2016/01/09 祈りの島
これまで一度も訪れることのなかった祖母の故郷、長崎五島列島へふと行って見ようと思った。
祖母について
祖母は長崎県平戸で生まれ、五島列島若松島で育ち、第一次世界大戦中は朝鮮半島、第二次世界大戦中は中国河北省、戦後は石川県小松市、大阪府茨木市、年老いてからは東京で暮らし、埼玉でその人生の幕を下ろした。明治、大正、昭和、平成と四つ時代をまたぎ、長崎五島列島から東シナ海と日本海を渡り、大陸と島国日本を二往復し、たくましく生きた祖母の血が、私の中でも脈々と受け継がれているのを感じる。
私と異国情緒 私は異国情緒漂う物に強く惹かれる子どもだった。初めて家族一緒に横浜中華街を訪れた時の胸のときめき、大好きだったカンフー映画の広東語の響き、アジア雑貨店の白檀の香り、中国、香港、台湾、韓国の文芸映画のそこはかとなく漂う東洋的情緒、東南アジアの音楽の旋律、私の子ども時代はいつもそういうものに囲まれていた。20代になり、私のアジアブームはまるで天正遣欧使節が通った海上の交易路のように、東アジアから東南アジア、そしてヨーロッパへと移って行った。二十代後半でヨーロッパへの興味はピークを迎え、とうとうイギリスのロンドンへ移住し、その後六年間をその地で暮らすこととなった。
ロンドン
大英帝国時代の名残をとどめるロンドンは、様々な国籍の人々や物がひしめきあうヨーロッパの中心だ。インド、バングラデシュ、パキスタン、スリランカ、香港、マレーシア、シンガポール、ナイジェリア、ケニアなど。私もロンドンで暮らす外国人として様々な国の人々と交流を持った。特別に親しくなった友人達の多くは、ブラジル、イタリア、マレーシア、中国、台湾、香港から着た人たちだった。彼らの国を世界地図上でなぞってみると、それは十五世紀中頃から十七世紀前半まで続いた大航海時代の海上の道なき道を想像させる。
人生は旅
私の四十数年の人生という旅は、祖先たちが築いてきた長い歴史をコンパクトにトレースしているのではないかと思う時がある。現在進行形の人生という旅で出会う人々や物や状況は、かつて過去の旅で出会っていて、ここでは単に再会しているだけなのではないか?となんの根拠もないロマンティックな妄想をかき立てられてしかたがない。祖母の強くたくましい性質を自分の中に見いだし、彼女や祖先たちが生きてきた様々な土地に想いを馳せ、自分のこれまでの人生を重ねることで、自分の好奇心や興味の源のようなものを知ることができるのではないかと思った。
五島
祖母は生前、私たちの祖先は平家の落ち武者だったと話していた。隠れキリシタンであったという話は聞いたことはなく祖母の葬式は仏式だった。けれどもキリシタンはかつて四十万人以上もいたのだから、私の先祖が棄教した元キリシタンだったと考えてもおかしくないように思う。そう妄想しながら長崎五島列島の歴史を見てみると感慨深いものがある。二十六聖人殉教者の一人、十二歳の少年ルドビコ茨城、キリシタン大名の名代でローマへ派遣された天正遣欧少年使節たち、彼らがヨーロッパから持ち帰った活版印刷機、教会建設の匠鉄川与助の建てた和洋折衷の美しい教会、玉之浦椿、静かな漁村と入り江。私が異国情緒漂うアジアの国々とヨーロッパに興味を持ち、特定の宗教に限らず信心深い人々に惹かれる理由、現在版画や活版印刷を使用した作品を作り続けていることが一つの線で繋がるように感じる。
祖母の生きてきたいくつかの土地の中でも、五島列島は古くから、中国、オランダ、スペイン、ポルトガル等の国々と交流を持ち、地理的、文化的、歴史的、宗教的にとても興味深いも物語性を持っている。得てして、五島列島は東京を中央としてみると、日本の最果ての地と思われがちだが、五島を中心に世界を見てみると世界はとても近く、そして世界はひとつだと感じる。それが私のこれまでの人生という旅の中で感じようとしてきたことなのかもしれない。
個展「祈りの島」より
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