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ドイツ ほどよい距離と親孝行

ドイツで最も日照時間が長いと言われる南の街も、だんだんと朝の空気が肌寒くなってきました。
基本的に家では、夏も冬も半袖にショートパンツを着ているわたしでもベッドから出るのに少し躊躇してしまいます。
それでも朝の澄んだ、冷たい空気は気持ちがシャキッとするので嫌いじゃない。


この週末に、彼の両親が北の街・オイティンからはるばる、私たちの住んでいる街に遊びに来てくれていました。
最後にわたし達がオイティンを訪ねたのが今年の6月だったので、約4ヶ月ぶり。
彼の両親と過ごしていて、ふと考える「親孝行」。

オーストラリアにいる時から(日本を離れてから)、ちょこちょこと考える機会があった「親孝行」について。

親孝行、してますか?

「親孝行」と聞いて、まずわたしが想像するのは、
母と父の両方が笑顔でいること。
また、その笑顔を直接、見ることができること。
父と母、彼らが困っているときに支えることができること



わたしの家族は、”超”がつくと言っていいほど仲が良い。人生相談から恋愛相談まで、話題を問わず、隠すことなくなんでも話せる仲と言えるだろうし、いまだに家族みんなで一緒にいろんなところに出かけることだって当たり前だ。
わたしの父と母は、アクティブで、犬(ボーダーコリー6匹)を連れて、姉家族ともよくキャンプに出かけている。

わたしの2つ上の姉は、すでに結婚もして、子供も2人いて、父と母に孫を見せることもできた。
両親の家から徒歩5分ほど離れた一軒家に住み、看護師としてもバリバリ働いているわたしにとっても自慢の姉だ。

一方のわたしといえば、大学生時代から1年間アメリカ留学に行ったり、大学を卒業して社会人になってからもオーストラリアへワーホリに行き、現在もそのまま海外に住み、日本を離れ、まだ結婚もせず、孫を見せてあげることもできていない。

だからといって、悲観的に自分は親孝行ができていないのか、と問われれば、まったくそうは思わない。
その理由を考えてみた。


ほどよい距離が生む”思いやり”

”近すぎる糸は、もつれます。多くの人間関係のからまりは、距離が近すぎるがゆえに起きるもの。”

「ほどよく距離を置きなさい」

生きていく中で、誰しもが一度は悩むことがあるだろう人間関係。
友達、恋人、職場の人、家族間でさえも人間関係というのは難しく、ときに厄介なものであると思う。

人は学ばない生き物だとわたしは常々思っているのだが、浅く遠い人間関係にはよく気遣い、近くにいてくれる友達や恋人、家族には「思いやり」「気遣い」を忘れてしまう。
「ありがとう」を言うだけで、解決するものも、近くにいる人にほど、その感謝を伝えられない、または伝えることに怠惰になってしまう。
やってくれて当たり前、いてくれて当たり前になってしまう。

親孝行も一緒だと思う
物理的に親が近くにいれば、会えることが当たり前、何かをしてくれることが当たり前になってしまう。
それは双方にとって言えることで、親もきっと期待をしてしまうこともあるだろうし、わたしたちが親に期待、甘えてしまうこともあるだろう。
もしわたしが、両親と近いところに住んでいたら、きっと甘えてしまうことが多くなるだろうし、「思いやり」を忘れてしまうこともあると思う。

彼の両親と彼の関係をわたしの立場から見ていると、ほどよい距離は大切だなあとさらに思わせられる。
今回、彼の両親がこちらを訪れている間も、わたし達の家に泊まるのではなく、彼らは別のホリデーアパートメントに滞在していた。
旅行中でも、それぞれに帰る場所がある、というのがお互いにとってストレスにならない大事なポイントだと彼も言っていた。

確かに彼の言う通りで、両親と一緒にいる時間は貴重ではあるが、大人になればなるほど、それぞれにそれぞれの時間の過ごし方もあり、24時間7日間一緒にいれば、それはストレスになるのが想像がつく。

もちろん全員に当てはまるわけではないだろうが、わたしにとって、この日本とドイツという物理的な距離は親のことを思いやる、とてもいい距離にある。
直接会いにいくことは簡単にはできないが、オンラインで贈り物をしてみたり、クリスマスにはドイツの雰囲気を味わってほしくて、ドイツのクリスマスグッズをサプライズで送ったりもした。
今年も何か送りたいと思っているところ。


「ホウ・レン・ソウ」

日本とドイツの時差は7時間。
ビデオ電話をしようにも、平日は仕事、週末はそれぞれに予定もあり、タイミングを見計らわないとなかなか思うようにはいかない。

LINEでも連絡を取り合うが、それも恋人同士のようにずっとではない。
そのせいもあってか、親との連絡事項は、業務連絡的な内容、もしくは犬の写真を送ってもらう、または簡単な近況報告に限られてくる。
報告・連絡・相談が、どんどん簡潔になっていく。
相談については、ほとんどないと言ってもいい。(わたしは何をするにも事後報告が多い。)

LINEでお互いの状況を知るというよりかは、インスタグラムでお互いの状況を知ることも多い。
お互いにインスタグラムの投稿にコメントし合うのは、まるで友達同士かのようでそれはそれで楽しい。

連絡が簡潔になればなるほど、日々のストレスや余計なことは話さなくなるので、そういう意味では、親との会話は楽しい内容のことばかりになる。
親との連絡が煩わしいと思うよりかは、よっぽど良いと思う。

わたしが思う「親孝行」にも書いた通り、ビデオ電話をすれば、親の笑顔を見ることだってできる。
上述した通り、すぐに会えない、話せないからこそ、親を思う機会も多くなり、「ホウ・レン・ソウ」もしっかりと続けることができる。


親孝行は世界共通

彼と彼の両親とカフェで一緒に座り、ケーキを食べていると、ふと、
「ああ〜わたしの両親もドイツに来てくれたらいいのになあ。もし、お父さんとお母さんが遊びに来たら、ココにも行きたいし、これも食べて欲しいし。。。。」と想像を膨らませると同時に、少し切ない気持ちにもなった。

ちなみにわたしの両親は、ドイツに遊びに来たいという気持ちはあるようだが、犬を置いていく(姉に預けるのも大変というのもある)のも気がかりだし、まだ母が働いているのでなかなか休みを取れないという理由もあるそうで、その夢がいつ叶うのかはまだわからない。
フライトも16時間くらいとなると両親にとっては、長いと思う。。

それでも、彼が彼の両親を気遣うように、わたしも距離は離れていても両親のことを思う時はたくさんある。
これはオーストラリアでのワーホリの時からの思いだが、いかに日本にいる時に、自分が両親に精神的、経済的に支えられていたかと思うと感謝してもしきれない。
その感謝を親に伝えてはいるが、どれほど伝わっているのか。伝えても伝えても、伝えたりないように思う。

「親孝行」と検索してみたら(今回、この記事を書くにあたり初めて検索した)いろんなことがリストにされていた。
リストに囚われず、わたしが思う、お父さんとお母さんを笑顔にする方法をこれからも続けていきたいと思う。

もし、面白い、両親が笑顔になれるアイデアがあればぜひコメントしてください :)





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