自己分析。

私は診断上うつ病で、精神障害者3級である。
そんで、障害者継続就労支援A型施設で働いている。
ちなみに、その中でも弊社的な枠ギリギリの目一杯の勤務。
ふつうの事務パートくらいの内容はこなしていたりする。

うつ病なのはイフェクサーが効いていることと、主治医以外にも精神科医にかかったことがあるのと、他の疾患で血液検査バチバチ受けた時に肝数値くらいしか引っかかってないので、納得はしている。
が、少しだけ「なんでうつ病になったのか」を分析する。

実の所、診断してもらうほど困ってはいないが、発達障害グレーである。自己チェック的なやつやるとADHDはかなり高確率でヒットするし、それ以上に幼少期に運動機能に難ありだったからだ。
身体を真っ直ぐにしなさい、ということに対して、とりあえず力任せで踏ん張ることしかわからなかった。首は右に傾げているのが楽らしく、傾げていることを指摘されたことが何度かある。
走ることや器械体操的なものが極端に苦手でなのだが、別に教えてもらえなかった訳でもない。
父はスポーツがとても好きで上手な人で、熱心ではなかったが最低限教えてくれた。のだが、中学校時代の私は100m走るのに20秒以上かかった。
その頃はどちらかと言うと細身で、内耳が敏感で車に酔いやすくて、バランス感覚はまともだったのだが、走るとか投げるとか、下手なんてもんではなかった。
なお、二つ下に弟がいるが、彼は陸上を本気でやらないか?とお誘いがかかるくらい短距離走が速かった。本人にやる気がなかったからそっちに進むことはなかったけど。
あと、衝動性は割と酷くて、癇癪を起こしては物を投げたり泣き喚いたりして、うまく感情表現ができなかった。
因みに学習面で苦労したことは無い。
語彙だけはあるので、好きなことをずっと喋ったり、目に入った看板を読んだり、そんなことをしていた。やたら看板を読んでいたのは母がものすごく印象に残っていたらしく今でも言う。

たまたま、私は狭いコミュニティの実生活と、時間差のある手紙を使う遠距離の友人という人達と過ごすことになり、人間関係が濃縮された世界にいたので、フォローが上手い方に作用して、あまりそれが露見しなかった。

もうひとつ気になることがある。
HSPの概念だ。まぁ簡単に言うと敏感な人。
発達障害の感覚過敏とややこしいので、なんとも言えないのだが、些細なことが気になる。
小さい頃はジャストサイズの下着と靴が苦手だった。常にオーバーサイズのショーツを履いていた。
家鳴りや家電の駆動音はもちろん気になる。小3で移り住んだ現在の実家、元々私の部屋は風呂の真上で、風呂の換気扇の音がダメで気持ち悪かった。
匂いも、特定のものがだめで嘔吐く。
耳に入る音は音階と言葉をかなり小さくても追える。
人の大きい感情はだいたい見たらわかる。機嫌の悪い人に近付きたくないと逃げがち。

HSPは一般的に情報が多過ぎてフリーズすることが多いらしいのだが、私は処理能力が伴ってしまっているのか、雑多な音がする所ではおおよそを聞いて把握してしまう。
瞬間的に思考するのがもとより得意なのだが、社会人初手が機械操作系のCSコルセンだったから、少ない情報からものを引き出す思考を秒単位でこなすよう訓練されていて、それが拍車をかけた。
うつの発症はこのころ。出来すぎたのが繊細さによる許容値を大幅に超えさせた。
亡き祖母が晩年、体調が悪くなると泣くのだが、家族の誰も聞こえていない中、私は離れた自室にいるにもかかわらずそれが聞こえていた。
その頃はもう、祖母と関わることもストレスで不眠とパニック発作をきたしていたし、祖母にはあまり好かれていなかったので近寄れなかったけれど。

こういうのが、小さい頃にすでに影響していたのか、実は胃痛と偏頭痛が常に酷い子供だった。
胃カメラ飲んでも綺麗だから、自律神経がダメで動きが悪いってことらしい。
胃は大人になってマシになったけど、偏頭痛はいまもある。

親との関係性とかもあるけど、こういうのの積み重ねがストレスのキャパオーバーになったんだろうなぁとか思う今日この頃である。

今年は色々重なったり、気候もあって、とても弱っている。寝ていたい。眠れないんだけど。
障害年金での収入があるので、何もしなくても死なない程度のお金は入ってくるだろうけれど、しんどい身体をありとあらゆる方法で楽にするほどのお金はない。
とりあえず、生きるしかないんだけどね。

サポートとしてくれると生き延びられます。