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あれについての物語

「つまりあれだよ」とあれについて男が語り始めた。あれはあれほど傷ついてもちゃんと立っているんだ。あれは立派だよ。あれほどあれが立派だったなんて思わなかった。最初あれを軽蔑してたからな。小さい奴だって。なのにいざとなると急に胸を張り出してさぁ頑張るぞって気合いを入れるんだからな。それを聞いていた女は男の語っているあれについて下ネタ的なものを感じあれについて語るのはやめてくれと言った。しかし男はなにを言っているんだと女を嗜め再びあれについて語り出した。あれが生まれたのは四半世紀前のことだ。あれはその時今のように立派でなくてまだソーセージ並みの小さなものだった。自分はそんなあれに生命の脈動を感じたものだ。そういえばロシア=ソビエトの詩人にこれについてという詩があった。この詩はソビエトのネップ時代に書かれた詩だが、私はこの駄文を書きながらひたすらそれを思い出そうとしていたのである。つまりあれとはこれのことだったのだ。言葉はいつも手探りで、私の記憶力は相当危ういので、いつも何かを見失ってしまう。しかし人生の終焉とはそうやって記憶を濾過した果てに辿り着くものではないだろうか。という事は今までの人生で得てきた知識や経験は記憶と共に消え失せ、肉体だけがそこにたどり着く。肉体だけの人間など人形とさほど変わらないものだろう。あれについてやもこれについて考えた今の時間も全て消え失せてしまい、その後に全っているのはあれもこれもなくただ茫々とした空間を死ぬまで延々と彷徨う日々である。あれについてやこれについての記憶を探してあたりをうろついても当然のように見つかるわけではない。しまいにはあれやこれについて考えていたことすら忘れてしまうだろう。そんな事で朝からこんな駄文を700文字も書いてしまった。通勤途中の人はこの駄文を読んでなんと思うだろうか。私を気の毒に思いあれやこれについて考えるのはもうやめろと説教でもしてくるだろうか。


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