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親友の自殺:大切な人の死がもたらす”終わり”と”始まり”

大切な人が亡くなった時、自分も死ぬ。
その人との関係性の終焉という形で。

わたしにとって最初の大きな”死”は高校時代。
親友の自殺だった。

「わたしにもしものことがあったら
 後のことはあなたに託すからね。」

そう言ってもらえるほど頼りにされていたのに
わたしには彼女のそんな想いが重荷になっていた。

死を選ぶ少し前からわたしにSOSを送ってくれていたのに
気づきながらもスルーしていた自分。
高校2年生。大学受験のプレッシャーが日々大きくなる中で
自分以外の誰かにエネルギーをさく余裕はなかった。

わたしは彼女から逃げた。
彼女はある日ビルの屋上から飛び降りた。

嵐のような大雨の降る朝、
友達から彼女が亡くなったことを聞いた。

・・・わたし、助けてあげられなかった。

人生で初めて間近で直面した死が親友の自殺。
その死が与えたものは本当に大きかった。

わたしは長らく彼女を救えなかった自分を責めた。
自殺の直接の原因はわたしではなくても、
生きることをあきらめる過程で
わたしの彼女への態度はそれを加速させる一要因だったと思う。

お通夜で彼女の自宅を訪ねた時、
わたしと彼女の仲を良く知るお父さんがこう言った。

「あの子と仲良くしてくれてありがとうね。」

・・・わたしは責めてほしかった。
「どうして親友でありながら娘を助けてくれなかったんだ?」って。
でも、教師でありながら娘を自殺という形で亡くしたお父さんは
ほかの誰よりも自分のことを責めていたのだと思う。
とても穏やかな顔でわたしに「ありがとう。」と。
あの時のお父さんの顔と声が忘れられない。

それから長い年月が過ぎ、ある時気づいた。
彼女は誰の事も恨んではいない。
彼女は自ら死を選ぶ形で
自分を取り巻く人たちとの関係性の糸をすっぱりと断ち切った。

それは思春期のわたしにとって残酷な終わり方であり、
同時に自分の人生を生き切ることを決める過酷な始まりでもあった。

17歳の誕生日を待たずに自分の人生の幕を自らひいた彼女に対して
わたしにできることはわたしの人生を全うすること。

生きる苦しみも悲しみも
怒りも憤りも憎しみも
やるせなさも後悔も
みじめさもぶざまさも
全部全部ひっくるめて自分を生きること。

そして自分が強くなって、
いつか誰かを助けられるようになること。
同じ苦しみを持つ誰かの心を支えてあげること。

あの日から30年近い歳月が経った。
何度かこの人生をあきらめそうになったけれど、
それでもわたしは今日ここに生きている。

あの日わたしは彼女とともに死んだ。
そして彼女のいない世界に生まれた。

大切な人の死がもたらす”終わり”と”始まり”。
それは生きている限り何度も訪れる。

生まれ変わる度に、
それまで以上に強く生きる覚悟をつきつけられる。

泣いて泣いて涙が枯れるまで泣いたら
覚悟を決めて目の前に広がる世界へ。

人生は何度でも始まる。
あきらめることなく、何度でも生まれ変わろう。

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2016年8月10日に書いたブログ記事です。生きることをあきらめそうになった時、何度でも読み返そうと思います。

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