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つぶやきこばなし:個性ってなんだろう?好みにあわせて作品をお届けするための「なないろデリバリー論」

こんにちは。あゆみです😊


今回の主な内容は、今後の発信スタンスについてです。

終盤ではタイトルも回収していきますので、よろしければご覧になってくださいね。




食べたいものを選ぶこと



今後の発信スタンスをお伝えするにあたって、まず、はじめに。

こちらで、私がずうっと抱え続けている心の葛藤や、手放したものと握りしめ続けているものについてお話しました。また、上記の記事タイトルのとおり “なりたい私” である「今後の方向性」についてふれています。

正直、これを公開するのにもかなり勇気が必要でした。「えっ・・・そんなに?」って思われるかもしれませんが、関所にデーンと構えている門番さんがいる私にとっては、プチバンジージャンプ体験でした(笑)でも本当は、まだまだ大きく飛びたいです。あばれ足りてません。

一部を抜粋すると、このようにお話しました。

がんばって70パーセントの自己開示。そして、50パーセントの自己主張。ふたつあわせて、120パーセントの自己表現になるのです。

120パーセントのちからの出し方


そこで、120パーセントのちからを出すために、あることを考えました。

見てくださっているかたの好みに合わせて、表現方法を変えること。その窓口を、(なるべく)わかりやすくご案内すること。

どうして、これが必要だと思うのかについて、お話したいと思います。


◇◇◇◇◇


現代は、自分の意志がどうであるかに関わらず、あらゆる情報が “目に耳に心に” うっかり飛び込んでくるようになりました。

なかには、できれば「見たくなかった」「知りたくなかった」というものも、あるはずです。これって、まるで、食べたくないものが口に入ってきそうな状態だと思っています。

私が受け取る側だったらどうするだろう?と想像すると、前もって「気をつけてね」と言ってもらえると対処しやすくなりますし、注意書きがなく飛び込んで来てしまったら、別のものを食べてごまかすかもしれません。


いらないものを「いらないよ」って出来たらいいのですが。もし、これを勧めてくれた人が信用している人だったり、世間一般で「身体にいいものだよ」と言われているものならば。納得してないまま、ゴクンと飲み込んでしまうこともあるように思います。

なかには、「実は栄養たっぷりだった」とか「食わず嫌いしてただけで自分に合っていた」ということもあるかもしれません。でも、それだけじゃなく、自分の体質に合わなかったりすることもあると思います。


だから、やっぱり「食べたいものと食べたくないもの」を、自分の五感をつかって、(場合によっては第六感も)取捨選択することが大事だなと思っています。

後者の「実はいいものだった」というパターンでも、納得してないまま飲み込むのはしんどいことですよね。たとえ、一定以上の効果が見られるものだったとしても、人それぞれに “必要としている時期” が異なることもあるはずです。また、お食事って、美味しいねって思える「気持ち」も大事だと思います😊


なにが言いたいのかというと・・・

食べるかどうかを決める「きっかけ」は、多いほうがいい。


不特定多数の方々に向けて発信しているので、あくまでも「配慮」の域を出ることは難しいのですが。可能な範囲で、コンテンツの入り口をわけることによって、「食べたいものと食べたくないもの」が分かりやすくなると思いました。

Aさんにとっては欲しかった情報でも、Bさんにとってはいらないものだったり。Cさんにとっては大好きなものでも、Dさんにとっては受け入れ難いものも、ありますよね。


思えば。

私の場合、これらを気にするあまり、言いたいことが100パーセントの濃度で言えなくなってしまった気がします。AさんもBさんもCさんもDさんも、みんなを傷つけずに、みんなが美味しく食べられるものを探していたから、自分の内側でいろんな想いが熟成されていきました。

燻製職人として生きるのも、ある意味面白そうですが。やっぱり、もぎたての果物のようなみずみずしさで表現したいこともあるし、シュワシュワの炭酸水のような勢いでパチパチしたいこともあります。お菓子のようなポップさがあっても楽しいし、わさびや辛子のような刺激が好きな人もいますよね。いろいろあったほうが、面白いです。


見てくださっているかたの好みに合わせて、表現方法を変えること。その窓口を、(なるべく)わかりやすくご案内すること。


甘いものが食べたい気分の人は、ケーキ屋さんなどに行くだろうし、辛いものが食べたい人は、韓国料理屋さんに行くかもしれません。ラーメンが食べたいのに、フランス料理屋さんには行かないはずです。

また、提供する側の視点から捉えると。カレー屋さんなのに、お刺身定食がなくてクレームをつけられるのは、困ってしまいますよね。

このようなイメージで、作品や発信のスタイルを分けることによって、ある程度はスムーズに表現しやすくなる気がしました。


とは言え、本質部分では共通していることもあります。私が表現するものは、基本的に「重ため」です。これは、自身の考えていることや扱っているテーマが “ずっしり” していることもありますし、思う存分、文章表現ができる「noteという場」であるから、そのようになっているとも言えます。

だから・・・唐突ですが、インスタもはじめました😊

インスタでは、「シンプルにわかりやすく」をモットーに。今のところは、カジュアルだったりライトな雰囲気でアップしていこうと思っています。(でも、言いたいことは同じです)

noteよりもマイペース更新になりますが、よろしければ覗いてみてくださいね♪



わけるだけでなく「つなげること」も考えたい



ここまでは、「わけること」をメインにお話してきました。

住み分けることで、不要な争いを避けたり、不快な想いをせずに穏やかに過ごせることもありますよね。とっても大事なことだと思います。

そのうえで。

私が大事にしている思想や考えのひとつとして、わかるまでわかろうと歩み寄る「建設的なコミュニケーション」があります。


合うものや合わないもの。好きなものや嫌いなもの。いろいろあって当たり前。ムリして合わないものに合わせることもないし、嫌いなものは嫌いでいい。こころに正直に生きるのは、大事だと思っています。

そのうえで、綺麗ごと抜きにして、合わないものに合わせることが必要なシーンはあるだろうし、嫌いだと思っているもののなかにも、好ましい一面が潜んでいるかもしれません。

建設的なコミュニケーションってなんだろう?


これらを、無意識のうちに行うのではなく、あえて、取捨選択してみるという視点があってもいい気がします。


合わないと決めているから、合うものが見えなくなる。でも、合わないなと感じながらも、合う部分を探そうとしたり、歩み寄ろうとすることで「しっくりくるね」が生まれてくる

嫌いだと思い込むから、すべてが受け容れられなくなる。でも、嫌いだなと思いながらも、一部だけでもイヤじゃないところが見えてきたら、10パーセントくらいは好きになれるかもしれない

共存・共生するための考え方


体調を崩してまでムリをするのは、言うまでもなく止めたほうがいいと思っていますし、時と場合と状況によって正解が変わるものだとは思うのですが。異なる存在同士が穏やかに共生するためには、このような視点があってほしいと、切に願っています。

住み分けをするだけではなくて、「つなげること」も、仲間入りさせてほしいのです。自分の意見を押し付けたいわけではなく、ただ、対立の少ない世界で、穏やかな気持ちで生きていたいという想いがあるだけなのですが・・・伝わっていたらうれしいな。

そして、「(なるべく)つなげるためにできそうなこと」を、いろんな方法で発信したいと思っています。



組み合わせることで個性が活きる



「あなたと私は違う」

本当に、違うのかな?と思います。

個性って、なんでしょうね?


「異なる存在同士が、ひとつのものをつくりあげる」


赤青黄色。だいだい紫。藍みどり・・・

どれもこれも、正解や不正解はない。
ただ、「色」が違うだけ。

好きな色や、そうではない色はあっても、ただ、そこに色があるだけ。


心の傷も、葛藤も。
うれしいなと感じるものも。

現われかたが違うだけ。
理解されずに苦しいのは、同じかもしれません。
笑っていたいと願うのは、同じかもしれません。


だからこそ、跳ねのけ合うよりも、知ろうとしたり、組み合わせようとするほうがいいなぁと思います。

まるで、虹のように、いろんな色があるほうが綺麗だし、見ている人の心も感情豊かになりそうです。


虹の象徴である「希望」という根っこは同じ。安心して生きたいと願う気持ちは同じ。でも、なないろそれぞれに持ち味があります。

好みや痛みの現われかたは様々だからこそ、必要とするかたに向けて、必要な色味をお届けしたい。でも、もとをたどれば一つのもの。

なないろデリバリー論(あゆみの造語)


赤青黄色。だいだい紫。藍みどり。だけではなく。

補色同士を混ぜ合わせたら黒になるし、グレーやブラウン。きらきらの、ゴールドやシルバーもありますよね。

絵を描く時には、どの色も欲しいです。

はじめから、うまくできることばかりじゃない。何度も失敗して、キャンバスや手を汚して、それでも描き続けたから、やっと、できるようになることもあるはずです。もちろん、できないこともあります。得意不得意は、誰しもあります。


安心して生きるために必要なことを、綺麗ごとだと言わないでほしい。

一生懸命に生きている人に、理解の目を向けてほしい。

にこにこ論で生きるために


組み合わせるまでに、時間が必要なこともあるはずです。すんなり行かないこともあります。少なくとも、私の人生は、すんなりいかないことがあって当たり前でした。精神疾患も抱えました。

これまで、泥まみれになってきたからこそ。うまくやれなかったことがたくさんあるからこそ。なかなか、理解されずに苦しんできたからこそ。お伝えしたいことが、山のようにあります。

それらを、どうにかコネコネして。
食べられるものに変えたいと思っています。


◇◇◇◇◇


あなたも私も、あの人も。
それぞれに想いがあって当たり前。
それならば、私も自己主張していいはず。

大事なのは「目的」だから。
少しずつ、慣れていこうと思います😊(ドキドキ)


お読みくださって、ありがとうございました。



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