見出し画像

インデペンデンスデイ久保田剛史さん⑧



久保田さんおすすめグルメ

今回の久保田さんおすすめグルメは
三軒茶屋『カリガリマキオカリー』です

かもめんたるの槇尾ユウスケさんが
やっていらっしゃるカレー屋さんで
久保田さんもおすすめされていたので
楽しみにしていました

4種類のカレーから選べるのですが
私はココナッツが効いた
カリガリマキオカリーと
ちょっと辛めな
カリガリ超スパイスマキオカリーの
あいがけにしました

明るい店内

ルウも一つ一つのトッピングも
とっても美味しかったです

芸能人の方がやっていらっしゃる店は
やさしい感想が多くなりやすいですが
本格的でとっても美味しかったです

忖度なく
三軒茶屋にあるカレー屋さんの中で
私は一番美味しいと思いました

槇尾ユウスケさんと牧野ステテコさんに
お会いできたことも嬉しかったです


美味しいカレーをありがとうございました

剛史とChu!Chu!Chu!のコーナー

コロナ禍でお笑いライブが激減する中
私にとっての癒しは
インデペンデンスデイのラジオ
『座椅子の上に玉ねぎ三個』でした

内容はお二人の出演したライブについて
最近見たテレビ番組の感想
最近食べて美味しかったものを言い合うなど
いつもゆったりまったりしています

月に一度、メールの回というものがあり
そこではお二人がリスナーの質問に答えたり
自らコーナーを考えて送る猛者もいます

「みんな読まれていいなあ」
「私も何か送ってみたいなあ」と思い
私も自らコーナーを考えて送ってみました
それが『剛史とChu!Chu!Chu!』です

久保田さんとの
理想のキスのシチュエーションを考えてみよう
と思って考え始めたら
自分の中の久保田さんが溢れ出し
止まらなくなりました

1作目を
久保田さんへ送ったメール本文のまま
転記します


部活を終えた剛史

教科書を忘れたことに気付き教室に戻ると
クラスのイケてるグループに所属している
女子3人が何やら話している

モエ「アサミは誰が好きなの?」

アサミ「私は剛史が好きだな」

ユミ「たしかに、剛史かっこいいよね」

ここで3人の帰りを息を殺して待つのは並みの男
剛史は違った。「ガラガラッ」教室に入ると

剛史「俺もアサミのことが好きだ
よかったら一緒に帰らないか?」

モエ「剛史、かっこいい!」

ユミ「アサミ、返事しなよ」

アサミ「うん…剛史と帰ろうかな」

モエ「じゃ、私たち先に帰るね」

ユミ「ばいば~い」

アサミ「モエ、ユミ、ありがと」

剛史とアサミはクラスメイトの話、先生の話
何気ない話をしながら楽しく歩いた

自動販売機の前
ここを右に曲がると剛史の家
左に曲がるとアサミの家だ

剛史「一本おごるよ。何がいい?」

アサミはミルクティ、剛史はコーラを選び
ベンチに座った

アサミ「剛史ってただのヤンキーだと
思ってたけど、意外と優しいね」

剛史「紅茶花伝って美味しい?」

アサミ「ひとくち飲む?」

剛史「ありがと。じゃあコーラひとくち飲む?
味、知ってると思うけど」

アサミ「剛史って面白い」

お互いの飲み物を交換して
ひとくち飲んだ二人

アサミ「剛史と間接キスしちゃったよ」

剛史「…本当のキス、してみる?」

☆★☆★KISS☆★☆★

終わり

久保田さんはどれだけ高まったか
0剛史から100剛史で判定してくださいました

メールの回でメールを読んでもらい
0から100剛史で判定していただくことが
コロナ禍の私の生き甲斐でした

インデペンデンスデイのラジオ
『座椅子の上に玉ねぎ三個』は
ゲストを呼ばずに
お二人のほのぼのとした空気感で
発信され続けていることに
お二人の美学が感じられます

エル上田さん

一度だけ芸人さんのゲストを招かれました
エル・カブキのエル上田さんです

エル上田さん

上田さんは美学の塊です

清和漫才協会という
エルシャラカーニが主催した
関東の漫才師で団結しようという
ライブがありました

エンディングで
ウエストランド、三拍子、錦鯉…
錚々たる漫才師が
清和漫才協会の会員書にサインをしました

エル・カブキがサインをするよう促されると
エル上田さんはサインをすると思いきや
会員書をビリビリに破きました

客席の空気は一瞬にしてヒリついて
引いている方もいましたが
私はお笑いの舞台で
一人、美学を貫くエル上田さんを見て
「なんて格好いいんだろう」と思いました

それとは別のライブのエンディングで
錦鯉の雅紀さんが何かギャグを言って
私はめちゃくちゃ面白かったのですが
客席は私しか笑っていなくて
舞台上の誰も
雅紀さんを助けない瞬間がありました

そこでエル上田さんが颯爽と登場し
ツッコミを入れ笑いが生まれました

浮いている人と絡みたくないというのは
人間の本質としてあると思いますが
エル上田さんは誰よりも仲間思いで
「面白いものには面白い」と言える
ぶれない軸がある芸人さんだと思いました

『座椅子の上に玉ねぎ三個』
唯一のゲストがエル上田さんで
本当に嬉しかったです

インデペンデンスデイお二人とのやりとり
お三方のやさしさが滲み出ていて最高でした

エル上田さんと雅紀さん

空き部屋

インデペンデンスデイは
ラジオの収録場所を探されていました

私の自宅には四畳半の空き部屋があります
母と離婚した父が以前、過ごしていた部屋です

私は子どもの頃から日常的に
精神的、肉体的虐待を受けていました

例えば、私は物心がついたときから(2、3歳)
母に抱き付くことを禁止されていました
父の嫉妬心からくるものです

私の人生に大きな負の影響を及ぼしたのは
「いつ俺から呼ばれても
大きな声で『はいっ』って言えるように
いつでも身体を緊張させておけ」
という植え付けです

寝るときさえ『気を付け』の姿勢でいるよう
強要されていたので、私は今でも
「休んでいいよ」「寝ていいよ」
と言ってもらっても
休むこと、寝ることが出来ません
常に緊張している状態で
力を抜くことが出来ないのです

この過緊張は心療内科とカウンセリングに
7年通っても、治すことが出来ていません

さらに挙げ連ねていこうと思いましたが
気が滅入ってしまうのでやめます

母は「なんてひどいことをするんだ」と
私のことを父から守ろうとしてくれました
でも、一度も守ってはもらえませんでした

私から「お父さんと離婚して」
と言ったことは一度もありませんが
毎年、母から「お父さんと離婚しようと思う」
と相談を受けました

私は後押しをしているつもりでした
それでも
離婚には踏み切ってもらえませんでした

姉はすぐに逃げました
私が小学生、姉が中学生のときは家出
私が中学生、姉が高校生のときは
彼氏の家に転がり込んで
父と母
統合失調症の母の兄と
話し好きな父の祖母まで
相手をするのは私でした

姉からは
「あんたも逃げればいいじゃん」
「調整役なんていらないんだよ」
「余計なことすんな」
と言われました

しかし、私は心臓病で逃げる体力がなかった
そして家庭、特に母のことが心配でした

中学校3年間
専門学校3年間は
私にとって天国でした

どれだけ自宅が地獄でも
学校にはやさしい友人がいて
楽しい話をたくさんできて
日中は嫌なことを忘れられました

学校や職場でやさしいと言われることが多く
「きっと素晴らしいご両親なのね」と
よく言われましたが
私がひねくれずに生きてこられたのは
やさしい友人のおかげです
友人が私を育ててくれました

専門学校で保育士、幼稚園教諭、
介護福祉士の免許を取得したことも
大きかったです

たくさんの健全な家族を見ることができたこと
たくさんの支援が必要な家族を見ることができ
それが、完全に自分の家族と合致したとき
初めて自分は今まで虐待を受けていたと
認識することができました

母がようやく離婚に踏み切ってくれたのは
私が35歳のときです

その日が私が生まれた日だと
私は勝手に思っています

35年分を埋めるように
いま私は母に甘えています

抱きつきはしませんが
一緒に料理をしたり
一緒に食事をしています

友人からたくさんやさしくしてもらった
中学時代、専門時代も幸せでしたが
自宅が怖くないという当たり前の幸せを
35歳にして初めて味わいました

いま38歳ですが、恥ずかしながら
本当の本当に3歳という感覚ですし
3歳だという感覚でいるようにしています

父が離婚して空き部屋になっても
空き部屋は私にとって恐怖でした

小さな復讐ではないですが
空き部屋を動画撮影や会議で
スタジオとして貸し出しました
少しでも父がいた印象が消えるように

ある日、インデペンデンスデイに
「スタジオを使いませんか」と
メッセージを送りました
「ぜひ使わせてください」と
返信をいただきました

数日後
久保田さん、内藤さんが
私の自宅へいらっしゃり
『座椅子の上に玉ねぎ三個』
の収録をされました

私は母とガパオライスと餃子を作りました
収録が終わったお二人に
「よかったら食べていきませんか」と
声をおかけしたところ
快く「いただきます」と返してくださり
久保田さん、内藤さんと食卓を囲みました

お二人は「美味しい、美味しい」と言って
おかわりをしてくれました
大好きな母と作った料理を
大好きなお二人に食べてもらえている
私は世界一の幸せ者だと思いました

楽しい食卓

食後は久保田さん、内藤さんの解説付きで
私が大好きな
『笑っていいともグランドフィナーレ』
を見ました
お二人の解説付きで見ると
面白さが倍増しました

贅沢すぎる時間

夜も更けてきて
お二人はお帰りになられました
母と「楽しかったね」と言いながら
洗い物をしました。最高の夜でした

翌日、空き部屋に入ってみました
お二人が使用する前は入るだけで
恐怖で手が震えていましたが
「ここでインデのお二人が収録したんだ」
と深い呼吸をして落ち着いていられました

その日から持ち帰った仕事や
趣味の音楽を空き部屋でやるようになりました

インデペンデンスデイのおかげで
恐怖の対象だった空き部屋が
落ち着ける空間になったのです
またインデペンデンスデイに助けられました

入れるようになりました

この記事が参加している募集

推しの芸人

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?