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文トレDAY57 26-決別。

片山が退職した。理由は、方向性が合わなかったからだ。

畝山も売上を上げてくれない。経理の仕事が忙しいのだという。

3人で立ち上げ会社だったが、結局私が売り上げを上げているだけの状態になっていた。

私は、大体の場合一人で仕事をまとめる。
まとめた後、クライアントから注文が出ると、協力会社のメンバーとチームを編成してプロジェクトに臨む。そんな形で仕事をこなしてきていた。

社内には、畝山と片山がいたが、彼らとはバックボーンが違いすぎた。
それでも、「江坂事件」で内装の設計をした畝山は私のやっている仕事の内容に興味を示してくれるものだと腹の中では期待をしてたのだが、当てが外れた

畝山と私の間に距離ができた。

私の進め方が至らなかったのだろうか?
同じ歳なので、仕事のことについてその興味を持ってもらえるように「指導する」というのも違うと思うし、このころの私は何か腫れ物に触るように畝山に接していたように思える。
その理由は、会社の運営資金を畝山が工面していることがわかっていたからだ。
おかしい、そんなに数字は悪くないはずなんだが・・・・・

もっと本音をぶつけて、腹を割った話がこの時期必要だ。ということは、気づいていたのだが、消化不良に終わる。
この状況が会社にとって危険な状態であることは、あきらかである。

タイムマシーンがあれば、助言ではなく、その場にタイムスリップして、立ち会い。その場で「ウミ」を出し、建設的な打開策を、当時の畝山と私と今の私で考えることができるのだが・・・・

こんな後悔を抱いても過去変わるわけじゃない。過去は、過去だ。

解っていて、できない。その当時の私には「勇気」が欠けていた。

ちゃんと消してないタバコを草むらにすてて、放置したような状態だった。燻りつづける煙があがっているにもかかわらず、私はそれが見えないふりをして、逃げていたのだ。思い出しても情けなくなってくる。

でも、できなかった。畝山と争うことになるのが怖かった。


数日後、私は、事務所を東京に移転させる提案を畝山にする。このころ、大半のクライアントは東京にいた。そのため、私は週1回ぐらいの割で東京に出張していた。
畝山は、渋々承諾した。というか半分強制的に私が押し切った形となる。
私が徹夜をしてようがどんなに忙しいときでも、畝山はほぼ定時になると帰ってしまう。経理の仕事が忙しいという。

私は、いつもキレそうになるのを我慢しながら仕事を続けるのが苦痛になっていた。畝山にも言い分はあると思うが・・・・

離れたい。その時の正直な気持ちだった。







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