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長崎におけるSNSマーケティングの可能性

みなさん、こんにちは。
はじめまして、株式会社NAVICUS九州 CROの松本徳次郎です。
今回は長崎におけるSNSマーケティングの可能性についてお話しさせていただきます。
後半には私のバックグラウンドも紹介させていただきました。

よろしければ最後までお付き合いください。


 株式会社NAVICUS九州 松本CRO
  • SNSマーケティングとの出会いとその可能性

  • 長崎で株式会社NAVICUS九州ができた背景

  • 私のバックグラウンド

  • ITとの出会いと事業の成長

  • その後の転機


SNSマーケティングとの出会いとその可能性

 元々、私はSNSについての知見はほとんどありませんでした。
その私がSNSがビジネスに大きく影響することが身近でわかったのは、親しくしている長崎の会社がSNSを活用して業績を大きく伸ばしていたからです。
その会社は、今では長崎のお土産として名前が売れている”角煮まんじゅう”を扱う『岩崎本舗』です。角煮まんじゅうはこの会社の現社長の父親が作りました。
最初は全国各地の物産店に出店したり店舗展開して売上を上げていました。そして、テレビコマーシャルをやることで名前が売れました。一時期は年間のテレビ広告費を6000万円かけていました。

 その後、現在の社長が就任しましたが、コロナの影響で、観光客が減少し店舗売上が落ちました。また、全国の百貨店で実施していた物産店も軒並み中止になりました。
このような絶望的な状況を乗り切るためECに力を入れました。また、テレビコマーシャルからSNSへマーケティング費用をシフトしました。その結果、コロナ渦において創業以来最大の売上を達成しまし、その後も、売上を継続的に伸ばしています。
私はこれを見てSNSの大きな可能性を感じました。


長崎で株式会社NAVICUS九州ができた背景

 そんな時、『株式会社NAVICUS』の武内社長と昨年1月東京でお目にかかり、SNSに関する優れたビジョンと立派な実績をお聞きし、この会社とだったら地方でもSNSをビジネスとしてやれると思い、武内社長にも出資してもらい、尚且つ、武内社長並びに 株式会社NAVISUSの橘役員に 『株式会社NAVICUS九州』の取締役になって頂き一緒にやることにしました。

幸いに長崎で頑張っている下川さん(現:株式会社NAVICUS九州のディレクター。)や、彼が紹介してくれた有能な渡邉さん(現:株式会社NAVICUS九州のCEO)がいたので、彼らを代表者として、今に至っています。
有難いことに、続々と地場大手企業にユーザーとなって頂いています。
地方においてSNSビジネスは競合相手がいないブルーオーシャンであると感じました。
今後の成長が楽しみな企業になりそうです。

私のバックグラウンド

自己紹介

 改まして、松本徳次郎と申します。私は明治16年創業の松早石油の一族として長崎市に昭和31年9月22日に生まれました。

幼い頃の松本CRO

高校まで長崎にいましたが、大学は東京に行きました。田舎から出て来た私は大都会東京で思う存分遊び回りました。野に放たれた野獣状態でしたね。
卒業後の昭和55年4月、松早石油が三菱石油(現ENEOS)の特約店だったので東京支店に1年間修行で入社しました。入社した時に、石油会社の営業は、酒、マージャン、ゴルフの内、”最低2つはできる様に!”と言われたので、酒とマージャンに勤しみました。
1年後、松早石油の長崎のガソリンスタンドで仕事を始めました。毎日「いらっしゃいませ!レギュラーですかハイオクですか?満タンですか?」と言って接客してました。

ITとの出会いと事業の成長

 ガソリンスタンドが九州内に50ケ所あったので、販売実績を集計して実績表を作成するためにパソコンを購入しました。勿論インターネットなど影も形もない石器時代のようなものでした。それが私がITと関わり合いが出来るきっかけになりました。その後、全社的にIT化を進めるために、IBMのコンピューターを導入しました。当時は中小企業でもシステム開発は自社でやらねばなりませんでしたので、私もIBMから指導を受けてプログラムを開発しました。毎日12時近くまでシステムを開発しその後、思案橋に飲みに行く日々が続きました。
 昼夜を分たず努力した結果、私が開発したシステムが動き出し効果が出たので、そのシステムを売る会社を作り、東京に営業所を置いて全国で販売しました。同時に、IBMの特約店もやってコンピューターの販売をはじめました。その後、パソコンショップやドコモの1次代理店をやりました。まだ携帯は出たばかりの時代でしたので飛ぶように売れ最大で利益が年間で9億円でました。因みに松早グループは最大で年商800億円社員は2000名まで行きました。私が経営していたドコモショップを運営する会社は社員が400名いました。

その後の転機

 ところが、従兄弟がやっていたリゾートが失敗し100億円の損失を出しました。それを埋めるための一環で、ドコモ1次代理店をNECモバイリングに50億円で売りました。我々一族は責任をとって松早グループの経営から手を引きました。300億円の借金が銀行にありましたが、真面目に経営していたことが評価され、個人保証があったにも関わらず100万円で決着し個人破産は免れました。
 私は、付き合いがあったホテルニューオータニの大谷一族が経営する東証スタンダードに上場しているTOC(東京卸売センター)が取り組んでいたBTOBのECサイトを見ることになり平成21年上京しました。現在、同社に籍を置きながら、ベンチャー企業に出資し取締役や顧問をやっています。松早時代から培った全国各地の経営者とのご縁を、私が関わっている会社に活かしながら120歳まで生きる予定です。今でも年50回以上飛行機に乗っているのでANAダイヤモンド会員をキープしています。今年で生涯マイル100万マイルを達成しそうです。


さて次は何をやろうかな。



株式会社 NAVICUS九州
https://navicus-kyushu.com/


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