紅型ナワチョウ 縄 トモコ

沖縄で伝統工芸の染め物「紅型染め」をしております。I am doing traditional crafts and bingata in Okinawa.http://bingata-nawachou.com 徒然と制作するときの心など綴っていけたらと思っております。

紅型ナワチョウ 縄 トモコ

沖縄で伝統工芸の染め物「紅型染め」をしております。I am doing traditional crafts and bingata in Okinawa.http://bingata-nawachou.com 徒然と制作するときの心など綴っていけたらと思っております。

マガジン

  • 琉球新報掲載「落ち穂」

    琉球新報・文化面のエッセー「落ち穂」に掲載いただいた文章を転載しています。 2020.7〜12月。毎月2回載ります。 その度に、こちらでもUPしていこうと思います。 文章を書くにあたりの裏話も少し、記載しています。笑。 どうぞ、お楽しみに!!

  •  紅型ナワチョウ徒然制作心日記

    紅型ナワチョウ・縄トモコと申します。 制作風景と、制作するにあたっての心などを 徒然と綴ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

最近の記事

琉球新報・落ち穂 第10回掲載エッセー

「影」  紅型を染めていて、好きな工程はどこですか?と、よく聞かれることがある。どの工程も好きなのだが「隈取り」は特に好きかもしれない。色差し筆と隈取り筆の2本を使い染めていくのだが、元々染めていた色よりも濃い色を差し、ぼかしながら陰翳をつけ立体感を出すように擦り染めていく。隈を差す色には決まりがあり、桃色系は赤隈、青系は藍隈など。その決まりに沿って染めていくため、統一感が生まれると共に、リズミカルに、布が歌を奏でているような印象を与える。  工房にいた頃、色差しは女性のお

    • 琉球新報・落ち穂 第9回掲載エッセー

      タイトル「光」  沖縄の、日々の日差しはとても強い。真夏など、光の強さで目の前が真っ白になる感覚がある。光の色は、わたしにとっては「白」だ。紅型染めでは、白という色は使わない。元々の生地の白地を活かすか、胡粉と朱の混色(薄桃色)を、白と表現していると学んだ。紅型では使用しない白を、わたしは敢えて使ったりする。光を表現したいからだ。白単色を使いはじめたのは、忘れもしない、東日本大震災の日から、だ。  あの年、沖縄で個展を控えていたのだが、あまりにも大きすぎる出来事に対して、ど

      • 琉球新報・落ち穂 第8回掲載エッセー

        「命のバトン」  2016年の秋、わたしは母になった。 ぴったり十月十日で産まれた小さな娘は、精巧な作りの人形のような手をゆっくりと握ったり開いたりしていた。とても不思議だった。昨日までお腹にいた人が今、目の前に存在している。命がそこにある。まじまじと見つめながら、祖母に見せたかったと、心から思った。   同年5月、庭のつつじが咲き誇る日、祖母は逝ってしまった。享年110歳。6月が祖母の誕生日で、それを迎えることを家族で楽しみにしていた矢先のことだったので、慌てふためいた。

        • 琉球新報・落ち穂 第7回掲載エッセー

          「余白のとき」 2016年、臨月だったわたしは、里帰り出産のため、高校卒業以来ではなかろうか…と思うくらい、ゆっくりとした時間を過ごした。季節は秋、庭の金木犀が満開であっという間に散ってしまった。香りだけが、いつまでも心に残っている。 故郷の鳥取は、良くも悪くも、田舎で変わらない。そこが嫌で早々に飛び出してしまったのだが…35歳。大きくなったお腹で病院まで歩く川沿い、道に咲く秋の花々や曇天の空色が、長く沖縄で過ごしてきたわたしの心に染み入ってきた。ずっと走るように染め、

        マガジン

        • 琉球新報掲載「落ち穂」
          10本
        •  紅型ナワチョウ徒然制作心日記
          5本

        記事

          久々に徒然と

          深夜に染めながら 徒然と想うこと 博物館に収蔵されているような 染や織、刺繍など 荘厳だったり緻密だったり 決して今では再現できないような…と 形容されることが多い なぜ、そんなものが作れたのだろう 命がかかっていたからだろう、か 例えば献上されるものであったならば 期限や、間違いなどあってはいけない 琉球王朝時代にも 人頭税という税が課せられ 織られた織物など、本当に美しい 昔、韓国に行った時 ポジャギというパッチワークや 恐ろしく細かい刺繍を見た 韓国は、当時世界

          琉球新報・落ち穂 第6回掲載エッセー

          「紋様の魔法」  紋様に惹かれたのはいつだったろう。本当に小さな頃から、原始的な紋様、縄文土器に描かれているような渦巻きや、アール・デコ紋様が好みだったのは覚えている。多感な高校生〜専門学校時代、ビアズリーの繊細な白黒の世界や、フンデルトヴァッサーの鮮やかな曲線の世界に憧れていた。来沖し、紅型染めをはじめた頃は古典柄を模倣するところから学んだのだが、日本の影響からくる花鳥風月に季節感がなく(藤の花に桜・鳳凰etc)、その大らかさと自由さに驚いた。気品がありながら、様々な文化

          琉球新報・落ち穂 第6回掲載エッセー

          琉球新報・落ち穂掲載 第5回エッセー

          「着物を纏うこと」     わたしが「着物」に興味をもったのは、忘れもしない2014年。ベトナムのハノイで参加したグループ展でのことだった。ハノイ在住の友人が発起人となり開催されたグループ展だったが、現地の日本人大使館の方々に大変お世 話になった。彼女らは、いつも公式な場所(その展示会のオープニングパーティーなど)では着物を纏っていた。わたしたちグループ展メンバーも浴衣で参加した。着物がこれだけ大事にされ、誇らしく纏われている現場を目のあたりにして初めて、着物は日本人の民族衣

          琉球新報・落ち穂掲載 第5回エッセー

          琉球新報掲載・落ち穂 第4回目エッセー

          「言葉を綴ること」  詩人・白井明大さんと初めて会ったのは、2年前の7月だった。 SNSで白井さんの存在を知ったのだが「詩人」という人に、大変興味をもったことを、よく覚えている。 お話する中で、白井さんが学生に半年間、詩のクラスをを待っていることを知り、ぜひ、わたしも教えてほしい!っと挙手したのが、はじまりだった。  翌月8月から、2カ月に1度というペースでワークショップ(WS)を開催し今に至るのだが、それはとても素晴らしいものだった。 毎回メンバーを募り、事前に出されたテ

          琉球新報掲載・落ち穂 第4回目エッセー

          琉球新報・落ち穂掲載エッセー「夏に思い出すこと」

          8/11、落ち穂掲載エッセー 「夏に思い出すこと」 わたしの亡き祖母は、明治40年生まれ。 89歳まで台所に立ち、家事全般をこなしていた。祖母が70代の時、女の子の初孫として、遅く生まれたわたしは、大層可愛がられて育ったので、生粋のおばあちゃんっ子だった。   夏といえば、おじいちゃんおばあちゃんから戦争体験を聴きましょうという課題を与えられ、聞き書きをしたことを思い出す。幼いながら、ちゃんと胸に刻まねばと思っていたのを、覚えている。   当時祖父は、仕事を求めて満洲へ渡る

          琉球新報・落ち穂掲載エッセー「夏に思い出すこと」

          琉球新報・落ち穂掲載エッセー「色にチカラ」

          はじめて、この島に降り立った日のことを、 よく覚えている。  季節は4月。今でいう、うりずんの頃だった。 瞳に飛び込んできた、輝く海の色。 日本海しか知らないわたしは、あまりにも彩度の高いエメラルドグリーンに心を奪われた。 この島の光の強さに圧倒された瞬間だった。 幼い頃から絵を描くのが好きだったわたしは、小学校〜高校の終わりまで、絵画教室に通っていた。小中、いじめられっ子で、絵を描くことに没頭する時間が唯一、心の拠り所だった。 高校卒業し、介護学校や演劇にと励む中でも

          琉球新報・落ち穂掲載エッセー「色にチカラ」

          染めている時

          染めながら、色と対話している キャッチボールをするように 音楽を奏でるように 自身の心の声を、布にうつすように そうして染め上がっていく紅型には 何か人知れず 秘めた想いが色の中に 混じっているような気がする

          琉球新報・落ち穂掲載エッセー「18年目の夏」

          この島に移り住んで、今年で丸17年になる。当時22歳。2003年7月6日。 生まれてはじめて「暑くて眠れない」という経験をさせてもらった、わたしにとって忘れられない日である。  1番最初に住んだのは那覇市の久米だった。当時で築30年は超えていたかもしれない。3K家賃2,5万。木製の窓枠にクルクル回して鍵をかけるネジ締り錠。重たい雨戸。外からは福州園の緑と筝の音色が風に乗って聞こえてくる。風呂とトイレは一体型で、シャワーのみ。古いタイルが気に入っていた。引っ越しの荷ほどきをし

          琉球新報・落ち穂掲載エッセー「18年目の夏」

          落ち穂へ半年間、エッセーを掲載していただけることになりました。

          noteをコンスタントに更新せねばと思いながら、なかなか、なかなか、、。 気がつけば、6月も終わり。 今年も、半年が終わりますね。 あと半年、あと半分。 駆け抜けねば、ねば、ねば、、です。 9月、神楽坂フラスコさんで開催予定の 帯の展示会…どうにか無事にできますように、と、願うばかりなのですが。 まずは、制作を頑張ろうと、思います。 そう、タイトルのエッセーについて。 SNSにも書きましたが 琉球新報文化面エッセー「落ち穂」 (2020年7月~12月)の、 10人の執筆者

          落ち穂へ半年間、エッセーを掲載していただけることになりました。

          楽風にて、作品集他ご覧いただけます

          告知の方がゆっくりになってしまいましたが 毎年々、展示会をさせていたたいてます 浦和にある「楽風」さんにて 期間限定で、作品集「月の徒然」と、 作品集には掲載されていない額作品と 小物を少し、お取り扱いいただけることになりました。 会期 2020年5月9日(土)〜6月8日(月) 10:00〜19:00(最終日は17:00まで) *作品のみの参加です。 *出品作品 ・作品集「月の徒然」×5 ・特装版「月の徒然」(装丁が本染め)×1 ・作品集に掲載していない  HP「月の徒然

          楽風にて、作品集他ご覧いただけます

          月の徒然、舟出

          4/18から オンラインストアをオープンしました。 おかげさまで、 たくさんの方にお問い合わせをいただき 本当にありがとうございます。 編集・装丁で関わってくださった 詩人の白井明大さんが 「本」のことを教えてくださったことが とても印象的だったので ここに記しておきたく…。 「本」は舟。 発行という舟出をして 作り手を行きたいところへ 連れて行ってくれる。 「本」は 作り手が亡くなった後でも残ります。 だから、責任を持って 良いものを作りましょう。 「本」という

          「月の徒然」発行

          早いもので…お久しぶりです。 前回の投稿からもう2ヶ月も過ぎている事実、、 書きたいことが沢山あるのにな…と思いながら、なかなか落ち着かない日々にて。 そんな中でも、着々と作品集は完成。 4/15、わたしの手元に届きました。 編集・装丁で関わってくださった詩人 #白井明大 さんと昨年何度となく打ち合わせを重ね ようやく出来上がった作品集が今この目の前にある…、、。 感慨深さ、一入でした。白井さんに関わっていただけなかったらこんなに美しい本(自分で言っててすみません…ただ