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思い出にも介入し始めた気候変動

「モンブランに登った時みたいに苦しい」

高1の春休み、部活帰りに茅ヶ崎駅近くに入院していた祖父を初めて見舞った日。

一度もお見舞いに来ていなかったことが申し訳なく、少し緊張気味にスライド式のドアを開けて病室に入った。
クリーム色っぽい白いカーテンが窓を覆っていたせいか、柔らかで明るい雰囲気の個室に祖父が寝ていた。
そろ~っと入って、ベットの横にある丸椅子に腰を掛けた。

祖父と私の二人きり。
「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、、、、」と心拍を示す機器の音が響く。
背が高くて、体格の良かった祖父。
その身体にはいくつもの管がつなげられている。
元気な時の姿をはかけ離れた状態に、なんと声をかけていいか分からない。

「ガタッ!」
急に祖父が動き出して、つながっている管を外し始めた。

「えっ!!ちょっと、どうしたの!?ダメだよ。ちょっとダメだって。。」
身体の大きな祖父を止める術が全く分からず、うろたえる私。
抑えようとしても、どんどん管を外して起き上がろうとする祖父。
何か訴えているけれど、こちらの頭が真っ白になっているせいか、何を言っているのか分からない。

「なに、なに!?なにがしたいの?どうしたらいいの!?」

「どうしたんですか!?何やっているんですか!!!」
看護師さんが血相を変えて入ってきた。

「祖父が管を外したいって、どんどんどんどん、外しちゃって、、、どうしたらいいか分からなくて、、、」
「どうしてナースコールを押さないの!!こういう時はすぐに呼ばないとダメなんですよ!!!」
と、こっぴどく怒られた。

呆然とする私をよそに、看護師さんが祖父をなだめながら管をつなぎ直した。
ベットを整えた看護師さんは私の方に向き直り、
「ベットの横にぶら下がっているボタンがありますよね。
 ほら、これね。これを押してくれればすぐに来ますから。
 何かあれば、すぐにナースコールを押してくださいね。」
何度か念押しされて、私がうなずいたのを確認すると看護師さんは病室を後にした。

さっきの大騒動が嘘のように、再び静かになった病室。
祖父の少し息切れした呼吸音だけが響いている。
祖父を大いに疲れさせてしまったことに大きな罪悪感を覚えていた。
「管につながれているのなんて嫌だよね。。。けど、何もできなくてごめん。」
ずぅーーーんと沈んでいく私。

すると、息切れしながら祖父が言った。
「モンブランに登った時みたいに苦しい。。。」
ん?モンブラン??

「何があったの?」
病室で待ち合わせしていた母が入ってきた。
「びっくりして、何もできなくて・・・。どうしたらいいか分からなくて怖かった。。。」
だいぶへこんだ感じで経緯を説明すると、
「まぁ、仕方ないよ。ナースコール分からなかった?困ったら看護師さんを呼んでいいんだからね」と母は、私を励ましてくれた。

「さっきね、じいちゃんが、“モンブランに登った時みたいに苦しい”って言ったけど。モンブランに登るとか、そんなことある?」

「あぁ、昔はよく海外旅行に行ってたからね。スイスにも行ったことあるし、モンブランにも登ったんだよ。その時、息が苦しかったのを思い出したんだね。お父さん、モンブラン行ったよね!」

スイスのモンブラン!?
「この状況でスイスのモンブランが出てくるなんてすごい!
 息切れの例えがオシャレすぎる!やっぱ、じいちゃんカッコいいわ!」
こんな素敵なじいちゃんに、一度も会いに来ていなかったことを後悔した。

「また来るね」
力強く管を抜き取った祖父の姿を思い出し、申し訳ない気持ちと同時に、まだ大丈夫そうだなという安心感を抱いた。

翌日、父から連絡がきた。
「じいちゃんが危ないって」

「嘘でしょ?だって昨日、しゃべったし、体力もありそうだったよ!」
「嘘つくわけないだろ!早く病院に行くぞ!」

モンブラン事件の翌日、祖父は亡くなった。

無理させた私が、死期を早めてしまったのかも。。。
私がすぐに看護師さんを呼んでいれば、もう一回くらい話せたかも。
結局、一度しかお見舞いに行かなかった私は、薄情だ。

亡くなった直後は反省しかなかった。
けれど、モンブラン事件の話を家族や親戚たちにすると、「じいちゃんらしいね」と温かく受け止めてくれ、私の心を軽くしてくれた。

いま思うと、凹む私を気に掛けてモンブランの話をしたのかもしれない。
私にとっての最後の言葉は、祖父が私に示してくれたカッコいい生き様の象徴だ。
若くに妻を亡くし、ずっと一人でいた祖父は友人が多かった。
海外旅行へも頻繁に出かけ、自宅に家族や友人を招いて様々なイベントを催し、私のために庭に滝まで作ってくれた豪快な人だった。

モンブラン。
私にとっては特別な場所。
いつかモンブランに登りたいと思っているが、いまだに行けていない。

このモンブランが、気候変動の影響を受けているというニュースを聞いて、モンブラン事件を思い出した。

祖父が訪れたモンブランと、わたしが出会うであろうモンブランとでは違う姿かもしれないなんて想像もしていなかった。
気候変動は思い出にまで介入してくるのか。

もちろん、景色が変化することは自然下でもある。
けれど気候変動は、私たち人間の活動によるところが大きい現象であり、自然環境だけでなく、災害の甚大化と頻発化によって社会・経済的環境へも影響し、さらには文化的環境にも負の影響をもたらしている。

わたしたち人間は、自分たちの大切なものを自分たちで壊している。
気候変動がもたらすことっていうのは、そういうこと。

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