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クールの誕生

 ベースとドラムとピアノのトリオの小粋なジャズ演奏をバックに男は隣の女に夜の誘いをかけていた。いささか情緒的に過ぎるトリオの演奏が彼の中の欲望を代弁するかのように鳴り響く。

「たまにはこんな場所もいいよね。君は楽器とか弾くの?よかったら一回僕とセッションしないかい?床に響くウッドベース。そこにドラムと……」

 だが女は突然テーブルを軽く、まるでピアノでワンフレーズを弾くように弾くともう我慢の限界だといった表情をして立ち上がった。そして彼女は男に申し訳程度の笑顔を浮かべてまたにしましょうと言ってテーブルにお金を置くとそのまま男に背を向けて立ち去った。

 男は去りゆく彼女を見て思う。なんてクールな女なんだ。まさにクールの誕生だ。俺なんか相手にしないぜって感じだった。だけど彼女はまたと言った。という事はまた彼女と会う事は可能なのだ。いや、もしかしたら彼女は俺を弄んでいるだけかもしれない。だけどそれでもいい。俺は彼女にいつの間にか心を奪われてしまったみたいだ。周りからクールだって言われて自惚れていた自分が恥ずかしい。彼女こそ本物のクール。俺の誘いをクールな微笑みで受け流し、耐えられないと言った表情でゴミを払うかのようにあしらった。彼女をものにするにはどうしたらいいだろう。あんなクールな女をものにするには素直にこの情熱のたぎりをぶつけるしかないのか。

 女はジャズバーから出て真っ先に公衆トイレを探した。ああもう!なんでこんな時に尿意が出てくるのよ!あのタイミングでお手洗い行きますだなんて言えないじゃない!あの人すっごいカッコつけて喋ってたし……。あそこでオシッコ行きます。ついでにうんこもしますだなんて言えないわ!実際にはお手洗い行きますって言うんだけど私のモゾモゾぶり見たらバレバレじゃない!ああ!あったあった!トイレよ!

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