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御朱印ブームっておかしくない?


御朱印は

スタンプラリーではない!!



おっと、突然大声で失礼しました。
神社仏閣を巡り、お参りするのが好きな私にとって、ここのところずっともやもやし続けていることを吐き出してみました。

数年前から御朱印ブームが始まりましたね。
テレビで紹介され、今までほぼ置いていなかった書店や文房具店にも御朱印帳コーナーが設置され、手に取りやすくなりました。私が御朱印帳を探して、必死に文具店や仏具店を駆けずり回った頃とはわけが違います。

……ちょっと待った。

ブームって何?

御朱印を集めるのがブームってどういうこと?


そもそも神道と仏教は宗教ですから、本質的にはブームになるようなものではない、と個人的には思っています。
時が過ぎれば廃れていくものがブームです。
そうでなければ、現在まで受け継がれてくるわけがないですから。

というわけで、ちょっと歴史を調べてみました。



御朱印とは

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神社や寺院で、初穂料を納めて参拝者に向けた印章をいただくものです。
これはだいぶ省いて説明したものですが、現代においての御朱印の説明になります。

では元々はどのようなものだったのでしょうか?



御朱印の起源

御朱印の起源は江戸時代の納経帳にあります。
更に遡ると、六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶ かいこくひじり)の
「納経請取状(のうきょう うけとりじょう)」に辿り着きます。

六十六部廻国聖は略して六十六部と呼ばれ、法華経を66回書写し66ヶ所の霊場に一部ずつ納めて歩いた修行者のことを指します。
諸説ありますが、始まりは室町時代と言われるものが多いです。
実は、お遍路巡り(四国四十四箇所巡り)も、この六十六部の廻国巡礼の一環として巡拝したものだそうです。

六十六部は、納経すると「納経請取状」が発給されます。これが、納経した事の証明書で、御朱印の大元です。
宗教的に考えれば、徳を積むことに証明書がいるとは思えませんが、当時は依頼を受けて巡拝するという形が多かったらしく、納経した証明が必要だったのでしょう。



御朱印が広まったわけ

奈良・平安時代以降、日本は神仏習合で僧侶が神事を司ったり、寺院の中に神社があったりと、神道と仏教は同居していました。八百万の神々とはよく言ったもので、日本が一神教でないのはこのような背景があったことも影響していると思います。

しかし、明治になると政府は「神仏判然令」を発し、神道である神社と仏教である寺院をはっきり分けるようお触れが出されたのです。
これにより、千年以上続いてきた伝統が否定され、神仏分離をせざるを得なくなりました。この影響で多くの神宮司が廃され、また寺院が神社になることも少なからずあったそうです。

そして明治4年(1871)、政府によって六十六部は廃止され、同時に旅が自由化されました。巡礼ではない純粋な観光旅行ができるようになったのです。
明治から大正にかけて、なんと官製はがきや絵葉書に印を押したものが残っているというのです。当時は比較的気軽に押印していたようです。
巡礼を目的としない旅行者は納経帳を持参する事はないと思われますが、神社仏閣に参拝したら記念に印をもらう慣習は根強く残っていたのではないでしょうか。



日本人、昔とさほど変わってない説

ここまでが、歴史を調べてわかったことなのですが…
私の御朱印スタンプラリー否定したい論が、歴史によって真っ向から否定されることになりました。

……ウソダドンドコドーン!!
神社も仏閣も神聖なものでしょうよ!?

昔の人も、現代の人と似たようなことをしていたので、ちょっとガッカリしてしまいました。いや、誰が悪いということはないのですが!

ま、まあ、宗教ですし、気の持ちようということもあるでしょう。
現代では日本人は無宗教の方が多いのではないでしょうか?
神社は日本を象徴するものでもありますし、出かけた先にあるなら折角だから行こうという人がほとんどだと思います。まさにその地に行かなければお目にかかることは出来ないですしね。


合理的?物差しでは測れないものもある

物は言いようと言いますがその通りで、考え方によってはいい方向に考えられることがいくらでもあります。
神などいないと言ってしまえばそれまでですが、神様はむしろ自分の中にいて、生きていく上で自分を律するための道標だと、私は考えます。

そこで、ですよ。
今年元号が令和になったわけですが、令和元年初日の日付を記した御朱印をいただくのに長蛇の列が出来ていました。
ミーハーだな日本人!?
昔からそうでしたし、知ってましたけど。

そこまでは良しとします。
ここからが問題です。むしろ大問題です。

各神社からいただいた大切なその御朱印を、
フリマサイトやオークションで売り捌いているではないですか!

何でも金になるこの時代だとは言え、御朱印を売るだなんて。
自分のやっていることが恥ずかしくないのかと!
声を大にして!言いたい!!

売る方も売る方ですが、買う方も買う方です。
自分でお参りしたからこそご利益もあるというもので、誰かが利益の為に売っているものを買って何が嬉しいんですか?
ただし、寺社の押印がされているただの紙っぺらだとか、コレクションの為にはいくらでも出すとか、そのような考えを持っている人がいたら私の思いは通じないでしょう。
それでも、欲しいものがいつでも手に入れられる時代だからこそ、本当に大切なものは自分の足で手に入れに行くべきだと私は思います。


心の持ちよう。だからこそ

とまあ、例になく興奮気味に私の主観でかなり個人的な意見を述べたわけですが、人の数ほど考え方も様々です。

先程、このように述べました。

神などいないと言ってしまえばそれまでですが、神様はむしろ自分の中にいて、生きていく上で自分を律するための道標だと、私は考えます。

何かを行う前に、その行いが正しいかどうか、自分の胸に手を当てて考えてみる必要があるのではないかなと、思っています。自分の中の神様に見られていても、恥ずかしくないように。


御朱印は日本独自のものだそうで、世界でも類を見ない文化だということです。それならばなおさら、起源や成り立ち、御朱印の意味を正しく知った上で参拝されると、もっと寺社巡りが楽しくなると思います。

それでは、皆さまのよき寺社巡りライフを!

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