見出し画像

琉球新報・落ち穂 第7回掲載エッセー

「余白のとき」
2016年、臨月だったわたしは、里帰り出産のため、高校卒業以来ではなかろうか…と思うくらい、ゆっくりとした時間を過ごした。季節は秋、庭の金木犀が満開であっという間に散ってしまった。香りだけが、いつまでも心に残っている。
故郷の鳥取は、良くも悪くも、田舎で変わらない。そこが嫌で早々に飛び出してしまったのだが…35歳。大きくなったお腹で病院まで歩く川沿い、道に咲く秋の花々や曇天の空色が、長く沖縄で過ごしてきたわたしの心に染み入ってきた。ずっと走るように染め、動いてきたので、この何でもないような余白のときが、変わり目だった襞として、忘れられない。
秋生まれの母へ、誕生日プレゼントのつもりで何十年ぶりに足立美術館へ。幼少の頃よく母に連れられ、今では世界から称賛される庭や、横山大観の荘厳な絵を、そうとは知らずに観賞していた。
久々の美術館で一番目を惹いたのは河井寛次郎の器だった。民藝運動で活躍した寛次郎は島根県出身。昔、知人から、彼は陶芸家だけでなく優れたデザイナーだったと教えてもらったこともあり、思い入れがあった。そんな彼の作品との出合いに興奮し、一点一点、大切に眺めた。
印象的だったのは「手」がモチーフの絵皿。まるで花びらのように描かれ、柔和で甘美な線。しかしながら勢いと力強さも感じられ、どれだけ観ても飽きなかった。母は、家で看取った祖母の介護のまとめ役だった。保健師という仕事をしていたからでもあるが、自宅にて老衰で逝く祖母を見送れたのは母のおかげだった。12年。手書きで40冊にも及ぶ、日々の日誌は家族の宝である。何事も書き記す母に従って、父兄わたしが、その時々の祖母の様子、出来事をそれぞれの書き方、文字で記した。
母は手の綺麗な人で、その印象は今でも変わらない。白くて皮膚が薄く、浮き出る静脈を動かして遊んでいた記億がある。母の手を、わたしは少しでも、労いたかった。河井寛次郎は誰の手を描いたのだろう。母の手と、寛次郎の手がわたしの中で重なった。



誰にでも、忘れられぬ年、というのがあると思いますが、2016年は、まさにそんな年でした。
自分にとっての大きなことが続いた時は、心の襞としてくっきりと残り、折々に思い出したりします。

大切なときでした。

秋は母と娘の誕生日月。
今年は母に、沖縄の織の作家さんが織られたハンカチと、家族で手紙を書き、贈りました。

そして、もうすぐ娘の誕生日。