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フェニックス通り

実家の防空壕から必要なものを掘り出して

まだ小学生だった妹と大通りまで歩いた


と、言っても昔の面影なんて全くなくて

ただ、焼け野原

何もなくて浜辺近くの家から堺東の駅まで見渡せた

だから、昔みたいに住宅街を迷路みたいに歩かなくてもよかったけど

同級生たちの家がどの辺やったか、思い出しながら歩いた


駅から港まで

真っ直ぐの道を引くために

アメリカの大きな大きなトラックだけが走ってた


その後ろを小さい子どもらが走ってついていってる


「ねぇちゃん、アメリカの兵隊さん飴ちゃんとかチョコレート、トラックの後ろからほってくれんねんで」


妹の無邪気な目を見て、無性に腹が立った


「あんた、まさかアメリカにモノモライなんかしてないでしょうね」


その気迫に押されたのか

妹は下を向いて、ただ首を横に振った


悔しかった。


終戦のあの日

同じ寮にいた韓国人がくれた真っ白なタオルを思い出した


大好きやった

ピアノを諦めた

戦争がなかったら

数学やなくて英語を専門にしたかった


でも、泣いたらアカン

もう負けてるけど

これ以上、負けたらアカン


【フェニックス通り】


米国進駐軍が物資運搬のために作ったその道路は

軍用車も通れるくらい広く作られていて

今でも市民の便利な主要道路として使われている。

※写真はイメージ

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