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ノートはうまく書けなくても大丈夫。書いているうちに自分のスタイルができてきます(^^)

わたしは、日頃ノートや手帳に文字書いています。
子どもの頃からなにか書いていました。
紙に文字を書くのが好きなのです。

わたしの変遷

大人になって、いわゆるノート術とか、手帳術とかというような使い方をするようになりましたが、きっかけは「モヤモヤの書き出し」でした。
辛いことがあって、誰にも出さない手紙みたいなことを毎日毎日書いていたのが、思いつく最古のノート術です。
モヤモヤが晴れたら、そのノートは次第に書かなくなりました。

その後は、自分の生活ログを書くようになりました。
自分が何にどれだけ時間を使っているのかを把握するためです。
それこそ、歯磨き、洗濯物干し、食器洗い、洗剤の詰め替え、なんでも記録していた時期もありました。
その時は、自分のタイムデータが欲しかった。そして、タイムマネジメントをしたかった。
データを元にセルフマネジメントをしてみましたが、毎日の暮らしには不確定要素が多すぎて、測った通りにはできないことが多かったです。
わかると気が済んだのか、タイムログを取るのはやめました。

今は、数冊のノートを利用して、いろんなことを書いていますが、達成したい目標からの逆算、的なことはしていません。
今は、自分の毎日を見える化して、その時の思いを宝物にして残している感じです。
タイムログも大雑把に書いていますが、今の目的は、自分を褒めるため。
「今日も色々よくやったね!」と思いたいので書いています。

書くといいことがある

記録をとっていると、ご機嫌な自分も、凹んだ自分もよく見えます。
意外と頑張ってる自分も書くことで見えるし、変な癖にも気づくようになりました(笑)
最近では少しずつ「やりすぎている自分」を、嗜められるようになってきたような気がします。
やりたいことややるべきことも、書けば忘れにくいし便利です。

なので、「書かなくちゃ!」と思う気持ちは薄いです。
それに、書けない日も、それはそれで記録になると捉えているから、書くことについて自分を追い詰めることはありません。
すでに、書くことにメリットを感じているので、やめにくいのかもしれません。

ノートが書けないのはなぜだろう?

よく「何をノートに書けば良いかわからない」「ノートが続けられない」というようなテキストを見かけます。
世の中にノート術、手帳術の本はたくさんあって、その手の情報は飽和しているような気がしますが、それでも悩みは尽きない。

使いたいけど、上手く使えないのは、
使い慣れていないか、もしくは、正解を求めてしまうか、のどちらかじゃないかなーと思います。

ノートに正解はなくてよい

YouTubeやブログなどでは、美しく整ったノートをたくさん画像で見られます。
わたしも憧れます。
真似してデコをすることもありますが、まあ、うまくいきません(失笑)。

でも、そのうち上手くなるかもしれないし、とか思って、同じシールを買ったりします。
わたしの机の周りはシール屋さんのようです。
そして、性懲りも無くまた真似る。

でも、不思議とやり続けると、だんだん上手くなってきます。
文章も字もそう。
書いてると上手くなってくる。

ノートの内容も、最初はまとまらないかもしれない。でも、それで良いんです。
書き方に正解はなくて、自分が書いたら、それが正解になる。
それが、自分の唯一のノートに育っていきます。そのうち体裁も整っていきます。

最初はみんな初心者です

きっとYouTubeの人たちも、最初は下手だったんですよ(上手かったかもしれないけど(笑))。かけない日もあったと思います。
それでも書いているうちに「書くメリット」をそれぞれに感じて、結果として続くようになったのだと想像します。
そして、続けたから改善もできて、より自分にあった使い方を見つけられた。

だから、どんどんよくなって、みんなの憧れになってるんだとわたしは思います。

最初から綺麗に書けなくて当たり前。
上手くできなくて当たり前。
行き詰まって当たり前。

なんだから、

開き直ってじゃんじゃん書いてください!
そのうち上手になって、楽しくなって、
メリットも感じたらやめなくなります(^^)

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