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琉球新報・落ち穂 第8回掲載エッセー

「命のバトン」

 2016年の秋、わたしは母になった。
ぴったり十月十日で産まれた小さな娘は、精巧な作りの人形のような手をゆっくりと握ったり開いたりしていた。とても不思議だった。昨日までお腹にいた人が今、目の前に存在している。命がそこにある。まじまじと見つめながら、祖母に見せたかったと、心から思った。 
 同年5月、庭のつつじが咲き誇る日、祖母は逝ってしまった。享年110歳。6月が祖母の誕生日で、それを迎えることを家族で楽しみにしていた矢先のことだったので、慌てふためいた。あまり食事と水分が摂れなくなってきたからと念のための帰省が、看取ることになるなんて。   
 呼吸がゆっくりとなっていく祖母に「おばあちゃん、ありがとう。がんばったね。」  手を握り、頭を撫で、添い寝しながら話しかけた。祖母はわたしの指を撫で返してくれたように思えた。暖かな手だった。お腹に、生まれくる命を抱きながら、目の前で終わりゆく命を見つめる。言葉にならない、ひとときだった。
 祖母は身をもって「死」を教えてくれたように思えた。生き切った姿は、本当に尊かっ った。わたしにとって初めて身近な家族の死だった。哀しくて愛しい時間だった。
 出産した時、ああ、産むのも産まれるのも、本当に大変なことなのだと痛感した。産後は家族に支えられ、かつて祖母が寝ていた部屋で、産まれたての娘と過ごした。
 あの日握っていた、年輪のような祖母の手。今握り返してくれる小さな小さな手。どちらも暖かくて、愛おしくてしかたなかった。
 人は産まれた瞬間から、死に向かって歩みはじめる。育まれ、色々できるようになり、そして身体が老い、朽ちていく。普遍的な流れの真っ只中にわたしはいる。祖母は生前大きな戦争や、地震や、家族の様々なことがあったので、今が一番幸せだと言っていた記憶がある。働き者だった祖母に倣って、家族は皆、よく働く。
 祖母の死と娘の生は、命の繋がりと強さを教えてくれた。これから、様々なことが待ち受けているだろう。手渡された命のバトンを持って今を、生き切りたいと思う。


祖母の死のことを振り返りながら書くことは、ずっと見つめていた死の瞬間をなぞるようで、涙が溢れて仕方なかった。
それでも、ちゃんと書き記しておきたかったので、書いた。
2016年は生と死、大きなサヨナラと、ようこそ、を体験した年。忘れられない年。

人生の中で、きっと誰しも通る道。
いつかわたしだって亡くなる。
祖母のような死は、側から見たとしても、なかなかない死のカタチだと思う。
老衰で、
自然に、
家で、
家族に看取られながら。

現代社会では、もう稀なことであろう、、。
わたしには、実の父母を、そんな風に看取れる自信は、ない(できる限りは、するけれども。きっと祖母のように、家で介護しながら看取る、ということは、きっとできない)。
いつかは送る立場としてのことも、色々考えさせられた祖母の死だった。

息子として母を見送った父の背中。
葬儀所へ、母を支えながら見た5月の蒼空。
みんなみんな、鮮明に覚えている。
忘れることは、ない。

そして
祖母はわたしの心の中で生きている。
ずっとずっと。