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INFJ=エンパス=ヒーラー。その才能を活かすための機能不全家族という現場。


なんかわかってきたなぁ、
という真夜中のひとりごと。
生きづらかったことの理由。


エンパス(ヒーラー)の才能を持つ魂は
その才能を持つがゆえ、
過酷な家庭環境を
自分で選んで生まれてるのでは。
その才能を活かすため。
それに、ヒーラーがいないとその家庭って
もっと早くに崩壊してたんじゃなかろうか。


わたしの家でいうと、だから
わたしというサンドバッグがあったからこそ
母はストレスフルの仕事をどうにか続けられたし、なんでもかんでもわたしや家族のせいにできたし、
ナルシシスト特有のガスライティングという手口(歪曲、論点すり替え、矮小化、隠蔽、ほのめかし等)でサンドバッグをいたぶって自分がスッキリすることでその(しょーもない)自尊心を保っていられたのだろうし、
わたしが健氣で穏やかで誰にも平等にやさしく、空氣を読んで大人たちやその場のために言動を変える「よう氣がつく子ども」を母親の自尊心を満たすためにやってあげていたからこそ、
母は外に向けて自分の理想の家庭像という
《仮面》を崩すことなくつけていられたわけで。(今も母がそのおままごとを続けられてるのもサンドバッグの多大なる氣苦労のうえに成り立っているのである)
祖父の病も、祖母の心労も、
わたしが「聞き役」「調整役」「ピエロ」を演じられる才能と懐の深さがあったからこそ、
「まだ」軽減されてたんじゃないかしら、と思えるようになった。
わたしが存在してなかったら母の凄まじいエネルギーに振り回されてみんなもっと早く死んでたんじゃないか、たぶん。知らんけど。



ヒーラーの才能を持つがゆえ
その才能を活かすため、
過酷な現場に送られた、と考えたら
「ほなしゃーないか」と、ふと思うのです。
だって、
ふつうに幸せで愛に満ちた順風満帆な現場だったら、ヒーラーの才能を活かすことはない。
人の心を読むほどの共感力も
他人を思いやることもなかっただろうし、
道を訊かれやすい雰囲氣や
お年寄りに話しかけられることも、
役職につく上司から仕事や真面目な態度にポジティブな評価をしてもらうことも、今よりずっと少なかったかもしれない。
植物の声、動物の感情、心地いい場所の雰囲氣など、非言語情報を細かく拾う微細な感覚も育たなかったかもしれない。


お金を稼ぐ才能のある人が裕福な家庭に生まれることもあるかもしれないけれど、
がっつり稼いでる人の中にも
「うちは元々貧乏で学校の集金が払えず忘れた、とごまかしてた」などという人もいるのはやはりその「稼ぐ才能」を最大限に引き出すために一旦貧乏を経験する、という現場を魂が自分で選んでいるじゃないかな、と。あるいは、
「親が会社経営してたけど倒産して借金を背負ったからアタシが稼いで返した」とかもそうだろうなぁ。
持って生まれた才能が誰しもあって、
しかも自分の魂は好き好んでその過酷な現場に来てるんだと思う。
魂の修行ってそういうことじゃなかろうか。
「この経験」をしたくて生まれている。
自分にないものや他の者を目指すんじゃなくて、
自分にあるもの、才能に氣づいてそれをつかっていくこと。楽しむこと。
それを循環させること。それが人生。
自分を生きること、自分の才能を活かすことが社会貢献になるんだと思う。
肉体に入ったわたしたちはそんなことは覚えてないし、つらい現実には感情を揺さぶられるけれど、「悲しい」「つらい」というその感情すら、魂は体験したかったんだろう。
「存在しているだけで価値がある」
というのもその通りだ。
何かしなきゃ、役に立たなきゃ、もっとこうすればよかった、どうやったら救えたんだろう、なんて思わなくていい。
存在しているだけであなたもわたしも十分役に立っているのだから。


とにかく、
自分の生きづらさは「思考の癖」にあるということがわかった。
大元を探れば機能不全家族。
だいたいすべてのしんどさの原因って親子関係にたどり着くのよね。
MBTI診断でわかる性格や性質って、あきらかに環境による後天的なものだと思う。
だからINFJ(だけかはわからないけど)がアダルトチルドレンやHSPの特徴と似てくるのは至極当然で、そりゃそんな家でそんなポジションに放りこまれたらどんな赤子でもそう育つし、
そういう思考思想にならざるを得ないわけで、あんたは何も悪くないよ、というところだと思う。


さあ、ここまでわかったら大丈夫。進める。
現場認識って大事やね。
今自分がどこにいるかわかってないと
次どこに進めばいいかわからへんもんね。
「そうだ 京都、行こう。」ってなっても
現在地がどこにいるかで何に乗って向かうかも変わるわけで。
新幹線に乗るんか、お京阪なんか、阪急なんか、近鉄なんか。
「あっもう京都市内に住んでたわ!」なんてこともあるかも。
ほんならもうチャリでええやん、て話。


なんていうか。
ヤなこと言う奴が現れるのって
自分が自分にヤなこと言ってるからよな?と思えてきた。
ヤな奴は「そのこと」をわたしに教えてくれているだけ。だとしたら、やっぱり、ヤな奴にもありがとうという感謝でしかない。
あ〜〜わかってきた。
「現実はただの映像」てそういうことやん。
自分の内面で起きてることが外で映像化してるだけ。


自分いじめを認めて、
自分いじめをやめると決めた。
これからは自由に伸び伸びと生きられる方向へ。
魂を磨いて成長させちゃろ。
輪廻転生システムから抜けて、
ぼちぼち「あがり」といこうじゃないか。


さあさあ、ゆくぞ。

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