危うい精神科医のマニアックな私的調査『死は予知できるか 1960年代のサイキック研究』を読む
未来を予知したいと考えたことはあるだろうか。俺にはある。主に競馬予想において、である。
そんな現金な発想とは違い、「災害や事故による死を未然に防ぐ」という真っ当な理由のために、真剣に未来予知を研究した精神科医の男がかつてイギリスにいたという。
『死は予知できるか 1960年代のサイキック研究』(亜紀書房)は、彼がいったいどんな人物だったのか、予知研究はどのような結末を迎えたのかを辿っていく一冊となる。
主人公となる精神科医のジョン・バーカーが、未来予知について研究を始めるきっかけとなったのは、1966年にイギリスで子ども116人を含む144人が採鉱廃棄物の濁流に飲み込まれた「アバーファン炭坑崩落事故」。事故現場でバーカーは災害にまつわる、いくつかの“奇妙で感情的な出来事”に遭遇した。
翌朝、学校でエリルは生き埋めになっていた。
これは予知に他ならないのではないか?
『死ぬほどの恐怖』という本の著者であり、“他人が気味が悪いとか説明がつかないと感じるようなこと”に関心を寄せていたバーカーはそう考え、「死は予知できるか」についての研究に本腰を入れる。
とはいえ、上に引用したエリルのエピソードは死を予知した夢のようではあるものの、母の証言は事故後になされたものである。事故が起きた後なら、なんとだって言えるじゃねえか、となる。
では、バーカーはどのようにして予知の存在を証明しようと試みたのか。敏腕新聞記者らとチームを組んで「予知調査局」をつくり、それを各所で宣伝するという手を打つことにした。
有象無象の情報を収集していくなかで、信頼のできるものを精査しようという試み。最終的な目標は、国家が災害・事故についての早期警告システムを設置し、そして、進歩的な精神科医として脚光を浴びることだった。
そんなプラン、合理的に考えれば、「そう簡単に災害とか事故を予知できるわけがねえだろう。預言者なんているわけもねえ。そもそも予知が一回でも外れたらどうなるんだ。アホくせえ」である。
というわけで、どんな風にこのペテン師精神科医は失脚していくのか、に俺は注目して本を読み進めていた。
が、バーカーは僥倖を得る……。
通常の情報提供者と比べて明らかに予知能力が高いと思われる人々ーー知覚者と称されたーーのうちの一人、ヘンチャーという44歳の男性から寄せられた「山々の上を飛んでいるときだ。無線でトラブルを連絡する。それから急になにもみえなくなってーーなにもかもだ。旅客機には123人か124人が乗っていて生存者は1名だけ」という予知が現実のものになったのだ。
一連は新聞でも報道された。
世間からの反応も大きく、バーカーの野心、そして、予感を信じてほしいという知覚者の欲求は、重なり合いながら加速していく。
個人的な研究に没頭するあまり、病院からバーカーへの締め付けがキツくなっていたこともあってか。虚栄心からか。知的好奇心からか。バーカーはどんどん予知研究の維持へと自身のリソースを注ぎ込んでいく。
しかし、その頃、バーカーはヘンチャーから“ある予感”があったことを伝えられていた……。
「濃い色の車を持っていますか?」
バーカーのゼファーはダークグリーンだった。
「とにかく気をつけてください」
「ご自身の身に気をつけてください」
その予知は当たったのか。はたして。結末に至る過程は本書の白眉なのでネタバレを控える……が、結果はなんとも、なんともだ。
なお、役者あとがきによると、昨今の先端科学の世界では「量子力学など最新の科学の分野では『時間』の概念そのものを新しく捉える学説や人間の意識が周囲の現象に影響を与えている可能性がある」という研究データもあるという。
常識に囚われない考えが、新たな常識を生み出すのはこの世の常である。それだけに、人類史をマクロな視点で見ると、バーカーの取り組みが荒唐無稽なものではなかったといわれる日が来るのかもしれない。が、俺には想像もつかない。
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