつて、大瀧詠一氏が、深夜放送のDJをやっていたように、

今年、2024年4月7日(日)の23時から、TBSラジオの『風街ラヂオ』という番組のパーソナリティーを始めたので、

朝日新聞の日曜版で連載されている、彼の得意とする文字媒体による心情の吐露である『書きかけの…』エッセイとともに、その心象風景の色を、自分なりに着けてみようと思います。

松本隆氏の関連記事は、コチラへ

大瀧詠一氏の家族についてちょっと知りたくなって調べたところ、思わぬ情報が得られました。

題して、

『私の知らなかった“アーリー&アフター大瀧詠一”』

私よりも歳上の先輩に当たるKouさんによる労作です。

これで、私の残像の前後が繋がった感じがしました。

※※※

「君は天然色」の“インスパイア”の素となった楽曲についての考察。

アイデアを“イタダキ”ながら、いかにオリジナルを超えるか。

大瀧氏の作曲法は、携帯音楽プレーヤーや携帯電話の良さを組み合わせてインターネットとの親和性や高性能カメラなど、ユーザーが潜在的に求めていた機能とサービスを搭載して、iPhoneという“新たな電話”を発明したスティーヴ・ジョブズのイノベーションを起こした手法に近いものがあったと言えましょう。

一方、「恋するカレン」の、「キャンドルを暗くして、スローな曲がかかると♪」直後の、ンタタタという上原“ゆかり”裕さんの三連符のドラムは、主人公の心の動揺をドラムで表現した最高のフレーズでしたね♪

https://youtu.be/Kqx3Fc77qoY?si=8hV--vdIJIBhdhrg


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