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アメリカで800mを走ることにした話(部活の思い出:中学生編② )

今日は、中学生編②です。

私が中学で入部できた部活、それは、陸上部です。
トライアウト(入部テスト)は無し。笑

部員は50人位だったかと思います。

種目は800mを主軸に、短め(400)に振れたり、長め(1600、3200)に振れたりしつつやっていました。

この話を大学生になって日本の陸上部出身の友達に話すと、1600?3200?と驚かれました。
日本では普通、1500と3000らしいですね。

確かに3200とか、何その微妙な距離、、と思うかもしれません。

が、実はアメリカはヤードポンド法を採用しているので、1600mは1マイル、3200は2マイルになり、これはこれでキリが良いんですよ。トラックきっかり回れるし。

ただ、ちょっと脱線すると、渡米当時はこの単位にめっちゃ腹立ってました。何なん、ヤードポンド!!って。中学生なので、数学とか理科のテストに出てくるんですよね。

マイケルの歩く速度を計算したいけど、計算式の前にそもそも1マイルって何ヤードだっけ?とか、塩水の濃度計算したいけど、1ガロンって何パイントだっけ??とか。

計算と違うところで覚えなくちゃいけないことがあるのが非常に腹立たしかったです。しかも全部きり悪いし。(ヤードポンド法で検索してみて下さい。)

ちなみに、「何なん、ヤードポンド(怒)」というmeme(ミーム)も見たことあるので、世界のたくさんの人が同じことを思っている模様。
(調べてみたら、世界でヤードポンド法を採用してるのは今はアメリカとミャンマーとリベリアだけらしい。)

話を戻すと、、

私は800mを主にやっていたのですが、なぜ800mを選んだかというと、あまり人気がなくて大会選手に選ばれる可能性が高かったから。笑

実は小学校では期間限定で陸上部の活動があり、その時は走り高跳びをやっていたのですが、

アメリカでは周りと身長差が激しすぎて(平均的な日本人からすると背高い人が多い)、高飛びに挑戦する気にはなれず、

短距離は人気がある上に体格の違いもあり(文字通り、人種が違う、、)勝ち抜くことは難しく、

私は上半身は貧弱なので投げる系は望みもなく、、

行き着いたのが中長距離走。

最近では桐生選手やサニブラウン選手など、短距離の分野での日本選手の活躍も目覚ましいですが、当時はQちゃんや有森選手のイメージの方が強かったですしね。

中距離命、みたいなこだわりは全く無く、求められる場所を探していたらそこに落ち着いたみたいな感じでした。

この、「求められる場所」というのが、当時は大事でした。
部活に入ったのは、学校の友達を作るためだったからです。

ESL(English as Second Language, 英語が母国語では無い生徒たちの特別クラス)を卒業したばかりの私の当時の英語力は、基本的な会話が出来る程度で、言葉の力だけで友達を作るというのはなかなかハードルが高かったのです。

アメリカの中高の授業は、日本でいうと大学みたいな感じで一人一人個別の時間割が組んであり、生徒が先生の教室に赴くスタイルなので、クラスで一緒に過ごす時間は短く、友達を作るのはそもそも難しいと思うのですが(※)、

その上で、カタコトのコミュニケーションしか出来ない外国人と仲良くしてくれる中学生はなかなかいません。

(※アメリカは州によって制度が異なるので、そういうスタイルでは無い学校もあると思います。ちなみに私が住んでいたところは、小学校5年、中学校3年、高校4年制度でした。)

私自身、会話で気の利いたことを言ったり出来ないので、そりゃ私と話しててもつまんないよねーと、平日はほとんど一人で行動していました。
(週末に日本人補修校の授業があり、そこで日本人の友達と1週間分の会話をして発散していました。)

そういうわけで、言葉で気を引けない分、行動を共にすることで仲良くなって貰おう作戦で部活に参加したので、

「短距離が好きだから、活躍できる望みがなくても短距離走」ではなくて、「ある程度活躍できて、求められる立場」というのが私にとっては大事でした。

結論からすると、この作戦は割と成功しました。

練習試合や小規模大会では個人優勝することがあったし、地区大会では個人入賞して、チーム優勝に貢献しました。

地区大会優勝が決まった時、チームで集合写真を撮ることになり、チームメイトに「こっちこっち、早くおいでー!」と言われて、すごく嬉しかった。

当時の写真では、私は端っこの方で、でも笑顔で写っています。

言葉にしてみれば当たり前のようなことだけど、苦楽を共にするということ、そして結果を出すことの大切さを実感した経験だったと思います。

言語が通じなくても、練習や試合の中での苦楽を共に過ごすことで絆が生まれ、その上で実績を積み上げれば、地味でも、つまらなくても、一目を置かれたりする。

この体験を通して、スポーツ、また部活動は、私にとって最大のコミュニケーションツールであると認識しました。

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(右端の唯一のアジア人が私)

•••

という訳で、この後、高校も大学も部活野郎になります。

高校以降のエピソードについても今後書いていきたいと思います。

ではまた〜

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