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ユダヤ思考




「日本ではしばしばユダヤ人は『ずるい商売』をするといわれている。これは終戦後、まだ日本がお土産用のライターとか、竹で作ったクマデといった雑貨類を輸出の中心としていたころの経験に根ざす偏見である。占領下の日本にはじめて乗り込んできたのは、ユダヤ商人たちであった。彼らユダヤ商人たちは容赦なく買いたたいた。これは、日本人とユダヤ人のビジネスにおける正直さ、あるいは正当さをめぐる考え方のちがいが原因となっている。
商人ができるだけ安い値段で買いつけ、できるだけ高い値段で売りつけたいとするのは、当然のことである。これは、ユダヤ人だけに限ったことではない。日本の会社でも、営利事業である以上は変わるところがないはずである。 〈中略〉 ユダヤ人にとっては、物をできるだけ高く売り、そして買うときはできるだけ安く買うことは、少しも悪いことであるとは考えられていない。もし相手が、高く買うのが嫌だったり、あるいは買いたたかれるのが嫌だったら、それを主張すればいいのだ。」


「誰だって富──財産を残したいと思っている。ところがキリスト教徒や日本人は、それを口にしない。一方ユダヤ人は、金のことを口にするのを恥じない。どちらが自然だろうか。
ユダヤ人は金を道具だと思っている。道具に支配される者はいない。だから道具はできるだけ多く持っていたほうがよい。これはユダヤ人の金に対する態度を物語っているよりも、ユダヤ人の自然な、無理のない考え方を示しているといったほうがよいだろう。
金をたくさん持っているというのは、誰にとっても愉快なものである。ユダヤ人は金を、キリスト教徒のように汚いものとして蔑んだりしない。金はよいものであると考えている。」


「日本ではどちらかというと、金について気前のよい人間が喜ばれる。清貧とか、あるいは江戸っ子は宵越しの金を持たないといったように、金に全く執着を持たない人間が美化されることが多い。
しかし、ユダヤの伝統の中には、日本人が好む『清貧』といった考え方は全くない。貧しいということは、蔑みの対象とはならないが、自慢できることではない。また、ユダヤの伝統の中には、金を汚いものだとする考え方も、全く存在しない。金に対する健全な考え方があるのだ。これはまた、ユダヤ人の現実主義にもかなうものである。」
 
以上、ラビ・マーヴィン・トケイヤー著『ユダヤ人の発想』(徳間書店)より引用


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