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今年ベスト級のノンフィクション『海賊たちは黄金を目指す: 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘』を読む

知らない世界を覗き見られることがノンフィクションというジャンルの基本的な良さである。したがって、取り上げられる人物・テーマが読者にとっての日常とかけ離れていればいるほど、書籍からの発見は多く、読書は刺激的なものになる。

そういうわけで、俺はかねて「海賊ノンフィクション有能説」という持論を唱えてきた。その論が間違っていなかったと証明するかのような……どころか、数多ある海賊ノンフィクションのなかでも出色の仕上がりになっている最高の一冊が、キース・トムスン『海賊たちは黄金を目指す: 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘 』(東京創元社)だ。


1600年代後半にカリブ海で大暴れした、バッカニアと呼ばれる海賊が残した手記をもとに、彼らがどのような毎日を送っていたのかが詳らかにされていく。

全員がそろうと、「骨休みとご馳走」の日々が三、四日続いた。それに関するシャープの日誌の記述は、「宴会」の一語である。

壊血病に冒された乗員たちは甲板下の睡眠室で回復を待つしかなかった。そこはゴキブリが這い回る不潔極まりない場所であるうえに、木造船の宿命といえる水もれもある。

二、三の問題で口論になった。そのうち最も重要な争点は、これから何をするべきかという、この集団の次の行動だった。激論を戦わせるみんなを、司令官であるシャープがまとめようとするかといえば、そんなことはなく、彼は総督の裏切りに相変わらず腹を立てて、「油断ならないスペイン野郎ども」と怒鳴り散らすばかりだった。皮肉にもそれが、バッカニアたちの次の行動を決めた。すなわち、叛乱である。

ありありと往時の姿が頭に浮かぶじゃねえの。いいじゃねえの。とはいえ、想像に難くないように、海賊というのは自身の偉業を誇るべく大言壮語をはばからない。それだけでなく、逆に、裁判にかけられた時の証拠資料として利用されることを懸念して重要なポイントをぼかして書いたり(書かなかったり)もするらしい。

要は、手記=当時のリアルと真正直に捉えてよいのかはなかなか判断が難しい、となる。

ただ、訳者まえがきには「どの事件に対しても、入手できた海賊たちの日誌の叙述をすべて突き合わせて、その異同をつまびらかにし、かつまた第三者の客観的な記録も参照して、そこから浮かび上がる事実を浮き彫りにしていく」とある。著者の文章は信用に値すると俺は思う。

では、2年間の航海(とはいえ、舞台は海上だけでなく、沼地であったり、川であったり、ジャングルであったり、山であったりする)の過程で海賊たちの身にはいったい何が起こり、それらを彼らはどう受け止めるのか。

これが意外にも情けないエピソードが多い。

今となっては「危険な冒険から足を洗って故郷に帰りたいと、気持ちは完全にそちらに傾いていた」。(略)「もうこれ以上、野蛮なインディアンたちに信頼を置くのは恐ろしいし、いやだった」。

愚痴。

「水への渇望はもう限界を超えていた」と書いている。配給はさらに減らされ、「一メジャー」--おそらく八から六オンス--となり、この時期に入ると、誰の日誌の記述も非常に素っ気なくなるか、まったく書かれない。シャープの十月の日誌は、「何事も起きず、ただ航海するのみ」としか書かれておらず、ディックは「飢えと乾きが極限するまで達する日がひたすら続いた」としか書いていない。

愚痴すら書かない。

常に前向きのイケイケドンドンじゃないのがなんとも人間らしいじゃねぇの。金銀財宝を希求しながらも、生活は過酷。愚痴の一つや二つは吐きたくなろう。すべてが面倒になって日誌を無視することもあろう。海賊って言ったって俺とさして変わらねえじゃねえか。随所で笑える。よい。

ただ、単に笑えるからよい、というわけではなく、その背景にペーソスが通底しているのが一番のポイントだ。

というのも、本書の登場人物である海賊たちは、時代の流れに取り残された男たちなわけである。

世界史を振り返ると明らか、なのか。もともとは国家の利権争いから、合法的に海賊は利用されていて、いわば海賊はヤクザというか自警団、傭兵的な存在だった。が、時代は流れ、当時の帝国スペインは弱体化する。伴い、国交は正常化し、各国は軍隊を増強する。その煽りを受けて……と、次第に海賊は社会の誰もから認められない存在となっていく。状況、そして彼らの心境にとどめを刺したのは、バッカニアを代表する海賊だったヘンリー=モーガンのジャマイカ副総督就任か。かつての同胞からの厳しい取り締まりが行われるなか、航海を続けていたわけだ。いわばアフター黄金時代の違法な生き残りなんだよな……。

これまでギリギリのラインで許されてきた生き方が、一転してただの無法者となる。それでも各人の思想があっさり変わるなんてことは当然ながらあり得ない。社会との摩擦が激しくなって、生活を取り巻く環境はどんどん悪化する。それでも、海賊という生き方を変えない男たち。しびれる。

西部開拓時代が終わりにさしかかる頃のギャング団を描いたゲーム「Red Dead Redemption」シリーズしかり、俺はこういう、なんていうんだ、信念が時代に合わなくなってしまいながら、それでもなお信念を貫く人間たちのやりきれない悲哀に弱い。

と、話が脱線したが、冒険譚として「これぞ海賊」と唸る逸話も事欠かない、ゆえにエンタメ性も確り担保されている。

マスケット銃を持つ相手と勝負したらどうなるか、何もわかっていないようだった。ソーキンズはひとつ実演をしてみせることにした。銃を構えて引き金を引くと、ちっぽけな鉛の球が見事に稲妻に変わって、守り手のひとりを倒した。それに反応する暇もなく、彼の仲間たちも標的になった。さらに五発の銃声が響き、銃弾が風を切る胃がねじくれるような音と、被弾した人間の長く尾を引く悲鳴に、プエブロ・ヌエボを守る残りの人間たちは固まった。

そこで突然シャープが銃を放ち、甲板にスペイン人修道士の血が飛び散った。誰もがその場面を目撃していた。“浮かれ野郎ども”もバッカニアも、唖然として口がきけずにいると、まだ息をしている修道士をシャープが海へ放り投げた。

「数が多いのを頼みに、(スペイン人たちは)われわれを取り囲んだ。こんな少人数相手なら楽に勝てると思っているらしい」と、カヌーに乗っていたコックスが書いている。しかし、この騎馬隊の多くは槍だけの武装だったから、一斉射撃を切れ目なく続ければ、ボートが到着するまで敵を寄せ付けないでいられるとシャープはにらんだ。仲間たちを六つのグループ--一グループ五、六人--に分けて、それぞれのグループにシャープは一斉射撃を命じた。「無駄に飛んでいく弾はほぼ皆無だった」と最初の一斉射撃についてコックスが書いている。

情けない姿からイケイケな姿まで。男たちの日々を追っていくなかで、彼らが一体どんな出自で、なぜ海賊になったのかも明かされる。なんと、手記を残した人物のなかには、あの『最新世界周航記』(岩波書店)を著した、世界的な博物学者ダンピアまでいる(!)。他にも「なんでそんな育ちでそんな生活を送ってきて、わざわざ海賊に?」という人は少なくない。

彼らがなぜ海に出たのか。厳しい生活にもかかわらず、なぜ海賊であり続けたのか。そして、どう、海賊であり続けたのか。書籍を参照されたい。よい。

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