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ヨーゼフvsホームズ 第一話:ホームズ登場

 偉大なるドイツ帝国の首都ベルリンの大通りを一台の馬車が駆けていた。馬車にはこれまた偉大なるドイツ帝国警察の紋章が刻まれ、そしてその威容を帝国臣民にしらしめる車をひいて黒き馬は疾駆していた。その走る馬車の後部座席には異国人の気取った紳士が座っている。紳士は先ほどから足を組み、組んだ股の上に新聞紙を広げてパイプを吹かしながら熱心に記事を読んでいた。彼は記事を読み、時たま記事に対して嘲るように吹き出し、そして読み終わるとあくびをしながら新聞紙を閉じた。そのタイミングを見計らってか、前方の座席に座っていた男が後ろを振り返り、後部座席の男に向かって声をかけた。すでに馬車はドイツ帝国警察署の前についており、あとは異国人が降りるのを待つだけだった。
「ミスター・シャーロック・ホームズ。前方に見えるあの守護神のようにそびえ立つ建物が、我が偉大なるドイツ帝国の治安を一手に引き受けるドイツ帝国警察です!」
 ドイツ帝国警察の刑事のそのあまりにも仰々しい案内ぶりにホームズは一瞬たじろいだが、すぐに冷静さを取り戻し、さすがはドイツ人、どこまでも田舎者だ、天真爛漫にもほどがある、といかにも英国人風の皮肉な笑みを浮かべた。その薄笑いに感づいた刑事は馬車内でホームズが新聞記事を読んで吹き出していたのを思い浮かべ、ホームズが馬車から降りるなり、一体さっきから何がおかしいのかと腹立ち紛れに問いただした。
「ミスター・ホームズ。あなたはさっきから何を笑っているのですか?今だけじゃない、車内でも新聞記事を読みながら度々吹き出していたではありませんか。馬車に置いてある新聞の記事は我らがドイツ帝国警察を代表する哲学的名推理家フリードリッヒ・ヨーゼフ警視が一年前の難事件をようやく解決した名誉ある記事です。その記事には一面から裏面までヨーゼフ警視の今回の事件を論考した長大な論考が載せられているのだ。それを嘲笑うとはあなたはドイツ帝国警察を、いやドイツ帝国そのものを嘲笑しているのか!いくら英国を代表する名探偵だろうが許せぬものがあるぞ!」
 ホームズは刑事がいかにもドイツ人的に眉間に皺を寄せて怒りに身を震わせながら抗議しているのを聞いていると、先ほど車内で読んだ話題のフリードリッヒ・ヨーゼフ警視による『ブランデル事件の形而上学的解決への論考』というあまりにも仰々しいタイトルの長い文章を思い出しまた吹き出しそうになった。英国紳士の彼にとって、わざわざ殺人事件の論文で新聞の全てのページを埋め尽くす行為それ自体失笑ものだが、さらに愚かしいのはその文章の内容であった。論文の中には勿体つけたように哲学用語が頻出しざっと読んだだけでは一体何を言わんとしているのか全くわからない。しかし哲学用語を取り払い、事件のあらましだけを読むと、そこに綴られているのは名探偵ホームズ氏にとっては全く陳腐極まりない事件であった。大富豪ブランデル氏の屋敷で殺人事件が起こった。被害者はブランデル夫人である。聞き込み調査の結果夫人には生前三人の愛人がいた事がわかった。容疑者としてまず挙げられたのはその場にいた夫のブランデル氏だが、捜査を進めると三人の愛人も同時刻に屋敷に入っていた事がわかり、しかも彼ら全員殺人現場にいたことが小間使いの証言でわかったのである。この事実が出てきたことで捜査は混乱し、捜査は著しく長期化したのだった。ホームズは記事を読んですぐに犯人の目星がついた。犯人はどう考えても夫のブランデル氏だろう。ブランデル氏は以前から多情な妻を殺したいほど嫉妬していた。彼は殺人計画を練り、操作を撹乱するために妻の愛人たちを、妻の名を騙ってわざと屋敷に呼び寄せてから殺人を実行したにちがいない。これが彼の推理であった。なんという幼稚なトリック。こんな事件に一年間もかけていたのか、自分なら36分で解決できる事件だと、ホームズは鼻で笑ったが、しかし彼が驚き、そして耐えられず吹き出してしまったのは、続きの論文に犯人がホームズの推理したブランデル氏ではなく愛人の一人の牛乳の配達人だと書かれていたことである。記事には配達人が犯人であることの証拠の代わりに、存在論が善悪論が法の哲学がなんちゃらと牛乳の配達人が犯人であるべき理由がくどくど述べられていたが、それがホームズには何かの冗談と思えず、先程馬車の中で思わず吹き出してしまったのだった。彼は記事を思い出してこみ上げてきそうな笑いをどうにか抑えると刑事に向かって答えた。
「いやいや、もうしわけない。私はあなたのその哲学的名推理家のヨーゼフ警視の唖然とするほどの存在論的推理ぶりに感服しましてね。その見事な推理に笑えるほど感動してしまったのですよ。で、その哲学的名推理家のヨーゼフ警視はどちらへいらっしゃるんです?」
 刑事は相変わらずのホームズの皮肉な言葉に心底頭に来たが、この男は本庁がわざわざ呼び寄せた客人である事を思い出し、ぐっと自分を抑えて答えた。
「ヨーゼフ警視は警視総監室で警視総監と一緒に、ミスター・ホームズ、あなたを朝からお待ちしています」
「それはどうも。で、紅茶と例の粉は用意してくれていますか?」
 刑事は紅茶と聞いて英国人はどこまでも厚かましい。外国でも自分の流儀を押し通すつもりかと憤ったが、もう一つの例の粉というものについては何を言っているのかさっぱりわからなかった。ホームズそんな刑事の表情を見て取って慌てて打ち消すようにこう言った。
「いや、粉のことについては聞かなかったことにしてください。自分で見つけますよ」
 

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