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ニューロテックの思想 ver.1 (2024/04)

はじめまして!
東京大学・大阪大学でニューロテックとAIの研究をしている水口成寛と申します。
(自己紹介については、また別途書きます!)

日頃、ニューロテックの未来についての構想や思想をNotionに書き連ねているのですが、せっかくなので、Noteに記録として残し、またどこかの誰かと思想を共有できたらなと思い、本記事を執筆することにしました。

自分で言うのもなんですが、かなり独白的なきらいがある文章を書くことになると思いますので、その点ご容赦ください。(Claude 3 Opusへの謎の対抗心)

ニューロテックとはなんぞや、と言う方は基礎的な概念や実例を紹介した良記事が他にたくさんあると思いますので、そちらを参照してくださればと思います。


1. 人類とAIの進化

1.1 AIの進化

 ニューロテックについての記事なのですが、まずは導入として「人間とAIの進化」について考えを述べたいと思います。
 勘の鋭い? 方はさては、と思われるでしょうが、私はニューロテックの延長上に、この「人間とAIの進化」(正確には共進化)という目標を据えています。

 この分野に詳しい方はAIについても比較的明るい方だと思いますので、昨今の
AIの進化の系譜は省略しますが、Claude 3 Opusなどの大規模言語モデル(LLM)を
はじめとして、ビックデータと誤差逆伝播ベースのDeep Learningを両輪に、AIは日々目覚ましい進化を遂げています(この場合、燃料は計算資源ですかね)

 LLM分野でも、最近 Sakana AIから進化的モデルマージなる手法が発表されました。ここでの進化はいわゆるEvolutionary Algorithmですが、、


 このように、多くの言語的活動や知的生産活動において、AIの能力はすでに平均的な人間をはるかに超えています。
 
 余談ですが、最近のテクノロジーは人間をどんどん「考え」させなくする方向に図らずしも使われているので、広義での「人間のBot化」なんてものも同時進行していると言えるでしょう

 孫正義氏はあるインタビューの中で、「AIの進化に対して人間も進化しなければならない」と発言されていましたが、ではそもそも人間が「進化」するとはどういうことでしょうか?

1.2 人間の進化

 進化学、特に進化生物学的に考えてみると、遺伝的に適応進化したと言える例は
私たちホモ・サピエンスでもみられます。(注釈: ここでの「適応」は厳密に使うのには注意を要するものです)
 例えば、水中に15分以上潜水できるインドネシアの民族、Bajau族の人々の能力は、多くの人が一度は聞いて驚嘆したことのある、進化の多様性がわかる良い実例でしょう。

 こういったヒト種間の大きな違いは、多くの場合、身体的能力認知能力( 瞬間記憶能力など)に大別することができます。 
 
 遺伝的要因にほぼ依存するこうした多様な身体的特徴は、まさにヒト種と自然との相互作用から生まれた多様性ともいえます。
 また、分子生物学的な進化の他に社会文化的な模倣子(ミーム)といったものも進化するモノの一つです。

 では、人間と機械、ひいてはデジタル空間とのインタラクションについてはどうでしょうか? この種の技術の中で最も有名なのはVR/AR技術だと思いますが、近年しばしば耳目に触れる機会が多くなったものは、BMI(Brain-Machine Interface)でしょう。

 侵襲/非侵襲BMI (以前は侵襲=BMI、非侵襲=BCIという区別が主流でした)の技術的な限界、将来の展望についての私評は後日にするとして、ここではこの技術を今までの文脈から捉え直してみます。

 つまり、脳の進化という文脈です。

 今までの進化の産物としての我々が持つ脳の仕組み、身体との関係などについては、池谷先生の「進化しすぎた脳」など分かりやすい良著が多くあります。

 これらを読んでみてやはり思うのは、今の我々の脳には更なる進化の余地が多分に広がっているだろうという事です。
 そもそも、思考・意識・言語・記憶といったものは、私達にとって本質的に重要であるのに私たち自身よく分かっていない(そもそもよく考えたことのない)、脳の処理機構によるものです。もちろん、身体は脳のボトルネックであると多くの学者が考えているように、身体性も重要な要素ですが、、

 そして、これら高次認知機能についての人類の理解はまだまだと言わざるを得ません。神経生理学的・解剖学的な分析的なアプローチにしても、AIのような「知能を創る」ことで理解しようとする構成論的なアプローチにしても、程度の差こそあれ日々目覚ましい勢いで研究が産生されていますが、その最先端は最終到達地点からまだまだ乖離があります。

1.3 BMI技術の現状

 こうした背景から、BMI技術のような学際領域において、認知・運動(・言語)についての研究がほとんどであるという現状は当然といえば当然です。

 細かいところだと、USCFのEdward Chang 研究室は今ホットな研究を多く生み出しているスター研究室で、今後数年間のBMI研究の先駆けとなっていくでしょう。

 「本当の意味での」思考や言語、記憶のBrain-Machine Interfaceを議論するにあたっては、やはり測定・刺激=デコード・エンコード技術の詳細を把握し、脳の仕組みそのものについての理解を深めなければなりません。 
 ここで例えば、ヒト侵襲だと皮質表面の何千〜何万電極での計測、海馬-皮質同時計測、StentrodeやNano particleによる測定/刺激技術などが盛んに研究されており、非侵襲でもMEGやUltrasoundなどが急速に研究が進んでいる感があります。

 こういったデータ測定の部分は大きなキモですが、個人的には様々なモダリティで取得したデータの応用方面にとても関心があります。
 数万のニューロン集団の電位の揺らぎである脳波をどうモデリングするのかという方法論でさえ、深層学習から数理モデル、情報理論など様々存在し、BMI/BCIなどの神経工学分野においては更なる設計の創意工夫、AIシステムとの統合により
とても面白い技術が実現できるのではと考えています。

 以上、BMI技術の現状を見てきましたが、ここでその定義に立ち戻って、より本質を考えていければと思います。

2. BMIの再定義

2.1  BMI=脳と機械のインターフェース?

 1章では、AIの進歩に伴って人間が享受しうるコトの一つに、脳の「進化」という可能性があること。そしてその駆動要因の核となる技術が、BMIのような脳とデジタルを繋ぐ技術になるかもしれないという(ありがちな)論を展開してきました。

 ここで、BMIの定義に注目してみましょう。欧米のニューロテック界隈では侵襲型/非侵襲型はほぼ別の分野かというほど棲み分けられた価値観が浸透していますが、いずれにしてもBMIの直訳である“脳と機械のインターフェース“が、広く認められている定義です。

 しかし、神経デコーディングの権威であるATR研究所 神谷先生は "BMI 研究はなぜ同じ失敗を繰り返すのか(日本BMI研究会, 2021.11.5)"において、この定義を新たな切り口で捉え直しています。

2.1 「脳内にコードされている世界モデルの外在化」としてのBMI

 この資料において特に面白いと思ったポイントは、原子・分子や自然の階層構造などにより構成される物理的世界に対し、ニューロンとスパイク/神経ネットワーク/局所・遠隔コネクションなど、脳は世界を独特な方法でコードしており、この脳内世界モデル( 内部モデルとも言われます)を外在化・共有 、すなわちデコーディングやモデリングするテクノロジーとしてBMIを再定義しようと提唱されている箇所です。

 この神谷先生の素晴らしいスライドは、BMI研究に関わる全ての人の必読ともいえる資料であり、先生ならではの痛快な切り込み方は思わず口真似をしたくなるほどです。

 ここで、私の感想を述べてみます。

 確かに、臨床応用への需要 (てんかんの治療の為に臨床脳波が発展したように)
から生まれたBMI のような技術は機能代替prosthetic的な側面が強調されており、基本的に「マイナスを0にする」というまさしく臨床医学的な価値観で語られることが多いです。

 これによって、よくよく考えてみれば当たり前のことである、物理的世界と頭蓋に閉じ込められた脳をつなぐ身体性というチャンネルの他に、身体性を介さない形で脳内表現をデコードするチャンネルを開設する技術がBMIである、という事実を見えづらくしてしまっているのではと思います。

 ちなみに、この脳内世界モデルについての有名な理論の一つに、AIの世界モデルとは別に、神経科学者 Jeff Hawkins氏が提唱している「1000の脳理論」がありますが、個人的にかなり面白かったので是非参照ください。

 このような文脈でBMIを捉え直してみると、現在の「前できたこと・障がいをできるようにする・治療する」という方向性だけでなく、「ヒト史上今までできなかったことをできるようにする」という新たな可能性が開けてくるのではないでしょうか。
 これこそ、BMI技術の発展先として健常者も視野に入れている (とほぼ確実に思われる)イーロン・マスク氏の目指している方向性であると思っています。

 それでは、健常者への応用が可能となった未来を妄想するにあたり、ニューロテクノロジーに思想的な意味づけを与えてみましょう。

3. ニューロテックの思想

3.1 そもそも健常者で広まるのか

 この問題については、神経法学や神経倫理などの学問があるように社会文化、法制度、現代倫理とも関わる複雑な Open questionです。また安全性など技術的側面も大いに関わります。

 私自身の見解としては、かなり楽観的な方です。そもそも「広まる」をどう定義するかに依ります。

 例えば非侵襲BMIだと、医療用脳波デバイスが全国の半数以上の病院で導入されている社会、またより安価な脳波デバイスでヘルスケア・エンタメ領域で現在の細々とした売上を立てている人達にとっては、街中とか車内で脳波デバイスを着けてる人を見かけても特段不思議ではない、みたいな社会にできればまず上々で、「広めた」ことになるでしょう。
(無論、そういう人達はヘッドフォン・イヤフォン型など脳波以外のモダリティも計測できるデバイスを開発していくと思いますので、厳密には、用途に応じた
"脳情報"の活用が浸透していくと思われます)

 なので、「侵襲ニューロテック」が健常者にも広まるのかどうかについて議論したいと思います。

 これについてはやはり、安全性・コストの問題がある程度解決されないと難しいでしょう。しかし、イーロン・マスクが示してくれたように、巨大資本の一点投下によってアカデミアの果実を存分に使いつつ、ラボでは解決できないこと(完全ワイヤレス化とか)をヒト・カネで解決していくスタイルが当分は功を奏していくと思います。

 そして、50年後・100年後を考えた時には、ヒトの社会的様態・在り方そのものも大いに変わっていくことは必定と言えます。現に、脳以外の身体部位への埋め込みデバイス、人体のヒューマノイド化などの物質的な変容に加え、AI・ITの凄まじい社会への浸透によりヒトの生活とデジタル空間は融合しつつあります。

 この物質的・精神的変容の方向性は、幸いなことにニューロテックの思想と見事に相性が良いです。
 我々がスマホのアプリを愛しているように、ニューロテック(特にBMI・Neuromodulationなど)で可能となるアプリ的機能が増えていくに従って、また現代人が生まれた瞬間から刷り込まれているバイアス・価値観が常に更新されていくにつれて、侵襲ニューロテックに対する抵抗感は間違いなく薄らいでいくと思っています。(もちろん割合についての話です)

3.2 「ヒト」のあり方

 ここで、スマホという破壊的イノベーションの好例を持ち出します。ほとんどのヒトはその小さな箱を我が子のように大切にしていますが、これは人間知性の
あり方
についても破壊的な変容をもたらした、というのが私の考えです。

 スマホとスマホを使っている人間というエージェントがいる系を考えてみます。大体の場合は人間の手・視覚(聴覚)・注意がスマホに拘束されているはずです。

 インターネットと即座に繋がれるその人間が、裸でどこかの草むらに放り出された時の無力感を想像してみると、如何にスマホ(を介したインターネット)という外部知能に依存しているかわかります。現代人はインターネットによってすでに拡張された知能を持っていると言えます。
 
 スマホ以前以後と比べてみると、ヒトの在り方は破壊的に変わっている事がわかります。

 これと同じことが未来に起こりうるとしたら何でしょうか?

 一つはヒトの移動、つまり空間的自由度は大いに変わりそうです。(宇宙、海中、空、地上でも)

 そして、生身のヒトが経験する世界も大いに変わるでしょう。この「経験」というのは、詰まるところ感性・知覚・感情などの組み合わせです。ヒトが認知する世界がVR/AR空間、そして神谷先生の言う「ニューロバース」へと拡張されていきます。身体性を介さない形で、ヒトの脳とデジタル空間が直接的に繋がることが可能となった暁には、まさに想像のつかない能力が創発する可能性は多分にあります。

3.3 予測不可能性がカギ

 ここで、現在の間接的なデジタルとの接続との違いを考えてみると、その一つは、スマホに拘束されている限り、インターネットという計算可能な空間の中でしか人間は振る舞うことができないことではないでしょうか?(SNSのコンテンツ最適化機能などがわかりやすいでしょう)

 このような予測可能な空間で、人間がなお依存的に飽きないのは、その情報が膨大すぎて認知の限界を超えているからです。

 また、もう一つの重要なポイントとして、この間接的なインターフェースは言語という記号によって駆動されている所が大きいという事です。
 言語によって切り貼りされた空間で過ごす時間が多い私たち(特にZ世代)は、言外の情緒といったものに対してより鈍感に、そしてその曖昧さに耐えられなくなってきた気がします。

 しかし、ニューロテックが描く世界観としては、例えば、基底核のヘブ学習のように脳とAIとの強化的な学習により人間のBMIコントロール性能が想像以上に向上することや、文献に散りばめられている脳の可塑性の威力、記号言語に縛られないモダリティでのコミュニケーション•表現の可能性(例えばイメージのデコード研究)などからわかるように、この総じた脳の予測不可能性が大きな鍵となっています。

(全脳シミュレーション、デジタルツインや数理神経科学分野ではまさにここに挑戦していると言えますが、こうした分野の進歩がニューロテックの進歩に繋がることは明白です)
 
 こうしたニューロテックによって可能となるかもしれない認知の拡張は、ある意味では通常何世代、何十〜百年という時間スケールで進行する「進化」をヒトの個体レベルで一世代のうちに起こすことができるのでは、なんていう妄想も引き起こしてくれます。

4. 最後に

 後半はやや現実の技術的限界との乖離があり、思想的な内容になっていますが、総じて私が思い描くニューロテックの思想に少しでも共感(批判でも)いただけたら嬉しいです。

 私自身の自己紹介はまた別の機会に書けたらと思います。
 今年20歳になり、去年よりさらに精進して参ります!

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!!!!!!!



参照文献
BMI 研究はなぜ同じ失敗を繰り返すのか(日本BMI研究会, 2021.11.5)
Physiological and Genetic Adaptations to Diving in Sea Nomads: Cell




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