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無駄にシリアス

 昔ある女がいた。と話を始めなきゃいけないのは悲しい事であるし、辛い事である。その女は早朝にビルから飛び降りて命を絶ったが、知り合いによると現場はいろんな物が飛び散って正視に絶えぬものだったという。彼女の自殺の原因ははっきり言って不明だ。遺書らしきものはまるで残さなかったみたいだし、特に自殺を匂わすようなそぶりも、明らかな異変もなかった。彼女が飛び降りたと聞いて僕は思わず人違いかと疑ったものだ。だが、友達から、そして葬式の場ではっきりと彼女が死んだ事を見せつけられて僕はそれを認めざるを得なかった。しかし何故彼女は死を選んだのか。

 僕は彼女とは仲のいい友達というだけで特に深い付き合いはなかった。たまに一緒に飲みにいってくだらないバカ話をよくしただけだ。彼女は真面目な人間でバカ話の最中によく人生についての小難しい話を一人で始める事があった。僕はそういう時必ず彼女にチャチャを入れて話をやめさせていた。「おい、お前さ、無駄にシリアスだよな。似合わねえんだよ」そういうの」僕のこのセリフに彼女は笑い、「そうだよね、あなたバカだから難しい話わかんないよね。ゴメンね」と切り返した。僕は今この会話を思い出し、この時彼女が僕に何らかのサインを送っていたのではないかと一瞬考えたが、やはり違うような気がする。というのはこの手の話を彼女は昔から誰にでもしていたのだ。ある人は彼女の話にちゃんと耳を傾けて自分なりの考えを語り、またある人は僕みたいに彼女を茶化したりしていた。つまり僕らは彼女はもともとそういう人間であったのだ。普段は笑い上戸の楽しい人間であるが時折シリアスな事を語る人。それが彼女であったのだ。僕らはそういう人間として彼女を見て接してきた。僕らにお前たちは真から彼女という人間を理解したのかと聞かれたらある程度理解していたと答えることはできる。だけど彼女が自殺したという事を考えると彼女の言動に何かしら読み取れる物がないではないと考えてしまう。そして僕らにもいくばくかの原因があったと考えてしまうのだ。別にわからないことは考えても無駄だと人は言う。だけどわからないという事を放っておいても物事の解決にはならず、疑問が永遠にまとわりつくはやはり気分がわるい。僕は時折こんな考えに耽ってしまうのが嫌になって思わず彼女にこう毒付いてしまう。

「「おい、お前さ、無駄にシリアスだよな。似合わねえんだよ」

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