そんなにもあなたは夏を待つてゐた しかし、もう、あなたが瞬きした瞬間に、夏は終わっていたのです。 いや、それは違います。夏が、永遠ともおもわれた夏が、瞬きほどの感覚で通り過ぎていっただけなのです。 でも、まだセンチメンタルには早すぎますよ。だってあなたのカメラの中には、夏色のフィルムが残っているではありませんか。 .
映画「パーフェクトデイズ」で、街角の解体跡地を前に、お爺さんが平山さんに、ここなんだったかな? って聞くんですよ。 で、ふたりとも家の近所だったんですけど覚えてなくて。誰かが覚えてないと、すぐ忘れられてしまうんですよね。無かったことになっちゃうんですよね。何でも。 だから写真撮っとこう。散歩ついでに。日常を。って思っちゃいました。 PENTAX LX.
連日の見事な夕焼けこやけに心がその都度旅立ちます。 仕事から帰ってくると部屋の空気は熱風をともなっているのですが、網戸にするとその夕色まで暗い室内に入り込んでくるようで、ついついシャッターボタンを押してしまいます。 そして時折行き交う鳥の羽音が何かの変化を暗示しているようでドキドキしてくるのでした。
5月の風が一番好きなんだ と、つぶやきつつ、あの日、湖となった水田のほとりで私は窓を全開にした車と新緑を遊ばせていた。6月に入るとすぐに空はくすみ、雨ばかりが降っている。 なので1週間前にもかかわらず、あの風はもう私の中で懐かしいものとなっていた。 時間の流れは絶え間なく、留まることを許してはくれない。その一瞬がどれほど心地のよいものだったとしても。 しかし風の流れと香りは飛翔しながらも私をたぶん待ってくれている。そして定着させた5月の光の痕跡フィルムは、今日
夏への扉を探す理由があるとしたならば それはどのような時なのでしょうか? 私は一番好きな季節である夏をいつもいつも探しています。 夏雲が流れる音が聞こえてくるような気がしました。それはただの風音だったのかもしれませんし、もしかしたら波の音だったのかもしれません。それでも私には雲の流れる音に聞こえましたし、それは即ち光が流れる音でした。 夏が来ると直感したのはその後です。音は光となり、光は私のまなことフィルムに確かに定着されたのですから。 それでも私は今も、それで
半径1キロ少々の空間に封じ込められた さまざまな事象を同時に定点観測できたとしたならば、それはどんな群像劇として私の網膜に記憶されるのでしょうか。喜劇たる狂言でしょうか? それとも悲劇たる能なのでしょうか? そのようなことはありえないのですが、半径1キロ以内の空間、前後1時間以内の時間が刻み込まれた36枚を内包した1本のモノクロフィルムを俯瞰して見た時、それは白昼夢として私の脳内に再記録されるのでした。 村田和人の「一本の音楽」ではないですが、1本のフィルムが私にそう
夏になると海のにおいが恋しくなります。 潮が「朝」のもので、汐が「夕」のものだと先日知りました。なるほど、文字ってすごいなあ。 私は朝の海も、ゆうやけこやけな海も好きですが、遅い昼の海も好きなのです。でもこれって汐・・・ってコト!? 違いますよね、通常は1日2回の高潮と低潮があるそうなので。 汐までもう少し待てば良かったですね。でもその前にタイムオーバー。遅い昼の海を散歩して、数回シャッターを押して、私は後ろ髪をひかれつつ帰路につくのでした。 Fantôm
耕作地を大きくカーブした道の向こうには、 そこにはただただ「コウヤ」が広がっているようでした。それは西部劇で見るような広大にして荒涼とした空間ではありませんでしたが、荒野にして広野と呼ぶには十分に思えます。 どうやら昔は田畑だったのではあるまいか? と、私は独りごちました。タバコを吸うことはありませんが、タバコをふかしたい気分に襲われます。もちろん心の中でふかしただけで、肺には煙を入れないチキンです。 荒野を前にして味わう、この孤独感がたまらないのかもしれません。私は