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残滓のさらにカケラ、それをすくう「ポイ」
縁日の金魚すくいに、濡れたポイ
むかしむかし、私がまだ子どもの頃のことです。
春彼岸のお墓参りの日には、お祭りでもないのにお寺の門前に屋台が数軒並んでいました。流石に食べ物屋さんはありませんでしたが、子ども相手におもちゃ屋さんと金魚すくい屋さんが居たことを覚えています。
私はいままで一匹も金魚を掬えたことがありません(いつもおまけで一匹もらえます)。その時に使う、金魚を掬うための和紙製の道具を「ポイ」と呼ぶそうです。
ポイは最初に水に浸すのがコツだよ、と友人は言いました。私は目の前の素早い動きに焦るばかりで、いや艶やかさに目を奪われて、そのコツをいつも忘れてしまうのです。
ある時「ポイ」はカメラのようだと思いました。
金魚をすくってビニール製の巾着に入れることができる代わりに、残滓をすくってフィルムに定着させることができるのですから。
街角をカメラをもって歩いていると、いろんなカケラが泳いでいるのが見てとれます。もうすぐ消えようとするモノ。今に現れようとするモノ。時間の傷跡。誰かの温もりの残留思念のようなもの。
今度こそは失敗しませんように。
ポイを事前に水に濡らすように、焦らずゆっくりとシャッター釦を押しました。
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立体駐車場の横、マンションの手前には、解体工事中の民家がありました。今だけ見ることができる風景は、そこここに遍在しています。
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この自転車がここに存在している風景だって(影がこの形になっている瞬間も)、偶然の奇跡なのかもしれません。