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『欲の涙』13

「これが運命と観念したようだ、驚いたことに」

(『逆まわりの世界』 フィリップ・K・ディック 著)

 ナイフの先端をロリコン秘書の脇腹に、少しだけ--ほんの1ミリ程度、その存在が伝わるところまで刺している。血は出ない。が、ビビって硬直している秘書――。自分の足でサカファードまで歩かせ、後部座席を坂本が開けた。子煩悩ヤクザが鬼の形相に。

 秘書に向けられているのは、小型のハンドガン。手の甲の中に収まるサイズ。大きくないからこそ、余計にリアリティがあって、恐ろしい。

 植え付けるだけなんだ。恐怖で従順になった秘書は何も言い返さない、いや、言い返せない状況。身体が震えている。オレも共に後部座席へ。

 今は恐怖のどん底に落としこむだけなんだ。

 こんな地獄みたいな思いは、二度としたくない。--とにかく恐ろしさを徹底的に味わってもらう。

 「お楽しみの予定が『狂って』申し訳ないね。急ぎでさ。騙してくれたようで、なあ?」とオレは、詰め寄った。

 ナイフを座席の床に捨て、代わりに、坂本が寄越した注射器をすぐさま、突いた。スーツの上から。勢いよく。見えない静脈を目がけて。と、同時にサカファードが走り始めた。モルヒネだ、打ち込んだのは。

 「あーーーーーーーーー!!!!」と、大声。

 まあ、仕方がないか。

 誰だって無理矢理、車内に連れ込まれたら大声を上げてもおかしくない。想定済。

 場数の違う、坂本は音楽を爆音で流していた。恐怖のドン底にある秘書なんか、お構いなしに涼しい表情だ。

初めてかもしれない。コイツに「やるな」と思えたのは。

 流した音楽--。
 選んだのは、The Jimi Hendrix Experienceの"Purple Haze"。坂本はいかにも、な風体でありながらも、曲のセンスがいいと思えた。なんなんだこのギャップは。

Purple Haze All around
Don't know if I'm coming up or down
Am I happy or in misery?
Whatever  it is, that girl put a spell on me
Help me Help Me
紫の煙が立ち込める
いい風が吹いているか 悪い風が吹いているのか
分かりゃしない
幸せなのか? みじめなのか?
どっちでもいいさ あの女は俺に魔法をかけやがった
助けてくれよ! 助けてくれって!

 「あの女が魔法をかけやがった」――喫茶店の出入り口で声をかけた女を思い出した。そういえば「その女」は一体全体、何者なのか。オレを知っているってレベルじゃない。内心までをも見抜かれたのは、ジュンちゃん以外にいない。

 何かが始まるとでもいうのか?なんて、曲を聴きながらゾッとする思いでいた。

 注意を後ろに向ける。

 効きが早いのか、秘書はすっかり上機嫌な様子。「あの娘の、、、こえっていったらいぃいのら、か、は、ほんとぅぇひに…カワウィ…ぃうん…」と、多幸感で滑舌が回っていない。

 「あの娘の声って言ったらいいのかな。本当にかわいい」。続けて「ドライブ、サイッコゥエー!」ときた。

 何日ぶりだろう、大声でオレが笑ったのは。

 秘書がバグっている。おそらく普段は長野に忠実。いわゆる「イエスマン」なのだろう。ところが、だ。今となっては饒舌な中年ジジイだ。

 大笑いしているオレを見、坂本が言った。

 「ホラ、束の間の息抜きにな。すぐ抜けるから」
 「紙か?」 と、訊いても坂本は笑っている。
 「まあ、たまにだな」と内心ではウキウキしているのに、坂本には高揚感を見せないよう努めた。

 「中山ぁ。西新宿行くぞ。道路沿いのあのカラオケでいいか?ロリコン秘書を詰めるのは。ご用達だから、気を利かせて後ろから、秘書を入れさせてくれるさ」

 「よしそこにしようぜ…」と言った瞬間、聴こえてくる音に、音符がついているように見えた。音符が1、2、3と増えてゆく…いくつあるのだろう。無限だ。オレは見ている、音符と文明の力を。窓に目をやると、移りゆくネオンのライトが手を招くかのように、こちらへ誘っている。

 ネオンは生きている。無機質な物質は生物以上に、善良な魂を持っている。その魂と交信している。異次元との交流をしているのだ。

 文明は次の次元へと進んでゆく。いち早く追いつけるのはオレだ…と、紙を喰って少しした段で、回ってきた。と、酔っていたら原田宗典の『メメント・モリ』でネタ喰って、未知の発見・発明をしたといったことを言い始めたら、結構ヤバい証拠と書かれていたのを思い出した。

 --正気に、と言い聞かせた。

 坂本は回っている。結構きたのか、ブツブツ何かを囁いている。それすらギャグに思えた。ギャグなんだ、世の中はよ。

 イザコザなんて面倒。

 なくして皆で仲良くしようぜ!なんて、心が躍っていた。が、さきの原田の言葉を思い出し、正気の自分に戻ろうと努めた。おかげで、目的地に着いたら、すっかり醒めていた。

 それまではひたすら笑いこけていた、記憶しかないのたが。坂本がカラオケ店の店主と、ひと、ふた言話していた。

 「入れろってよ。秘書は後ろから。中山、頼むぞ」
 「オッケー、うまくやるから」
 と阿吽のやりとりで、オレは薄暗いカラオケ店に向かって、モルヒネが抜けて口が軽そうな、秘書を連れ込んだ。

 部屋番号は”17”。

 ヨレてる場合じゃねえな。頬を両手で叩いた。

 「お〜い中山。一曲くらい歌おうぜ」と振り切れたような、坂本。なんなんだろう。最初は嫌悪していた。組むのがイヤで仕方がなかった。だが、今は親近感を抱いている。――娘の姿、コイツの過去。人間らしさが伝わると、情が湧いてくるのかもしれない。

 一方、秘書はどうでもいいんだ。コイツなんてポンコツな長野の歯車に他ならない。興味なし。

 カラオケでアイドルユニットの曲を熱唱する、坂本の姿は、童心に満ち溢れていた。まただ。今度は気持ちの悪いギャップだけど。

 「いやあ、このアイドルにこの曲はアイドルは娘が大好きでさ。俺も一度は熱唱したと思ったのよ。家族のいるところで歌ったら引かれるだろう?」
 「オレでさえ十分引いてるって」と、挟んだものの無視。
 「あ〜あ、いい汗かいちゃった」
 「坂本さんよ、まあまあイタいぜ?」
 「かもな。それ以上に痛い思いをするのは、アイツだけどな」と不気味な笑み浮かべながら言って“17”のソファに、仰向けで横たわっている、秘書にビンタをした。

 まだなんか言っている。「なぎゃにのしゃんはぇひでゅいでちゅすよ」-ー「長野さんは人遣いがひどいですよ」。意外だな。外ヅラがいいタイプか。

 見ている分には楽しい。だが話が成り立たないほど壊れちゃマズい。目を醒まさせるか。

 大声で「オイ!!!!!」とオレが言うやいなや秘書は、恐れおののき青ざめた表情をこちらに見せる。続けて、

 「で、どこなの?」
 「ぃいえみゃ…」と逃げに回ったと思えた瞬間、鳩尾に1発入れた。cオレのいるところから、大体1メートル。勢いさえあれば十分。

 「で?」
 「す」

 なんだよ。
言えます」か。

 坂本は「暑い」と言い、Tシャツを脱いだ。刺青だらけ。威圧すんのか、その姿を秘書に見せつけていた。今回は「ミスマッチ」していない。こういった武闘派な面に憧れて極道の道を選んだのだろう。

 坂本に任せてもいい気がしてきた。

 「坂本さん、分かるっしょ?段取りは」
 「もちろんだぜぃ!」と、意気込みと凄みが尋常じゃない。

 オレは疲労感に打ちひしがれた。どっとやってきた。眠気にも襲われた。今のうちにドサクサに紛れて錠剤のメタンフェタミンでも喰うか、と手を伸ばしかけた矢先に、

 「江東キュのきょう援会…のきゃいじょうに居ます」とすぐさま吐いた。

 「江東区の後援会会場だな?」と一押し。
 秘書は驚いた表情でうなずいた。

 今は夜中の1時。念には念を入れた。

 「じゃあ、ロリコン秘書くんは後援会んとこまで同行ね。もちろん逃げるなんて無理だけど、逃げようもんならよ、坂本さんに預けた保険証やらなんやらすべて持ってかれんぜ?想像してみ?オメエの携帯に『清楚ちゃん』と落ち合う予定のやりとりが残された携帯電話のトーク履歴が週刊誌やらにバラまかれたらどうなんか」と、夢から目を醒ます「魔法」の言葉をかけた。

 オモチャみたいなもんだ、コイツぁ。

 われに返ったのか、顔が引きつっている。独身だ。育ちは良さそう。
 「で、明日は何時に長野は会場に来るんだ?」と坂本。

「9、9じゅでしゅ!」と恐怖に染まった、なんとも情けない声で応じた。

 坂本は即座に右翼トリオに電話。朝の9時半に街宣をしろと、伝えていた。電話越しに3人の揃った「押忍!」との返事が聞こえた。

 右翼をどう使うか――。まず右翼トリオが街宣車から長野に乗り込もうとする。次に秘書が長野に逃げるよう案内。それで、坂本の車に詰め込む。そのまま三上んところまで運ぶ予定。

 にしても、時間が余る。

 ここは坂本と相談して、交代で車中泊をすることにした。明日に備えて、寝ておくのも仕事だ。坂本も疲労を隠しきれていない様子だった。「坂本さん、先に行きなよ」と言い、サカフォードで4時間ほど寝るように伝えた。

 で、そのあとはオレ。

 もう秘書は半分寝ている。4時間後には目が醒めるんだろう。何があったか、頭の中が混乱するだろう。そん時には、坂本がゴリゴリに詰めているんだろうけれど。

 オレは携帯電話を取り出してKindleに入れてある村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』の続きを読み進めた。

 兄弟が別々の道に歩む。――オレはまだ、血のつながりのない、兄弟のような親友、ジュンちゃんのことが気になっている自分がいた。

 別の道を歩いたんだ。

 ややあって、「その女」が再び浮かんできた。

 --何もんなんだアイツは。

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