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記事一覧
琉球新報・落ち穂 第10回掲載エッセー
「影」
紅型を染めていて、好きな工程はどこですか?と、よく聞かれることがある。どの工程も好きなのだが「隈取り」は特に好きかもしれない。色差し筆と隈取り筆の2本を使い染めていくのだが、元々染めていた色よりも濃い色を差し、ぼかしながら陰翳をつけ立体感を出すように擦り染めていく。隈を差す色には決まりがあり、桃色系は赤隈、青系は藍隈など。その決まりに沿って染めていくため、統一感が生まれると共に、リズミ
琉球新報・落ち穂 第9回掲載エッセー
タイトル「光」
沖縄の、日々の日差しはとても強い。真夏など、光の強さで目の前が真っ白になる感覚がある。光の色は、わたしにとっては「白」だ。紅型染めでは、白という色は使わない。元々の生地の白地を活かすか、胡粉と朱の混色(薄桃色)を、白と表現していると学んだ。紅型では使用しない白を、わたしは敢えて使ったりする。光を表現したいからだ。白単色を使いはじめたのは、忘れもしない、東日本大震災の日から、だ。
琉球新報・落ち穂 第8回掲載エッセー
「命のバトン」
2016年の秋、わたしは母になった。
ぴったり十月十日で産まれた小さな娘は、精巧な作りの人形のような手をゆっくりと握ったり開いたりしていた。とても不思議だった。昨日までお腹にいた人が今、目の前に存在している。命がそこにある。まじまじと見つめながら、祖母に見せたかったと、心から思った。
同年5月、庭のつつじが咲き誇る日、祖母は逝ってしまった。享年110歳。6月が祖母の誕生日で
琉球新報・落ち穂 第7回掲載エッセー
「余白のとき」
2016年、臨月だったわたしは、里帰り出産のため、高校卒業以来ではなかろうか…と思うくらい、ゆっくりとした時間を過ごした。季節は秋、庭の金木犀が満開であっという間に散ってしまった。香りだけが、いつまでも心に残っている。
故郷の鳥取は、良くも悪くも、田舎で変わらない。そこが嫌で早々に飛び出してしまったのだが…35歳。大きくなったお腹で病院まで歩く川沿い、道に咲く秋の花々や曇天の
琉球新報・落ち穂 第6回掲載エッセー
「紋様の魔法」
紋様に惹かれたのはいつだったろう。本当に小さな頃から、原始的な紋様、縄文土器に描かれているような渦巻きや、アール・デコ紋様が好みだったのは覚えている。多感な高校生〜専門学校時代、ビアズリーの繊細な白黒の世界や、フンデルトヴァッサーの鮮やかな曲線の世界に憧れていた。来沖し、紅型染めをはじめた頃は古典柄を模倣するところから学んだのだが、日本の影響からくる花鳥風月に季節感がなく(藤の
琉球新報・落ち穂掲載 第5回エッセー
「着物を纏うこと」
わたしが「着物」に興味をもったのは、忘れもしない2014年。ベトナムのハノイで参加したグループ展でのことだった。ハノイ在住の友人が発起人となり開催されたグループ展だったが、現地の日本人大使館の方々に大変お世
話になった。彼女らは、いつも公式な場所(その展示会のオープニングパーティーなど)では着物を纏っていた。わたしたちグループ展メンバーも浴衣で参加した。着物がこれだけ大
琉球新報掲載・落ち穂 第4回目エッセー
「言葉を綴ること」
詩人・白井明大さんと初めて会ったのは、2年前の7月だった。
SNSで白井さんの存在を知ったのだが「詩人」という人に、大変興味をもったことを、よく覚えている。
お話する中で、白井さんが学生に半年間、詩のクラスをを待っていることを知り、ぜひ、わたしも教えてほしい!っと挙手したのが、はじまりだった。
翌月8月から、2カ月に1度というペースでワークショップ(WS)を開催し今に至る
琉球新報・落ち穂掲載エッセー「夏に思い出すこと」
8/11、落ち穂掲載エッセー
「夏に思い出すこと」
わたしの亡き祖母は、明治40年生まれ。
89歳まで台所に立ち、家事全般をこなしていた。祖母が70代の時、女の子の初孫として、遅く生まれたわたしは、大層可愛がられて育ったので、生粋のおばあちゃんっ子だった。
夏といえば、おじいちゃんおばあちゃんから戦争体験を聴きましょうという課題を与えられ、聞き書きをしたことを思い出す。幼いながら、ちゃんと胸
琉球新報・落ち穂掲載エッセー「色にチカラ」
はじめて、この島に降り立った日のことを、
よく覚えている。
季節は4月。今でいう、うりずんの頃だった。
瞳に飛び込んできた、輝く海の色。
日本海しか知らないわたしは、あまりにも彩度の高いエメラルドグリーンに心を奪われた。
この島の光の強さに圧倒された瞬間だった。
幼い頃から絵を描くのが好きだったわたしは、小学校〜高校の終わりまで、絵画教室に通っていた。小中、いじめられっ子で、絵を描くことに没
琉球新報・落ち穂掲載エッセー「18年目の夏」
この島に移り住んで、今年で丸17年になる。当時22歳。2003年7月6日。
生まれてはじめて「暑くて眠れない」という経験をさせてもらった、わたしにとって忘れられない日である。
1番最初に住んだのは那覇市の久米だった。当時で築30年は超えていたかもしれない。3K家賃2,5万。木製の窓枠にクルクル回して鍵をかけるネジ締り錠。重たい雨戸。外からは福州園の緑と筝の音色が風に乗って聞こえてくる。風呂とト