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私たちの意識下にも大きな影響を与え続けている「キュビズム」

昨日は、職場の有志と、上野の国立西洋美術館で開催されている「キュビズム展」へ。

「自分デザイン制度」の一環として、課外活動が奨励されるようになりました。

キュビズムというと、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが有名ですが、この芸術運動は、二十世紀初頭に勃興した、特に西洋美術史にとってエポックメーキングかつイノベーティブな運動であったことがよくわかりますね。

いわゆる、それまでの、西洋美術的な技法である、遠近法や陰影法からいかに脱却して自由な視点で絵画表現をすべきかをテーマとして、立体=キューブによって、人物や静物や風景までをも複数の視点によって再構成して描写しようとした試みといえますが、その背景には、写真技術という、驚異的な技術の進化と普及がありましたね。

それまでの西洋美術は、いかに、写実的=本物そっくりに人物や静物や風景をカンバスや壁画に描き残し、さらには立体化するために彫刻として記録するべきかに腐心しようとしていて、様々な技法や技術を編み出しましたが、そこに現れた写真という新たな技術によって、絵画は、同じようなことをしていては到底太刀打ちできない=画家としての商売が上がったりになるという苦境に陥りました。

また、それまでは、写真の替わりに、写実的描写と印刷物に転用して量産化して広く遍く伝達するための技術であった銅版画家は、さらに致命的な影響を受けたと思います。

そこで、その危機を克服する打開策の試みの1つとして、ものごとをありのままに観ずに、極端な視点や角度から観て描くキュビズムが現れましたが、先進的な芸術家はともかく、一般庶民にとっては難解で受け容れ難く、当初は嘲笑の対象にしか過ぎなかったようですね。

かくいう私も、初めてピカソがキュビズムを打ち出した図形の組み合わせみたいな人物画や、横顔なのに両方の目が描かれた女性の絵を観て、それが裸婦を描いたものだといわれても、全然エロティシズムを感じなくて、なんでこんな絵を描いたのだろうかと戸惑ったのが第一印象でしたが、後年、テレビでキュビズムをわかり易く解説している番組を観て、ようやく腹落ちしたというか、頭で理解できるようになったというのが正直なところでしたね。

それが、次第に世の中全般に受け容れられていき、多くの人たちが理解できるような“市民権”を得られる過程や歴史と様子を体感できる展示となっていました。

まずは、キュビズム創始者であるピカソやブラックたちに多大な影響を与えた、先駆者としてのポール・セザンヌやポール・ゴーギャン、アンリ・ルソーなどの絵画の展示から、

ピカソやブラックがそれらの絵画からインスパイアされた独特な技法で描かれた作品を発表していき、

それに刺激された、パリのモンパルナスに棲み着いた、仏蘭西以外からもやって来た若い画家や芸術家たちがそのスピリッツを継承して、様々な形で作品を発表したところ(その頃には、どちらかというとピカソやブラックは、もう既にこの技法に“飽きてしまった”ともいえますが)、それを批評家たちが、少々揶揄や皮肉の気持ちを込めて、「キュビズム=これは人物ではなくて、ただ立体を組み合わせて描いた(コラージュという技法もここから生み出されたようですが)に過ぎない」と呼んだのが始まりでしたね。

ところで余談ですが、私が、ピカソの難解な絵画を、キュビズムの視点で解説してくれたテレビ番組を観ていた当時は、キュービズムと、音引き「ー」が付いていたような記憶がありましたね。

それが、いつの間にか、キュビズムと呼び習わされるようになったのは何故か。

恐らく、英語読みのキューブから、当初、日本では、英国式のキュービズムと呼び習わしていたのが、元々はフランスの発祥によるものということで、フランス語風のキュビズムという発音に変わっていったのかもしれませんね。

というか、英語ではキュービズムという用語はあっても、フランス語ではキュビストという立体組合せで描く人という単語しかなさそうなので、どっちみち中途半端な気がしますが。

同様に、かつては、ルネッサンスという呼び方をしていたのが、いつの間にか、ルネサンスと、撥音記号の「ッ」がなくなっていったのとよく似ていますね。

これも、発祥が、フィレンツェやヴェネツィア、ミラノ、ローマといった、諸侯が治める分裂した国々の集合体であった、旧・ローマ帝国の支配地域であった、後に“イタリア”と呼ばれるようになった地域の言葉に由来する発音に近付けようとして、そういう呼び名になったのでしょうね。

だいたい、今日の英語的な発音ならば、ルーナサンスという呼び方が近いように思いますけれどね。

さて、このような経緯を経て発展していったキュビズムでしたが、やがて第一次世界大戦が勃発してヨーロッパが疲弊し、その後の復興&混乱期において、次第にこの運動はコモディティ化していき、今や、ある意味当たり前の視点となりつつありますが、そこには、今でも近代美術史観の底流を下支えしている芸術ともいえます。

実は、この五十年振りに「キュビズム」大回顧展が日本で開催されている、国立西洋美術館の建物そのものが、ル・コルビュジエという、キュビズムに影響を受けた、異国であるスイスからパリにやって来てフランス風の名前に改名した建築家のデザインによるものであるというのも、面白い発見だったと思います。

で、何故、日本でキュビズムの展覧会が五十年振りに大々的に開催できたのか(1/28で東京での展示を終えた後には、ほかの地域に巡回展示されていきます)というと、ちょうど、2024年の夏に、「パリ・オリムピック&パラリンピック」が開催されるのを機に、美術館である「ポンピドゥーセンター」を大リニューアルしており、主要な展示物のキュビズムの作品群をどこかに“避難”させる必要があったのですが、それならば、展覧会好きな日本、しかも、フランスも、19世紀の「パリ万国博覧会」で大人気となったジャポニズムに始まり、現在も、コミックスやアニメなどの日本文化が好きなので、たぶん、高額の展示料金を獲得できるという算段もあったのだと思いますね。

今や、キュビズムは、知らず知らずのうちに、私たちの意識下にも大きな影響を与え続けているといえるでしょう。

なお、キュビズムが、当時の、もう1つのエポックメイキング&イノベーティブな技術であった写真の登場によって否応なしに生み出された技法&運動であったとしたら、

現在、AI=人工知能の登場によって、自身の思考や仕事が、それに取って替わられるのではないかと考えさせられている現代社会に生きる私たちにも、

まさに、キュビズム的な発想や仕事のやり方が求められているのかもしれませんね。

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ご参考用


本日は、職場の有志と、上野の国立西洋美術館で開催されている「キュビズム展」へ。 https://cubisme.exhn.jp/ 「自分デザイン制度」の一環として、課外活動が奨励されるようになりました。 キュビズムというと、パブロ・ピ...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Friday, January 26, 2024


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