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職業病:子どもの頃に引き戻されて社会を俯瞰する

「この4日間くらいで空いてる日ある?そっちに行こうと思うのだけど」

地味で人付き合いが苦手なわたしは、そもそも友人が少ない。しかも、子どもの頃から引っ越しが多く、大人になった今でも放浪癖があるため、同じ人と付き合い続けるのは難しい。マメとは真逆の性質を持ち、頂いた年賀状にすら返しないという無礼者でもある。大人の礼儀を吹っ飛ばして急に連絡してくる始末。。。
にもかかわらず、嫌な顔せず時間を作ってくれる友人たち。存在自体が尊すぎる。

人生移動の連続で、「地元」とか「ふるさと」は無いと思って生きてきた。けれど最近、歳を取った効果かもしれないけれど、茅ヶ崎あたりは「地元」だなと思えるようになった。それもこれも、友人たちの存在は大きい。

久し振りの会話には、たくさんの名前が出てきた。クラスメイトの名前、先生の名前、自治会の名前、お店の名前、神社の名前、道の名前。。記憶が途切れている部分も無くはないけれど、ほぼすべての名前を分かる自分がすごいと思った。
これまで、いくつの街に住んできたのか。数えるのも辞めてしまったけれど、街を構成する様々な名前が分かる場所は他にはない。友人たちがその唯一無二の場所を提供してくれているのだと思った。勝手に嬉しくなって、勝手に泣きそうになる。

もう一つ、当たり前だけど、ハッとさせられたことがあった。
私たちの地域は、何世代も住み続ける人が多いエリア。親しみを込めて「漁村」などとも表現する。そのせいか、子どもの頃は気付かなかったけれど、「○○屋」というように、いろんな職業の人たちで地域が成り立っていて、どんな職業がその地域に存在しているかで、その地域の特色が出るのかもしれないと思った。すごいおもしろい。

職業がら、セクターで分けて社会を捉えることが多い。たとえば、産業界、行政機関、研究機関、教育機関、市民団体。パートナーシップをつくろうとする過程でも、「マルチステークホルダー」あるいは「メジャーグループ」の参画などといいながら、これらの分類を重視する。
でも本来は、これでは分類が大き過ぎるんだ。もちろん、便宜上、仕方のないことだとも思う。けれど、当然のことながら、それぞれのセクターで、さらに細かい仕事や役割、分野がある。それを忘れていたことに、友人たちに気付かされた。

G7札幌 気候・エネルギー・環境大臣会合が、4月に札幌で開催される。これを機会に、いろいろな立場の人たちがともに、暮らしやすい社会について考え、つくっていくためのパートナーシップを築ければと思っている。
単純に分けがちなセクターや分野だけれど、その中には多様な人々が存在していることを忘れてはいけない。
「長」が付くとか、組織の大きさとかで判断して、その地域あるいはセクターを代表する存在と決めてしまうことに、もっと注意深くなる必要があるのだと心を改めた。

子どもの時からの友だちって、当時は喧嘩したり、嫌な思いをしたりと楽しいだけじゃなくて、ネガティブな出来事も共有してきた存在だ。楽しいだけじゃない存在だからこそ、余計にお互いのことが分かるというか、それでも離れずに縁を持ち続けてこられたことで、大事な存在になっていくのだと思う。

それに、会ってしまうと日常を忘れて、子どもの時の感覚に引き戻してくれるのがすごい。自分がいま立っている社会を離れることができると、いろんなことを俯瞰して見られるみたい。
こんな風に考えてしまうのが職業病っぽいけど(笑)。

また、遊んでもらおう。

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