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№22:道理と中庸~感性をロジックにロジックを感性に

東洋医学は近代医学の傘の下

 わたしがnoteでこのタイトルをつけた理由はセラピストとして「人の心身」に関わっているのと今日の風邪症候群騒動なども通して東洋医学、西洋医学、近代医学、古典伝統医学にしても「画一的」で「縦断的」になっている感がある等々です。つまり偏ってる。

全てと言いませんが、鍼灸師でも近代医学のシステム配下になってしまっている人がいる。

それは施術方法や保険云々(少しは関係ある)を言っているわけはありません。私も古典東洋医学の施術式はあまり用いてない。
そればかりか、超音波やハイボルトなど物理療法もつかっておるし。

そういう技術や方式ではない、もっともっと前の話です。

人ひとり(わたし)の智慧など知れています。それでも思案思考し、誰かに伝える事(セミナーふくめ)で人の役に立ちたいです。

当然、治療や健康、自然治癒力などなどのセミナーになります。
腑に落ちるセミナー内容を鑑みています。それは道理であり中庸であります。それでも行方(わたし)の言っていることは疑似科学であり、トンデモ理論であり、スピリチャルであると言われるかもしれません。
その意味では出る杭になるのか・・・・。

道理と中庸は難しくない

noteのタイトルでも道理と中庸ですが、以下の意味からどちらも宗教、哲学的要素が源泉となっていますがその点は割愛しています。

道理・・principle
〇ある原因に対して、納得のできる結果が自然に生ずること。又は、そのような因果関係。 
〇納得ができる理由、わけ。筋が通っていること。正しさ。
〇当然であること。容易に納得できること。なるほどと思えること。 

ウィクショナリー日本語版

中庸・・moderation
〇かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「—を得た意見」「—な(の)精神」

〇 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。
〇「中庸」の『中』とは、偏らない、しかし、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではない。よく、「中途半端」や「50対50の真ん中」と混同されている。中間、平均値、足して2で割るというものではない。常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解できるものである。 

Weblio 辞書/ウィキペディア(Wikipedia)


第1回セミナーはポリヴェーガル理論

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何でもそうですが、最後は「感性」とか「意識」に帰結することがあります。しかし現在のところ脳科学などで「感性」「意識」そして「感情」というは統一した定義がありません。
だからこそ感性をロジックに、ロジックを感性にする(近づける)必要があります・・・

基本的にはオンラインセミナーではなくてインサイト(現場)セミナーとしたいですが、時間や遠隔地の方も考慮してZOOM開催も設けます。
特に本論、ポリヴェーガル理論ではインサイトにする意味がそもそもあるのです。
ぜひご参加ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。






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