移住直前、別れ。

移住を直前に控えた最後の一か月は、とても忙しいものでした。肉体的にも、精神的にも。

このころは、お世話になった友人知人たちが、島へ送り出すために送別会をしてくれました。それほど友人の多くない自分でも、毎日のように会が行われました。やっぱりいつでも会えると思うとなかなか会わなくても、簡単に会えなくなると思うと会おうってなるんですね。送別会は、少人数でじっくりと。そのたびに懐かしさと寂しさが入り混じった感情の揺さぶりがありました。自分が思うより、東京での暮らしも悲観するものではなかったのかなと思わせてくれたのは、友人たちの気持ちのおかげです。

荷物整理と友人との別れで多忙を極め、なんで移住するんだろうって目的を見失うような思いに襲われることすらありました。

もっとも精神的に堪えたのは、やはり親との時間でした。よく言われるのは、「あと親と何日会えるんだろう・・・」なんて問いかけをメディアなどで見ますけど、まさにその感覚のど真ん中で、両親と過ごす時間をなるべく多く取るようにしたけれど、どれだけ過ごしても満たされるものではありませんでした。親の何気ない生活、しぐさ、佇まいを愛しく思いました。

「離れる」という行為が、自分の周りにある「大切な人」の存在をこんなにも浮き彫りにするんだと思い知りました。親の大切さ、ありがたみを感じ、自分の選択した移住という行為がとても親不孝にも思えました。それでもその選択をする意味は、今尚、はっきりとは分かりません。それを見つめるのもこれからだと思います。

移住の前夜は、実家に泊まらせてもらいました。ひとつひとつの時間が最後かもしれないような錯覚におそわれ、とても寂しく、感情がヒリヒリとしました。

翌朝、いよいよ出発の日。

なかなか感情を表現しづらくなった父が、涙を流していました。出発することを分かっていました。玄関先で、母は僕が見えなくなるまで見送ってくれました。

気持ちを整理する答えなんて持ち合わせていません。いろんな想いを抱えました。それでも、自分たちのエゴで、行動します。それが大げさかもしれないけど、自分たちの「生き方」だと思うからです。


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