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前衛芸術家ヨハネス・クリンガーの帰還

 前衛芸術の帝王とも法王とも、はたまた神とも称されるヨハネス・クリンガーが長い闘病生活からようやく解放された。カフカの『城』に出てくるような巨大で陰鬱な建物の大学病院から退院した彼を待ち受けていたのは、彼を崇拝する芸術家と、彼が退院すると聞きつけてコメントを取ろうと待ち受けていたマスコミであった。崇拝者たちはマスコミたちの無礼さに憤ったが、ヨハネス・クリンガーの名声と彼の登場がアートの世界に与えた衝撃を考えればそれも仕方がない事なのだろう。

 ヨハネス・クリンガーの登場はあまりにも突然で衝撃的であった。彼のデビュー作『モナリザの忠実なる模写』はマルセル・デュシャンの同コンセプトの作品を遥かに超えていた。そのレオナルド・ダ・ヴィンチのもっとも有名な作品を忠実に模写したという作品は、あまりにも元の作品からかけ離れていたのだ。目はまんまる。鼻は三角。まゆは八の字。口は半円で、顔の輪郭は崩れた楕円で描かれている。ダ・ヴィンチがこれを見たら憤激のあまり即死するかもしれない作品である。しかしこの作品こそが現代アートにおける最も過激な制度破壊であった。ヨハネスの登場は美術史における一大転換であり、そして究極であった。彼のその後の活動はデビュー作のほぼ延長線上にあるといってよい。道路にチョークで書かれた一本の糞。ビルの壁に描かれた女性の裸と単純な記号によって描かれた女性器。夜の美術館に忍び込みルネッサンス絵画の名作に『怪盗クリンガー参上!』と書いた事件等、彼の芸術活動のすべては美術史への挑戦であり美術への根源的な問いであった。

 そのヨハネス・クリンガーが突如病で倒れ、生死の境を彷徨っていると報道された時人々は永遠の前衛芸術家ヨハネス・クリンガーもこれで終わりか、そして彼とともに前衛芸術もまた死ぬのだろうと悲しんだが、その彼が九死に一生を得て復活したのだ。

 マスコミは今ではすっかり白髪の老人となったヨハネス・クリンガーと取り囲み矢継ぎ早に質問を浴びせた。真面目な性格であるクリンガーは一つ一つ丁寧に質問に答えたが、その彼のとある質問への回答にマスコミ連中は一斉にどよめいた。
 クリンガーは記者の病室では何をしていたのかというありきたりな質問にこう答えたのだ。
「病室ではずっとデッサンの勉強をしていたんだ。ずっとひ孫の絵を描いていたんだが自分でもよく描けたと思う。多分自分の芸術作品の中で一番出来のいいものじゃないかな。今度家に帰ったら孫にプレゼントするつもりなんだ」
 この答えを聞いた記者たちは前衛芸術の神ともいわれる人物にしてはなんと殊勝な言葉なのかと感心した。そしてこの微笑ましいコメントにほっこりした気分になった。クリンガーがでは家族が待っているからとその場から立ち去るクリンガーの後ろ姿を畏敬の眼差しで見つめていた。

 家に帰ったヨハネス・クリンガーを出迎えたのは彼を支え続けた妻と息子や娘とその子供である孫たちと4年前に生まれたひ孫まで含めた大家族だった。前衛芸術家でありながら常識人でもあった彼は家庭こそ自らの芸術を支えるものとして大事に育ててきたのである。家族たちはヨハネス・クリンガーが家に入るなりクラッカーを彼に浴びせ一斉に「おじいちゃん退院おめでとう!」と声を揃えて言った。ヨハネスは感激してしばし感激に咽んだ。それから彼は子供や孫たちに促されて席に座ると彼は家族に礼を言った。
「みんなありがとう。今私がここにこうして生きているのは神の恵みと君たちの献身あっての事だ。私からも皆に感謝のプレゼントをしよう。まずは可愛いロザリーからだ。ロザリーおいで」
 そう言ってヨハネスはひ孫のロザリーを呼び寄せると彼女に自ら最高傑作と自負するロザリー自身を描いた肖像画をプレゼントしたのだ。その絵を見た家族はおおっと近寄り感激のあまりため息をついた。ヨハネスが家族の絵を描くなんて初めてだったからである。子供や孫たちがいくらせがんでも描いてくれなかった絵を描くなんてどういう心境の変化なのだろうか。彼らはロザリーに向かって「お前は果報者だよ。おじいちゃんの絵を大切にするんだよ」と口々に言った。しかしロザリーは絵を見た途端急に不機嫌になり、ヨハネスに聞いたのである。
「この下手くそな絵誰が描いたの。友達のマルクス君だってもっとまともな絵描けるよ」
 ヨハネスはその言葉を聞いて深く動揺し、震える声でロザリーに言った。
「こ、これはおじいちゃんがお前を描いたものだよ!」
「おじいちゃん絵下手だね!こんなブサイクなのロザリーじゃない!こんなのいらない!おじいちゃんもっとちゃんとした絵をプレゼントしてよ!」
 ロザリーがこう言った途端家族の顔は凍りつき、それを察した母親がロザリーを叱った。
「ロザリー!せっかく絵をプレゼントしてくれたおじいちゃんになんてこというの!謝りなさい!今すぐ謝りなさい!」
 しかし人格者であるヨハネスは彼女を制してこう言った。
「まあ良いではないか。ロザリーはまだ子供だから絵に対する知識がないのだ。いずれこの子も私の最高傑作がわかる時が来る」
 ヨハネスのこの言葉でその場は収まり、それから一家は楽しいひと時を過ごした。

 その三日後である。新聞の一面にヨハネス・クリンガー引退の記事が載り、クリンガーの退院にこれで前衛芸術も復活すると喜んでいた人々をドン底に突き落とした。

「前衛芸術家ヨハネス・クリンガー引退!もう絵なんて書けない!前衛芸術家ヨハネス・クリンガー(86才)が昨日自分は今後全ての芸術活動から引退するという文書を発表した。その中でクリンガー氏はこう語っている。『先日入院した時、自分は美術の教育をろくに受けていなかった事に思い当たり、せっかくだから絵の勉強をしようと小学生用のデッサンの教科書を読んで一から絵の勉強をして、ひ孫にプレゼントするために彼女の肖像画を描いたのだが、その当人に下手くそだと詰られた。私はその言葉に衝撃を受け、そして自分の活動を振り返り、自分が実は絵のことなど何もわかっていなかったことがわかったのだ。病室でデッサンの勉強をしているうちに目はまんまるでないこと。鼻は三角でないこと。口は半円でないこと。などがわかり今までまるでしか描けなかった手のひらも五本の指を描く事ができるようになったが、それでもとても芸術のレベルに到底達していない事に思い至ったのだ。私の芸術活動はすべて不毛だった。私は知らず知らず人を騙していたのだ。勿論私は自らの活動が芸術であると信じていたが、結果として皆を騙していたのだ。私はこれからは絵は描かない。筆など一切触らない。今はただ深く思考の中に沈み自らの愚かしい過去を振り返るだけだ』


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