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琉球新報・落ち穂 第9回掲載エッセー

タイトル「光」

 沖縄の、日々の日差しはとても強い。真夏など、光の強さで目の前が真っ白になる感覚がある。光の色は、わたしにとっては「白」だ。紅型染めでは、白という色は使わない。元々の生地の白地を活かすか、胡粉と朱の混色(薄桃色)を、白と表現していると学んだ。紅型では使用しない白を、わたしは敢えて使ったりする。光を表現したいからだ。白単色を使いはじめたのは、忘れもしない、東日本大震災の日から、だ。
 あの年、沖縄で個展を控えていたのだが、あまりにも大きすぎる出来事に対して、どう表現すればいいのか、こんな時に個展を開催してよいのか悩み、手が止まった。その時制作していたのは、身近な草花風景の美しさ、力強さを表現しようとデザインしたものだった。沖縄の草花は、大きな台風に何度も襲われて、その度に塩枯れし、茶色く朽ち枯れてしまったように見えるが、数日後には新しく緑が茂り、また元の風景に戻っている。わたしは、その強さ、しなやかさを染めたいと思った。こんな時、何色で染めたらよいのだろう。思い浮かんだのは、白や金彩だった。紅 型では使うことのない色を織り交ぜて、光で包みたい。白には痛みと哀しみも、丸ごと飲み込んでくれるような、そんな包容力があるような気がした。
 白と金彩を多用しながら紅型の色彩と共に発表した草花紋様を観てくださったお客様が、八木重吉の詩を思い出したと言ってくださった。「貫く光」というその詩は、わたしが光に対しての想いと重なっているように感じられ、何度も読み返した。「ひかりは哀しかったのです」という一節が、琴線に触れた。
 誰もがあの日から、何かが止まってしまったり、痛みを抱えているような気がする。自分ではどうしようもできない物事に対して、呆然としながらも、それでも、命あるうちは生きなければならない。
 わたしにとって染めることは魂を注ぐことと同じである。何ができ、どうすればといつも思う。色と手の力を信じながら祈りを込めて、無心に染めている。誰かの心が、ほんの少しでも軽くなるように。

毎回テーマを決めながら書き進めていたエッセーも、残すところ、あと2回。
毎回毎回ギリギリになりながら書いていたけれど、こうして書く機会をいただけたことが、自身の心を振り返ったり、その時の心に重ねたり、未来を想ったり、と。
締め切りあってこそ書けるものなのですが。笑。こうでもないと書かないものだなぁ、なんて自戒も込めて。
とても、とても。ありがたいです。
言葉のプロでも何でもないのですが、こんな拙い文章を、毎回読んでます!っとお声いただくと、ひゃーーっと、恐れ慄いてしまうのですが、、。
残りわずかのエッセー、また心して書いていきたいと思います。