NAVE

63歳のおっさんです。 趣味 料理と筋トレと英会話 久しぶりに写真を始めようと思ってます。

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マガジン

  • 料理

  • ある半生 七転び八起き

    私の小学生からの生い立ちをおもしろおかしく、若干の着色を加え書きました。お暇なときにでも読んでみてください。 自分の過去をきっちり振り返るのは、私自身の「心の旅」をしているようなものだときづきました。

最近の記事

「照明」の仕事について語らせて。 #こんな仕事です

久しぶりに投稿します。 「旦那さんどんな仕事をしているんですか?」 と嫁が聞かれて非常に困るらしい。 一言で言える分かりやすい仕事ではないからだ。 輸入代理店の技術担当? 照明設備の設計者? プロジェクトマネージャー? 現場監督? 商品設計? ざっくり言うと プロジェクトをまとめ、それを完成させる。 あるプロジェクトを例にとると。 ある有名な外資系企業が日本ブランチをつくる計画。 事務所ではなく、クライアントお客様のために特化したプレゼンテーションルーム。大規模な

    • エンジニア歴30年の私ができる『未来のためのお手伝い』

      私の仕事は光をコントロールするエンジニア。この仕事をやり始めて30年が経過した。その私が、自分の仕事を通して『未来のためにできること』を考えて、思い出した仕事がある。『ひと未来館』だ。 阪神・淡路大震災の復興を目的とした博物館『ひと未来館』のプロジェクトで、私は展示物の演出照明の仕事をさせていただいた。 展示物にあわせ照明の位置を決め、映像に合わせて照明が点灯しする仕組みを作り、その動作をプログラムする。 当時の私は、独立してまだ2年目だったがこの魅力あるプロジェクトを

      • ウォーキング

        3連休の初日、ひさしぶりに気が向いたので朝イチでウォーキングをする。9時前なのだがおそらく気温は30度を超えていると思われる、人が全くいない、車も通っていない。なんか外出禁止令でも出たんじゃ無いかと思われるほど静かである。こういう時の蝉の鳴き声は暑さを強調させる効果があるようだ・・・・。暑い。 ウォーキングコースはおおよそ2種類。 近くに一級河川の支川がありその河川敷を2キロほどあるくと一級河川に合流、その河川敷をまた2キロほど歩くと新幹線の高架に到着する。しばし休憩して

        • 新しい相棒を銀座で見つける話

          クライアントとの打ち合わせで銀座に行った。少し時間があったので伊東屋に足を伸ばした。 火曜の午後4時なのに4階の筆記具売り場には朝の東横線のラッシュ並みに人が多い。 日本語はほぼ聞こえてこない。 基本的に人波が嫌いな私は4階に入って10秒後。帰りたくなってきた。 しかし、このままむざむざと帰るのも負けたような気になるのという訳の分からない義務感で少しだけ売場を見ることにする。 満員電車の中をたまに車両移動する不思議な人がいるが、今はその気分である。『すいません、すいません』

        マガジン

        • 料理
          10本
        • ある半生 七転び八起き
          68本

        記事

          空気が歪んだ苦しい現場の思い出

          それは、一つの小さなプレゼンから始まった。 その当時は、メールのような便利なものはまだ無かった。 電話やFAXが連絡手段だった。 その当時、私は舞台照明装置の輸入会社の大阪営業所で技術職をしていた。が、プロジェクトベースの見積もりも作成し、必要があればクライアントとも打ち合わせする。大手のように営業部、技術部、〇〇部という部署は無く。最初の打ち合わせから図面やプランを出し、見積もりをあげ、注文後は、その工事の工程を調整して機材を調達し、引き渡しまで面倒を見る。まぁ、早い

          空気が歪んだ苦しい現場の思い出

          連続ドラマの行間

          Netflixで以前オンエアされたドラマ。一度観たことがあったのだが、かなり感動した記憶があったので、もう一度観た。すると…。 圧縮されて密度の濃いドラマを一気に観る楽しさはあるのだが、以前オンエアで観た時とは違う印象を受けた。 あれ?この交渉はもっと難航したんじゃないのか? 問題解決が早い感じがする。なんかあっさりしている。 体感時間が短く感じられる。 一週間ごとの放映だと10話を観るのに10週間、2ヶ月と2週間程度の時間がかかる。 ドラマとドラマの間のブランクの6

          連続ドラマの行間

          画角とシャッターチャンス

          写真がデジタル化してカメラの性能が格段に良くなると写真そのものはシャッターを押せばある程度(かなりのクオリティ)で「写真」は撮ることができる。 化石のような話と思われるかもしれないが写真はカメラの機能を熟知していないといい写真が撮れない時代があった。 絞り、露光時間、ホワイトバランス、ISO感度、レンズ。これらの組み合わせでどんな写真になるかをおおよそイメージしながら写真を撮る面白さというものが以前はあった。いや、そのスキルを知っていることが「写真を撮れる」ということだと思

          画角とシャッターチャンス

          長い写真のブランク。

          ずっと長い間、写真が撮れなかった。 正直言うと写真への熱が冷めてしまった。 理由はわからない。 当初の私は写真マニアだった。暇さえあれば写真を撮り、撮った写真を眺めては飽きもせず。「あぁいいなぁ」「この影がいいなぁ」。一人でその時間を楽しんでいた。 デジタルカメラなるものが無かった時代だったので撮ったフィルムを現像しスリーブになるまでは数日かかる。他に比較する対象があれば「時間がかかる」と思っただろうけど当時はそう言うものだと思っていた。 でも、その「待ち時間」はワクワク

          長い写真のブランク。

          6.イベントのプロジェクト終わる

          世の中には2通りの人間が存在する。 A.やったことが無いからやってみたいと思う人。 B.やったことが無いからやってみたくない人。 間違いなくこの時期の私はAタイプだった。 「若い」というのは年寄りから見ると特権だ。 自分自身のやりたいという気持ちが何事にも勝るのだ。 失敗したらどうしよう?なんてオプションを考えず突き進む。 しかし、それができる時間は生涯で極わずかだ。 「いっしょにやろう!」 とTさんからの話を聞いた時はすごく嬉しかった。 この時の嬉しいという気持ちは、

          6.イベントのプロジェクト終わる

          5.イベントのオファー

          ミニコミ誌は、2号を出して廃刊となった。本来であれば、広告主の元に出向いて廃刊の報告とお詫びに回るべきだったのだが、20代の私はそんな基本的な社会的道徳すら持ち合わせていなかった。 雑誌の発行は無くなったが、ミニコミ誌を作る上で知り合いになった人たちの縁が切れたわけではなかった。度重なる営業活動の成果か、商店街の2世店主たちと知らぬ間に縁ができていた。 ハンバーガーチェーンのオーナーのTさんとはおそらくこのミニコミ誌の営業活動を通じて知り合いになったのだが、不思議とそのず

          5.イベントのオファー

          4.ミニコミ誌廃刊。

          課題が山積みだということは分かっていたが課題を片付けるためにミニコミ誌を作るわけじゃ無い。まず、結果(目的)ありきで私自身が突っ走っていた感がある。そもそも、自分が言い出しっぺである。誰が反対しても、たとえ、みんなが反対しても、一人でもそれをやり遂げる。そんな気概がないととても1月に発案してなにも解らない状態で4月に雑誌を出せる訳が無い。このころの私は極めてブラックな思考を持っていた。ワンマンを逆から見るとこんな感じなんだろうか? 2号目を出すに当たって多くの壁があった。記

          4.ミニコミ誌廃刊。

          3.ミニコミ誌を出す。

          そうだ。ミニコミ誌を出そう! 頭の中は構想と妄想がいっぱいだった。その想いを友達グループに宣言する。大体言い出しっぺが一人でもやる気概がないと100パーセント完成できないと言ってもいいと思う。幸い、同じ社会人で賛同してくれた友人がいた。Mだ。Mは大手メーカーに昼間勤め、大学では確か電気を学び、クラブは演劇部だったと思う。その上彼は、通信制の大学にも通っていて経営を学んでいた。私の部室の隣が演劇部だったのでいつのまにか意気投合していた。 私が編集を受け持ち、Mが営業面を受け持つ

          3.ミニコミ誌を出す。

          2.会社・大学・クラブ

          自宅→会社→大学→クラブ→自宅の生活は充実していた。 仕事は製品設計の補助。開発の仕事は意外と地味だ。部品のメーカーサンプルの試験や試作品の性能測定。新人はそのデータ取りやグラフの作成などが主な仕事。それでも新しい製品を世の中に送り出す仕事の一部に参加している、この道のプロフェッショナルと同じ空間にいて同じ空気を吸っている。それだけで私の気分は充実していた。 大学は電子工学を専攻。昼間会社で実践的なことをして、夜は理論的なことを学ぶ。会社8時間 学校3時間 合計11時間。電気

          2.会社・大学・クラブ

          1.夜間大学に行くことを決めた時。

          大阪のやや風紀の悪い工業高校を中の下で卒業した私は中堅のメーカーに採用された。仕事は新製品の開発の補助だったので高卒としてその職に就けることをすごく誇りに感じていた。半年ほどして母校に挨拶に行った時に同期で卒業した友人が大学に就職していることを知る。「どういうこと?」早速友人に聞いてみた。友人は昼間の間、大学の実習助士をし、夜、大学に学びに行ってることを知る。  そのとき私の心の中で「勉強したい」という気持ちと「友人のように大学に行きたい」という気持ちが湧き起こった。 その気

          1.夜間大学に行くことを決めた時。

          酢豚

          嫁が今回の初のレシピ本出版の件で初めて打ち合わせに行ったのが去年の10月。あれから8ヶ月。アマゾンからポチッ!した『お箸で食べるスパイスごはん ペーパーバック』渡邊真澄著 が届く。 これからまた本のプロモーション活動やパーティーなどで忙しくなるけど、この土日は、ようやくゆっくり休める休日のようである。本のことはあまりお手伝いできないが、少しでも楽してもらおうと土日の夕食は私が作る。 本日の嫁リクは、パイナップルが入った酢豚。 いつものようにYOUTUBEで予習する。 今

          胃カメラ体験期

          毎年恒例の健康診断。今日で7回目。 血液検査、検便、検尿、腹部エコー、身長体重、視力、聴力、腹囲それと 胃カメラの検査を受ける。 胃カメラは大嫌い。もっとも、これが好きなやつはいないと思うが。 あの感覚は嫌だ。生まれて初めて胃カメラを飲んだ時、気分が悪く、両手でカメラのチューブを抜き取ろうとして医者に怒られたことがあった。 だから7年前の健康診断が決まると、不安と恐怖で胃が痛くなった。 胃カメラを飲むのが嫌で胃が悪くなるって変じゃない?(笑)しかし、検査が間近になった

          胃カメラ体験期