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琉球新報・落ち穂 第6回掲載エッセー

「紋様の魔法」

 紋様に惹かれたのはいつだったろう。本当に小さな頃から、原始的な紋様、縄文土器に描かれているような渦巻きや、アール・デコ紋様が好みだったのは覚えている。多感な高校生〜専門学校時代、ビアズリーの繊細な白黒の世界や、フンデルトヴァッサーの鮮やかな曲線の世界に憧れていた。来沖し、紅型染めをはじめた頃は古典柄を模倣するところから学んだのだが、日本の影響からくる花鳥風月に季節感がなく(藤の花に桜・鳳凰etc)、その大らかさと自由さに驚いた。気品がありながら、様々な文化が柄の中で融合している。こんな風に描けるようになりたい。紋様への興味が増し、探究への扉は開かれた。
 忘られない展示がある。2012年、東京の三菱一号舘美術館で開催された「KATAGAM I Style」展。日本の型紙デザインが世界の美術・デザインに多大なる影響を与えたという内容で、紅型の型紙をはじめ、ビアズリー、アール・デコ紋様の美術品が、この型紙に影響を受けたであろうと対比するように展示してあり、感動に打ち震えてしまった。愛してや
まなかったデザインの大元は日本にあり、それが世界へ舟出し、咀嚼され、その土地の
ものとなっている。柄の天地は関係なくアレンジされていて、どこまでも自由だった。
 まるでメビウスの輪のように紋様は世界を巡る。元来、紋様は祈りや願いを込めたもの。子孫繁栄・魔除・富貴吉祥etc。今日でも、それは変わらない。古い染織りを見る度に、無名の織り手染め手は、布にどんな祈りを込めた
ろうと想像する。わたしも同じように、言葉にならなかったものを美しい紋様として伝えたい。秘められた想いとして、もしも伝わったならば、こんな嬉しいことはない。同時に、作り手の想いなど気負わず、愉しく纏ってもらって
こそとも思う。
 美味しい、美しい紋様は、意味は知らずとも心惹かれるもの。後々、遠くで響いたおまじないのように、その人を守ってくれますようにと、こっそり願いを込めて。魔法使いではないけれど、そんな想いで、紋様を紡いていきたい。

Instagramにも書きましたが、本当は別のテーマで書こうと思っていたのです。
しかしながら、東京での展示を終えたばかりなことと、お客様から、オリジナルで制作した紋様について触れていただいたことで想いが溢れてしまい、エッセーとして書きました。

紋様って不思議ですよね。
渦巻や鱗柄など、原始的な紋様は、シルクロードで文化が交流するずっとずっと前から、土器や刀などに、同時多発的に描かれていたり。
人間は、紋様を描くということを本能的に持っているのかしら…など。
想像すると尽きません。

様々祈り、願いを込められた布を含めた装飾品は、今も昔も変わらず、生み出されています。言葉にならぬものが、文章としてではなく、モノとして作られ、残り、また朽ちてゆく。
無常ですが、そこに込められた願いや祈りというのは、届いていってほしいなぁ、などと思ったりします。

それはわたしが作り手だからでしょうか。
まぁ、致し方ないですね。