悲しいニュース、再び〜セルジオ・メンデスさんの訃報が…。セルジオ・メンデス&ブラジル2024よ、永遠に。Sergio Mendes e Brasil 2024 para sempre
この方は、ピアニストとバンドリーダーにして、とにかく、ブラジル音楽のミュージシャンの、まだ、それほど世間に知られていなかった楽曲を世界に紹介すべく、親しみやすくグルーヴィーなアレンジを施して大ヒットとした名人でしたね。
たとえば、代表曲の「マシュ・ケ・ナダ」は、ブラジルのシンガーソングライターのジョルジ・ベン(後に、ジョルジ・ベン・ジョールと改名)のオリジナル曲を、見事にダンサブルで情熱的なサンバとして打ち出して、自身の楽曲とともに、オリジナルの方もヒットさせたところに価値がありましたね。
以前、この曲のミュージック・ヴィデオの舞台裏を、面白可笑しくご紹介したことがありましたが、
そのような“遊び”も、ちょっとできなくなってしまったのが大変悲しいですね。
私は、個人的には、「マシュ・ケ・ナダ」の一番の魅力は、出だしのイントロダクションの中低音の
ダダダダ
ダン♫
という、ピアノの特徴的な
連打に対する返しの
パー
パパパー♫
というバンドのレスポンスの
繰り返し=リフレインが、
いかにも、リーダーである
“セルメン”スタイルでの
マシュ・ケ・ナダを始めるぞという決意の表れであるという感じがして、心躍らされますね。
そして、次に続く
男女混声コーラスの
オーーーーーーーーー
アリヤーラヨー
オパ、オパ、オパ
オーーーーー
オーオーオーオー
アリヤーラヨー
オパ、オパ、オパ
という、ブラジルのもう一方のルーツである原初アフリカンを継承させたかのような叫びに続いて
マシュ・ケ・ナダ♫
=なんてこったい!
と、
ここに、全ての“セルメン”スタイルでのマシュ・ケ・ナダの魅力が
込められていると思います。
※※※
以前、2週間ほど前に、ちょっとだけ“報道”されて、すぐに削除された記事があって、個人的には誤報であってほしいと切に願っていたのですが、やはり、混乱を避けるために、先走りの記事を削除したのか、あるいは、緊急搬送されたという表現が使われていたので、関係者の方々ヘの配慮もあり、それを統制していたのですね。
https://www.facebook.com/share/p/cfsHZ9o3MQiG9BfT/
大変悲しいですが
改めてお悔やみを
申しあげます
今頃になって、当時、削除された速報がアップされたようですね。
セルジオ・メンデスさんが病院に緊急搬送されたことを伝えた記事のようです。
現地や海外メディアの報道によると、遺族が、米ロサンゼルスで「安らかに息を引き取った」と明らかにした。
長期にわたって新型コロナウイルスの後遺症に苦しんでいたという。
最後のライブは昨年11月。パリやロンドン、バルセロナで公演を行った。
とのことですので、安らかな最期だったのが、せめてもの救いでしたね。
そして、この“セルメン愛”に溢れる
大変な労作にして、全アルバムを紹介するリストを掲載したサイトを発見して、涙無しには見ることができませんね。
↓
【ボサノバ ブラジリアンミュージック界のスーパースター SERGIO MENDES!
セルジオ・メンデスの全LP・シングル・CDを紹介している日本唯一のSERGIO MENDES 専門サイトです】
【ご挨拶】
日本全国の セルジオメンデス ファンの皆様お待たせ致しました。
今まで有りそうで無かった セルジオメンデスファンの為のページです。
世界的なアーティストで有りながら又、ボサノバやブラジリアンミュージック界では常にNo1の知名度と実績が
有るにもかかわらず、残念ながらメディアに登場する機会が少なく常々不満に思っておりました。
Web にさえも完全なものは無く、ならばこの際どーんとやってやれ!
と思い立ち上げてみました。
とても未熟ではありますが、とにかくセルジオメンデスが好きだ!という一心で作りました。
オールドファンの皆様、又新しいファンの皆様に少しでも喜んで頂ければとても嬉しく思います。更新は随時行っております・・
お楽しみに・・
解像度:横1280以上が推奨です。及びそれ以上でご覧下さい。
by ボサノバなセルメン党
since Apr.2000
セルジオ・メンデス ファンサイト
彼の“肉声”を再録した、一人称による素晴らしい「バイオグラフィー」も必読ですよ。
※※※
https://www.facebook.com/share/p/3qe2pgy3wgYa1D5R/
https://www.facebook.com/share/p/bkGhkgFGVR5GdNGM/
これを機会に、世界中の人たちが、彼の偉業を讃えていますね。
亡くなって、改めて、彼の偉大さに気付いたように感じられますね。
今日は残念なお知らせが届きました。
最初に会ったのは1964年。セルジオ・メンデスとブラジル66の66よりもまだ2年前。キョードー東京の設立者、永島達司さんと大の仲良しだったので、奥さんのグラシーニヤ・ラポラーゼとも心打ち解けた友人、メシ友になりました。
日本🇯🇵はまた1人、想い出が多かった音楽界の親友を失いました。
セルジオ83歳。たくさんのコンサート🎹をありがとう‼️いつも全力投球。ブラジルが産んだ世界🌏のスーパースターでした🙏
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時代を読み、リズムを料理
セルジオ・メンデスさん、
音楽界から悼む声
(有料記事)
2024年9月24日 5時00分
朝日新聞の続報ともいえる、2024年9月24日付の記事(有料記事ですが)によって、新たに気付かされたことがあります。
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1941年に生まれたメンデスさんは、若い頃にクラシックピアノを学び、ジャズにも傾倒。60年代に米国に拠点を移し、「セルジオ・メンデス&ブラジル’65」を結成し、ブラジル音楽を軸に活動した。
ボサノバなどを取り入れた曲も多く演奏しているサックス奏者の渡辺貞夫さん(91)は、自身がブラジル音楽への関心を深めたきっかけは、65年に米国で目撃した「ブラジル’65」のライブだったと振り返る。
当時、渡辺さんは米国の音楽家のツアーに参加。サンフランシスコのクラブでライブをしていたが、通りを挟んだ向かいのクラブでメンデスさんたちが演奏していた。「ブラジル・ミュージックはリズムが特徴で、ベースにはサンバがある。(ブラジル’65は)特にリズムセクションが良かった。僕はすっかりブラジル音楽に興味を持ってしまった」
2週間の公演期間中、メンデスさんとは「濃い交流をしました」。休憩に入るたびに二つのクラブを往復しては、互いの音楽を聴き合った。「セルジオがオリジナル曲をプレゼントしてくれたこともありました」
翌66年、「マシュ・ケ・ナダ」が世界的にヒットした。
「セルジオ・メンデス&ブラジル’66」としてリリース。60年代初頭にブラジルの音楽家、ジョルジ・ベンジョールさんが作った同名曲のカバーだが、ブラジル音楽に詳しい音楽プロデューサーの中原仁さんは「当時はビートルズ全盛期で、ロックの時代。ボサノバの要素を持った原曲を、ロックのビートを取り入れたアレンジでヒットさせた。セルジオには時代を読む力があった」とみる。
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最初に、グループとしての「セルジオ・メンデス&ブラジル’65」を
1965年に結成した後に、翌年、「マシュ・ケ・ナダ」が世界的にヒットした際に、「セルジオ・メンデス&ブラジル’66」としてリリースしたことになり、最初は、年度ごとにグループ名を“更新”する構想を持っていたのかもしれませんね。
それが、後に、「セルジオ・メンデス&ブラジル’77」と“改名”することに繋がったのでしょうね。
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その後も、ボサノバブーム以後のブラジルの新たなポピュラー音楽をカバーするなどして世界に発信。
2006年には、米国の人気ヒップホップグループ「ブラック・アイド・ピーズ」とコラボし「マシュ・ケ・ナダ」を再びヒットさせた。ラップを取り入れた、40年前とは全く違うアレンジ。「若い世代の音楽にもアンテナを張り続けていた」と中原さんは言う。「アメリカのポピュラー音楽とも自在にミックスさせ、時代とマッチさせるセンスがあった。一流の料理人です」
2013年には、中納良恵やMINMIといった、日本などアジアの女性歌手10人とのコラボでアルバムを制作。スーパーバイザーを務めた中原さんによると、メンデスさんは当時、自身の信条についてこう話した。
「同じことを繰り返すのは嫌い」
「人を驚かせることが好き」
「常に若者にウケたい」――。
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このあたりのスピリッツは、ボサノヴァ第2世代として、現在もヴァーリヴァーリ精力的に活躍しているマルコス・ヴァーリさんと同様な信条の持ち主でしたね。
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ジャズシンガーの阿川泰子さん(72)は、メンデスさんのプロデュースによるアルバム「オウロ・ド・マナウス」(88年)で、ブラジル音楽に初めて本格的に取り組み、ポルトガル語でも歌った。
メンデスさんは「僕は、発音は全然気にしない。むしろ少したどたどしいくらいが、エキゾチックで魅力的なニュアンスになる。ブラジルのミュージシャンではなく、日本人がせっかくトライしているのだから」と声をかけてくれた。
歌い手の個性を尊重したかったのだろうと、阿川さんは思う。「セルジオさん自身、ジャズミュージシャンを目指して米国に行き、すぐに『個性がないと駄目だ』と気づいたそうです。『アメリカで、アメリカ人のまねをするだけなら他にいくらでもいる』って」
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こういう考え方が、世界に通用するアーティストになるためには必要不可欠ですね。
とかく、日本人は、きれいな発音で外国語を話し、歌おうとする傾向がありますが、
彼の、「むしろ少したどたどしいくらいが、エキゾチックで魅力的なニュアンスになる。」という考え方に、改めて教えられました。
たとえば、外国人がきれいな発音で、日本の歌を歌ったり、演歌のこぶしを回されたとしても、最初は物珍しさから人気を博しても、やがて飽きられてしまうことも多々ありますよね。
むしろ、たとえば、シャンソンをフランスの歌手が日本語で歌う際に、流ちょうな日本語で歌われるよりも、
「チョトマッテクダサイ。ステキナアナタ♬」
と歌われた方が、却って新鮮に感じられるのと同じような感覚でしょう。
その歌い方に心がこもっていれば、たどたどしい発音でも十分に伝わるということでしょうね。
「イパネマの娘」を、アストリッド・ジルベルトが、少したどたどしい英語で歌ったからこそ、それがエキゾチックに感じられて、米国人の心を掴んだように。
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これぞ、
セルジオ・メンデス&ブラジル2024
フォーエヴァー
Sergio Mendes & Brazil 2024 Forever
Sergio Mendes e Brasil 2024 para sempre
https://www.facebook.com/sergiomendesmusic/