見出し画像

壁画

 壁に描くのは常に満たされぬ思いだ。健次郎は毎日取り憑かれたように壁に絵を描いていた。世間では彼の行為を落書きと呼ぶだろう。しかし彼にとって壁に絵を描くという行為はこの世界に対する自己証明のようなものだった。健次郎は壁に絵を描くという行為で世界に事故の痕跡を刻もうとしていたのだ。何もかもが無償の行為であった。誰も見てくれなくてもいい。そのまま打ち捨てられても構わない。ただそこに僕の生きた証を刻めればそれでいい。健次郎はそんな思いで毎日壁に絵を描いていた。

 健次郎は別に絵を学んだわけではない。ただ子供の頃から壁に落書きをしてていただけだ。彼はペンキを壁に叩きつけて自らの満たされぬ思いを描いていた。狂気、願望、失望、嘆願、希望。思いの丈を壁にぶつけた。

 さて今日も絵を描こうと彼はいつもの壁に行った。そして彼は驚きのあまり立ち止まった。なんと彼の絵の上に落書きがされていたのだ。健太郎は俺の魂の絵に落書きをするとは何事だと憤ったが、よく見るとその落書きは自分よりも遥かに上手いではないか。さらに見るとなんとその落書きの中になにかメッセージのようなものが描いてあった。それはこんな文言である。

「下手くそ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?