見出し画像

ドラマ脚本「心の窓」


あらすじ
 ネトカ住民の中島駿は窓拭きのバイトに応募し、ゴンドラから見た都会の景色に惹かれる。職場には心優しい指導員・古謝とお節介な元キャバ嬢の明日花がいた。人間不信からコミュ障になっていた駿だが、ふたりの間で少しずつ心の窓を開き始める。明日花の方も駿に好意を持つようになるが、ある誤解からふたりは決別する。折しも東京に黄砂が降ってきて、契約しているビルの窓拭きを引き受ける駿。彼は心の窓を拭いて、明日花へあるメッセージを伝えようとする。

 

【主な登場人物】

中島駿(25)  ビルの窓拭き
巽明日花(22) 駿の同僚
古謝修(58)  駿たちの指導員
津田和則(28) 明日花の元カレ
島田(50)   駿の会社の総務部長
小此木(38)  駿の元上司
美和(22)   明日花の友人
近藤晃(36)  某メーカー営業マン
近藤靖子(32) 近藤の妻

 

本 編】 


○ネットカフェ(夜)

  壁の時計は「午後八時十五分」。
  漫画や飲み物を自室に運ぶ客たち。
  個室内で、中島駿(25)がネットゲー  
  ムをしている。
  うしろの扉がノックされる。
  店員の声「お客様」
  駿ゲームを中断して、鍵を開ける。
店員「本日も連泊のご利用ですか?」
  駿黙って頷き、財布の中を見るが千円札
  二枚しかない。
駿「あ、あの」
店員「後払いでも大丈夫ですよ。明日の午後八時までにお願いしますね」
  店員扉を閉め、隣の部屋へ。
  駿、慌ててPCを切り替える。
駿「(独白)当日払いの仕事…」
  アルバイトのサイトを開く。
  「クリーン・クルー(ビルの窓拭き)募集 
  中!日給八千円(当日払い)」という募集
  に目を留める。
駿「(独白)年齢性別不問。主に高層ビルのため高所に強い方…研修一日あり、か。これなら、他人と話さなくて済むかなあ」
  駿、応募ボタンをクリック。

 

○タイトル
  
  「心の窓」

 

○東都ビルメンテ・研修室

  集まった四名の応募者たち。
  前列に二名、後列に茶髪の巽明日花(2  
  2)と駿が座っている。
  壇上には古謝修(58)。
  白板に「クリーン・クルーの仕事 ①シ 
  ャンプー②スクイージ③クロス」と書い
  てある。
古謝「窓拭きの作業は、全三工程です」
  サブ指導員が、モップと洗剤の入ったバ
  ケツを示す。
古謝「まずシャンプーモップを洗剤に浸して、ガラス面の汚れを浮き上がらせる。次に、スクイージで拭き取る。最後は、四隅をクロスで磨く…」
  窓の模型を使い、サブがやって見せる。
明日花「楽勝じゃん。(駿に)ねえ?」  
  と話しかけるが、駿は目をそらす。
明日花「(独白)人見知りのオタク、か」
駿のN「午前中は、座学による研修」

 

○A高層ビル

  屋上からゴンドラに乗り込む古謝。 
  待機する駿と明日花。
古謝「まずこの段階で『自分には無理』って思ったら、正直に言ってね。もし、高所恐怖症とか…」
明日花「そんなの、ここ来るわけなくない?」
  と言って、我先にゴンドラに乗り込む。
  反動でゴンドラが揺れる。
明日花「わわ!やっぱ、ちょっと怖~い」
  しがみつく明日花に、安全ベルトを装着 
  してやる古謝。
古謝「はい、よくできました。じゃ、中島君」 
  駿、ゴンドラの下に広がる景色を凝視。
  ビュービュー唸る風の音。
  眉をひそめて目をつぶる。
古謝「中島君…無理そうかい?」
駿「…」
  深呼吸をして、ゴンドラに歩み寄る駿。
古謝「(手を差し伸べ)そうそう。私の手だけ見て」
  その手を取り、乗り込む。
駿「…大丈夫です」
  ホッとした顔でドアを閉める古謝。
  ゴンドラがゆっくりと降りていく。
   × × ×
  ゴンドラに乗って、一階の窓を拭く駿と
  明日花。
駿のN「午後は実地研修だった」
  ふたりの作業ぶりを観察する古謝。
古謝「中島君、もうちょっと軽くやってもいいよ。巽さんは、もう少し丁寧に四隅を…」
明日花「あすか。巽じゃなくて明日花って呼んでよ」
古謝「じゃ、明日花ちゃん。中島君も駿君でいい?」
  駿、黙って頷く。
  明日花、古謝の名札を見る。
明日花「おじさんは…これ何て読むの?」
古謝「コジャ。やっぱ読めない?沖縄じゃメジャーなんだけど。メジャーなコジャ…なあんてね」
明日花・駿「…」
古謝「さ、今日中にこの面仕上げるよ~」
  と、ゴンドラを操作する。
駿のN「慣れさせるためなのか、最初は地上階から始まり、徐々に高層階に移った」
   × × ×
  ゴンドラは五階まで来ている。
  汗をかきはじめる駿と明日花。
古謝「目の前の汚れに向き合うこと」
  駿と明日花、古謝を見る。
古謝「まず、怖いから下は向いちゃダメ。窓の内側は内部情報だから、じろじろ見ちゃダメ。空を見ると目眩がするからダメ」
駿・明日花「…」
古謝「これって人生に通じると思わない?過去を振り返るな、他人を羨むな、先のことを思い悩むな、今目の前にあるものに集中せよ…ね、私今いいこと言ってるよね?」
  明日花、吹き出して失笑。
明日花「コジャさん、ドヤ顔やめて~」
古謝「(照れ笑い)あれ、違う?ダメかあ」
  駿は笑いもせず聞いている。
駿「(独白)目の前の汚れに向き合う?」
   × × ×
  ゴンドラは最上階へ。
  だんだん様になってきた駿と明日花。
古謝「はい!最後の一枚、完了で~す」
明日花「やった~」
  明日花、疲れきってしゃがみ込む。
古謝「ちょっと、うしろを見てみようか」   
  夕焼けに染まった美しい風景。
明日花「(立ち上がり)うわあ。何これ」
駿「(絶句)」
古謝「今度は、ビルの下」
  ふたり言われるがままに下を見ると、ビ
  ル全体に夕日が映りこんでいる。
明日花「すげ!やっばい」
古謝「窓が汚れていたら、こんなに綺麗には映らないよ。つまりこの夕日が、きみたちの仕事の成果です」
駿・明日花「…」
古謝「これで研修は終了。お疲れ様でした」 
  ゴンドラが屋上に上がる。
古謝の声「慣れるまでは、無意識に足腰を踏ん張ってしまい筋肉痛になります。今夜はお風呂で、しっかりほぐしましょう」
  ゴンドラを降りていく三人。

 

○ネットカフェ・シャワー室(夜)

  シャワーを浴びている駿、
駿「…ホントだ」
  脚がガクガク震えている。
  手を見ると、爪まで汚れている。
駿「(独白)目の前の汚れに向き合う、か」
  駿の耳元に、幻聴が滑り込む。
小此木の声「お前いくら技術職だからって、コミュニケーションぐらいとれよ」
同僚1の声「課長の言う通り。社会人なんだからさ」
同僚2の声「社会不適合者だよな、中島は」 
  かき消すように頭を洗う駿。

 

○明日花のマンション(夜)

  帰宅した明日花、鍵を開けようとするが 
  既に開いている。
明日花「(溜息)」
  リビングまで進むと、ソファに津田和則 
  (28)が寝転んでいる。
和則「あれ?はええな」
  明日花無視して、上着をハンガーに。
和則「今日、休みだっけか?キャバクラ」
明日花「今日だけじゃないし。ずっとよ」
和則「ああ?それで、どうやって食っていくんだよ?学もコネもねえ、おまえがよ」
明日花「あんたに関係ないでしょ」
和則「あるよ」
  和則、明日花をうしろから抱きしめる。和則「だって、俺おまえのヒモじゃん」
  と、明日花の首筋にキスする。
  明日花しばらく身をまかせるが、唇をか 
  んで肘打ちをくらわせる。
和則「(うめき)ぐえ。てめ!」
  明日花、壁の警報ボタンに指をかける。明日花「このマンション、これ押したらソッコーで警備員来るの、知ってるよね?」
和則「…」
明日花「出てって!」
和則「わかったよ。行くよ」
  と降参して、渋々帰り支度を始める。
明日花「合鍵、置いてって!」

 

○東都ビルメンテ・事務所(夜)

  古謝が帰ってくると、森田社長が手書き  
  の帳簿を整理をしている。
森田「ああ、古謝さん。お疲れさま。どうでした?今日の子達、居ついてくれそう?」
古謝「ええ。自分が担当したふたりはいい子だし、やってくれると思いますよ」
  女事務員の伊藤が、お茶を古謝に出す。森田「そう。なら、シフトに組み込んでも大丈夫だね。伊藤さん。この古謝さんはね、目利きなんだよ」
伊藤「目利き、ですか?」
森田「数年前ね。やる気満々だった若者が応募してきたの。でも研修終わったあと、古謝さんが『彼は危ないから入れない方がいい』って進言してね」
伊藤「なにか、欠点でもあったんですか?」森田「(ちょっと勿体つけて)…自殺願望」
伊藤「まあ!」
森田「この業界狭いでしょ。うちで不採用になったあと、他社に入ったと思ったら…」
  飛び降り、をジェスチャーで示す。
  伊藤、手を口で抑える。
古謝「…彼は、地上三〇メートルを楽しんでましたからね。こういう職業は、臆病な人間じゃないと」
森田「ひとを見る目…これが一番難しいんだけど、さすが、古謝さんはプロだよね」
伊藤「え?古謝さん、プロなんですか?」
森田「ああ。もともとは大手メーカーの人事部にいらっしゃったんだから。でもその古謝さんの才能を見抜いた私も、なかなかの経営者でしょ?」
  などとふたりが雑談するのをよそに、古  
  謝は窓の外を見やる。
古謝「(独白)目利きなんて‥とんでもない」
  と、険しい顔で都会の淡い夜景を睨む。  

 

○B高層ビル

  三〇メートルほどのビルの中程に、ゴン 
  ドラがぶら下がっている。
  駿と明日花が、並んで清掃作業中。
駿のN「一週間ほどすると、指導員の古謝さんは単独で別の現場に行き、ぼくらはふたりひと組で作業をするようになった」
  作業を中断し、汚れた眼鏡を拭く駿。
明日花「(独白)え?意外とイケメンじゃん」
  駿、かけ直して作業に戻る。
明日花「ねえ、中島」
駿「…」
明日花「中島駿!」
駿「え?」
明日花「コジャさんがさ、来週あたしらを焼肉屋さんに連れてってくれるんだって」
駿「…」
明日花「行くよね?」
駿「他人と食事するの、苦手で」
明日花「そういやあんた、お昼もひとりで車の中で、コンビニ弁当食べてるよね」
駿「…個食主義なので」
明日花「行こうよ。コジャさんの気遣いなんだから。あの人ギャグは寒いけど、優しいじゃん。がっかりさせちゃダメだよ」
駿「…うん」
明日花「(独白)世話焼けるわあ」

 

○焼肉店の座敷

  古謝と明日花は鉄板を間に向かい合い、 
  駿は少し離れたところにいる。
明日花「うそでしょ?」
  駿、メニューを仕切りに使って、食べる 
 ところが見えないようにしている。
古謝「駿君はきっと、会食恐怖症なんだね」明日花「かいしょ…何それ?」
古謝「社会不安障害の一種で、他人と一緒にご飯が食べられないんだよ。そっとしておいてあげましょう」
明日花「いいの?」
古謝「それも、個性のうちだから」
  駿、前にも壁を作り手元を囲い込む。
   × × ×
  明日花の前にはグラスが5,6個あり、 
  ロースやカルビをバクバク食べている。 
  駿は隠れるようにして、野菜を食べる。古謝「うちの仕事、きつい汚い給料安いの3Kだけど、ふたりはホントよくやってくれてるよね」
明日花「ま、3Kだけど気持ちいいよ。ゴン  ドラの上から気取ったОLとかが小走りし てるの見るとさ、アリンコがせかせか働いてんなあって、優越感?」
古謝「山の頂上にいるような感じかな?」
明日花「うん。それと風を感じるんだよね。窓ガラスを挟んだ内側と外側でこうも違うんだって。あれだね。私らって、都会のクライマーだね」
古謝「お、明日花ちゃん詩人だねえ」
明日花「(照れて)いやあ、まあね」
駿「…ぼくも、窓の内側で働いていた」
  古謝と明日花、興味深げに駿を見る。
駿「でも、そのときの方が寒かったです」

 

○会議室(回想)

  経理部の社員数名がいる中、小此木がお 
  茶を飲みながら企画書を眺めている。
小此木「ソフト開発に半年だと?こんなもん 作らすために、会社は給料払ってるわけじゃねえぞ。だいたい今までの会計ソフトの何がマズイってんだ」
駿「…そこに、書いてあります」
  小此木、企画書を机に叩きつける。
小此木「紙じゃなくて、てめえの言葉で説明しろって言ってんだよ。いいか、仕事ってのはコミュニケーションなんだよ。人間関係なんだよ。それがわかってないから…」
  黙って聞いている駿。
小此木「Z世代は使えねえんだよ!」
  と、カップのお茶を駿の顔にかける。
  周りの同僚たちは見て見ぬふり。

 

○焼肉店の座敷

  古謝、駿のグラスに烏龍茶を注ぐ。
古謝「パワハラか。きみも苦労したんだね」駿「ぼくが周りを不快にさせたんだから、自業自得と言う人もいました。でも、どっちも嫌な思いするくらいなら、お互い関わらず黙々と仕事だけこなせばいいと思う」
  古謝、メニューで囲ってる空間を指して古謝「ここが駿君の部屋だとすると(仕切りのメニューを指し)今は雨風が激しいからこうやって雨戸を締め切ってるわけだ。でもこれだと安全だけど、日が差したことにも気づかないよ。そこで提案だけど…」
  と、囲いの前部を抜き去る。
古謝「せめて、窓を付けてみたら?」
駿「…窓?」
古謝「そう。“心の窓”だね。別に、雨がやんでから外に出ればいいんだし…あ!」
  と、明日花に向き直る。
古謝「私、今いいこと言ってるよね?」
明日花「(苦笑)またドヤ顔。それにコジャさん、言うことがいちいちお坊さん臭い」
古謝「お坊さん臭い?(くんくん自分を嗅いで)こりゃただの加齢臭か。わはは」
明日花「だからあ。ギャグの加齢臭がキツいっつーの」
  談笑するふたりを眺める駿。
駿のN「誰にも話してない過去だったけど、なぜかこのふたりには話していた」

 

○明日花のマンション(夜)

  慎重にドアを開けようとする明日花。
  またノブが回る。
明日花「…あの野郎、合鍵の合鍵かよ」
  ゆっくりノブを戻して、その場を去る。

 

○ネットカフェ(夜)

  店内に入っていく明日花。
明日花「(独白)今夜は、ここで過ごすか」
  と、遠くにスウェットを来てシャワー室 
  に向かう駿の姿が。
  出ていった個室をこっそり覗く明日花。 
  スーツケースに着替え。
明日花「あいつ、ここに住んでんの?」
   × × ×
  シャワーを終えて個室に戻る駿。
明日花「見いちゃった、見いちゃった」
  隣室との仕切りの上から、明日花が顔を 
  出す。
駿「うわ!」
明日花「あんた、現住所ゴマけてバイトしてるよね?」
駿「…」
明日花「ギブ・アンド・テイク」

 

○明日花のマンション・玄関~部屋の中

  駿と明日花が、玄関前でひそひそ話。
駿「やっぱり、そういう他人のプライベートなことに立ち入るのは…」
明日花「本人が、立ち入れって言ってんの!」駿「しかし」
明日花「とにかく、あんたは何も言わずに私の横にいてくれるだけでいいから」
  と、ノブをつかんでドアを開ける。
明日花「(甘え声で)ねえ、今夜はうちに泊まっていって。ね、いいでしょ!」
  と、中に向けて聞えよがしに言う。
明日花「あれえ?なんで開いてるのかなあ?電気もつけっぱなし?」
  などと廊下を進んでいく。
  リビングのソファに和則の後ろ姿。
明日花「(駿に)見て。こいつ前に話した、私につきまとっているストーカーよ」
駿「…えっと、はじめまして」
  明日花、駿をつねり口にチャック。
明日花「プータローのくせに、いつかはバンドでメジャーデビューするとか、ホラばっか吹いてるクズ男くんよ」
  駿、心配そうに明日花を見る。
  和則の背中が震え始める。
明日花「ひとの部屋で何してんのよ。このイタいストーカー野郎!」
和則「あんだと!このクソアマ」
  立ち上がった和則の手にはナイフ。
  明日花が壁の警報ボタンを見ると、ガム 
  テームで覆ってある。
明日花「な、なによ。あんたにそんな大それたことができるの?あんたみたいな…」
和則「黙れ!」
  駿が明日花を引っ張ってうしろにやる。 
  和則、駿に向かっていく。
  駿、さっと躱して足を払い床に転がす。駿「こ、こんなの洒落にならないから」
  駿、和則の腕を捻り上げて押さえ込む。明日花「(独白)なに?かっこいいじゃん」
駿「ね。や、やめよ」
和則「痛。わかった。わかったから離せよ。な、ナイフも玩具だから」
  明日花が拾い上げてよく見ると、段ボー
  ルに銀紙が巻いてあるだけのもの。
  明日花、安堵の吐息をついてから
明日花「だから、あんたはダメなのよ!」
  と、床に叩きつける。
駿のN「彼女は結局、全ての合鍵を没収し二度と近づかないことを条件に男を帰した」

 

○C高層ビル

  清掃作業中の明日花と駿。
駿「ゆうべの件…警察、届けないの?」
明日花「私の知り合いに弁護士がいるんだけど、ストーカーって立証するの難しいんだって。裁判とかなったら、またあいつと顔合わせなきゃいけないし」
駿「…」
  明日花、駿の顔を覗き込む。
明日花「あれ?心配してくれてんの?他人とは関わりたくない、とか言ってたのに」
駿「必ずしも、そういうわけじゃ…」
明日花「ね。心配だったらさ、あそこ六畳間が空いてるんだけど…一緒に住まない?」
駿「え?」
明日花「あ、勘違いしないでよ。ただのルームシェアだから。家賃の半分を払ってくれればいいし」
駿「いや。それは…(かぶりを振る)」
  ふたり、しばらく黙る。
明日花「(独白)そっか。パワハラのせいで、捨てられた子犬みたいに人間不信に…」
  憐れむ目で駿を見る明日花。
明日花「(独白)よし。私が、この子のビョーキを治してあげる!」
  と固く拳を握る。 
明日花「じゃその話とは別に、今度うち寄ってくれない?パソコンが調子悪くって…」
  などと、いろいろ話しかける明日花。
駿のN「正直迷惑だった。でも、ここまで他人に構われるのは初めてで、どこか新鮮でもあった」

 

○明日花のマンション・リビング~キッチン

  デスクトップPCを開く駿。
駿「ああ、これウィルスだね」
  キッチンでは明日花が料理をしている。明日花「あ、やっぱり」
駿「セキュリティの期限が切れてる。毎年更新しないと」
明日花「毎年?じゃ、もういいや」
駿「…いいの?」
  明日花、料理をテーブルに並べる。
明日花「いいよ。どうせ最近は、スマホばっかだし。ありがと、お疲れ。さ、座って」 
  駿、料理を見て顔をしかめる。
明日花「出張サービスのお礼よ。どうぞ」
駿「いや、知ってると思うけど…」
明日花「私は食べないから」
駿「え?」
明日花「私は、向こうの部屋掃除するんで。中島駿は、ひとりでここで食べていいから。だったら大丈夫でしょ?」

 

○同・六畳間

  以前和則が住んでいたであろう、男っぽ 
  い部屋。
  明日花、トングで男もののパジャマや靴 
  下を、ゴミ袋に突っ込んでいく。
明日花「中島駿!」

 

○同・リビング

  料理を前に固まっている駿。
駿「(独白)プロの料理人でも、母親でもない人間が作った食べ物…罰ゲームか?」
  奥から明日花の声が。
明日花の声「ねえ、中島駿。食べてる?」
駿「あ、はい」
明日花の声「筑前煮、食べた?」
  観念したように筑前煮を口に放り、目を 
  つぶって噛みしめる。
駿「あ、おいしい」
明日花の声「え?なに?」
駿「(大声で)おいしいです。すごく」
  ばくばく食べ始める駿。

 

○同・六畳間

  明日花、ガッツポーズ。
明日花「明日花、男は胃袋ばい。胃袋さえつかめばイチコロたい…ありがと、おかん」
  ゴミ袋を持って立ち上がる。
明日花「焦らず一歩ずつ、人間に慣れさせること。蛍ちゃんがキタキツネを手なづけた時のように、だな」
  と、自分を納得させている。

 

○焼肉店

  明日花と古謝。
古謝「なに?相談って」
明日花「中島駿って、どう思う?」
古謝「…え?あ、そう。こりゃ意外だねえ」明日花「ああ、違うって。あの子ちょっとさなんていうか、そのお、ダメじゃん?」
古謝「ダメ?駿君のどこが?」
明日花「ほら、コミュニケーション障害?」古謝「(首を捻り)コミュ障とまでいかないと思うけど。彼の場合はHSP…ハイリ―・センシティブ・パーソンかな?空気を読み過ぎて、思い通りの行動が取れない…心の病ではなく、生まれ持った気質…」
明日花「何でもいいけど。あの子、他人とご飯も食べられないんだよ。会話も飲み会も肉も食えないんだよ。かわいそうじゃん」
古謝「…」
明日花「私はあの子に、立ち直ってほしいわけよ。全うな人生を歩ませたいわけよ」
  古謝、ナプキンに『共依存性』と書いて 
  明日花に見せる。
明日花「ん…何これ?」
  ナプキンを指して説明する古謝。
古謝「共にいることに依存する病。私がいないとこのひとはダメなんだってお節介を焼いたり、お金を貢いだりするいわゆる“尽くす女”のこと」

明日花「…え。まさか私のこと言ってる?」古謝「一見すると無償の愛だけど、組み合わせによっては、尽くす方もされる方もダメになるんだよ。例えば相手が回避依存症の場合、明日花ちゃんが何もかも面倒みちゃうと、自分のやるべきことを回避してダメ男に拍車がかかる…ってわけ」
  フラッシュバック~和則のチャラい姿。明日花「心当たりが…」
  しゅんとする明日花、食事が進まない。明日花「…そっか。逆効果なのか」
古謝「まあでも、相手にもよるからね。駿くんの場合は…どうだろ?」
明日花「駿は、回避ナントカじゃないの?」古謝「パワハラにあって一時的な人間不信に陥ってるけど、彼は芯がしっかりしてるから…明日花ちゃんには合うかもね。お互い足りないものを埋められるのかも」
  明日花の顔がぱっと明るくなる。
明日花「じゃ、続けていいの?お節介」
古謝「いいとも!あ、古いか」
明日花「コジャさん、ありがとう。(店員に)こっち大ジョッキとカシス、おかわりお願いします。さ、飲んで飲んで」
古謝「…いや、私持ちだし」

 

○低階層ビル

  駿が脚立に乗って、ひとりで二階の窓拭 
  きをしている。
  ビルの中では、島田総務部長(50)が 
  何かの打ち合わせをしている。
駿「(独白)あれ?もしかして」
  駿、足元の鞄から防塵マスクを取ろうと 
  して機材を倒す。
駿「(独白)やばい」
  中では音に反応した島田が駿を見る。
  慌てて防塵マスクで顔を隠す駿。

 

○同ビル内

  一階の窓を内側から拭く駿。
  そのうしろに立つ島田。
島田「中島駿君だね。経理部システム課の」 
  無視して作業を続ける駿。
  島田「その節は、本当に申し訳なかった」 
  と、駿の後ろ姿に平身低頭する。
駿「…」

 

○喫茶店

  島田と駿。
島田「きみに対してパワハラした小此木課長、会社辞めたよ」
駿「!」
島田「形だけは依願退職にしたけど、内実はクビだ。なにせ業務上横領だからな。彼にしてみれば、会計監査ソフトをプログラムした中島君が怖かったんだろうね。だからあんな仕打ちをしてまで、きみを追い出したかった」駿「…」
島田「無駄な残業させられたり、ことあるごとにネチネチ嫌味言われたんだって?聞いたよ。みんなの前で、お茶をかけられたこともあったって…だが、あれは全く特殊なケースで…」
駿「誰も」
島田「うん?」
駿「誰も、止めませんでした」
島田「…」
  島田、その場でまた深く頭を垂れる。
島田「酷い会社、だよな。すまん」

 

○明日花のマンション

  ゲーム機の配線を変える明日花。
明日花「今回はゲーム機が壊れた、と」
  キッチンに行き、炊飯器の蓋を開ける。 
  炊き込みご飯の湯気。
明日花「そしてこいが、おとんの胃袋ば鷲掴みにしたちう、おかん直伝の炊き込みご飯たい。フフフ」
  チャイムが鳴る。
明日花「はーい」
  明日花が玄関に向かいドアを開けると、
  スーツケースを提げた駿が立っている。明日花「どしたの?それ」
駿「あ、あ、空いてるんだよね、六畳間」
  明日花、ぽかんとしたまま動かない。 
  駿、十万円を取り出して渡す。
駿「足りる?」
明日花「足りる足りる、やったああ」
 抱きつこうとする明日花をさっと躱す駿。駿「それと、パソコン借りていい?ネトカのじゃ漏洩の恐れがあるから」
明日花「いいよ、あんなの。使って使って」
  また抱きつこうとするのをまた躱し、六 
  畳間にスーツケースを運んでいく駿。

 

○ゴンドラの中

  明日花と古謝、清掃作業中。
古謝「え?じゃあ同棲してるってこと?」
明日花「また加齢臭。ルームシェアだって」古謝「んーと。つまりその男女の…」
明日花「男女どころか、人としての関係もないのよ。あいつご飯も自分の部屋で食べるし、お風呂は銭湯、会話もLINE通してだし、唯一ふたりの共同作業といえば…」

 

○明日花のマンション・リビング

  格闘ゲームをしている駿と明日花。
明日花「うおりゃ~!」
  明日花のキャラが、駿のキャラに突進し  
  ていく。
  だが軽く躱されて、倒される。
明日花「また躱された!ね、合気道かなんか習ってた?」
駿「や。ただのオタクだけど」
  明日花のキャラが腕を決められる。
明日花「ん?今の技って、あのときの…」
  フラッシュバック~突進してくる和則を
  倒して、腕を決める駿。
駿「ああ。あの時自然に体が動いて、自分でも不思議だったんだけど…ゲームで慣れてるからかもね」
明日花「(驚き)オタクの…潜在能力?」
  まじまじと駿を凝視する明日花。      明日花「(独白)いや待てよ。つまりゲームしながらだったら、スキンシップも学習するかも」
  ゲームが再開し、少しずつ間を詰める明 
  日花。
駿「た、巽さん、近い…」
  肩が触れ合うと、駿の身体が硬直する。明日花「(独白)ち、ダメか。なんて難しい生き物なの」
  と、少しだけ間を空ける。 
明日花「これ以上は近寄らないから。その代わり、明日花って呼んで。まず、心の距離を縮めましょ。ね、駿」
駿「(緊張の面持ちで)…あ…す…」
明日花「そう。ほら、もう一息」
  頭を駿の肩に載せようとする明日花。
駿「う!」
  固まったまま駿が前のめりに倒れ、肩透 
  かしを食う明日花。

 

○社員食堂

  トレイを持って席を探す古謝と明日花。古謝「ははは。前途多難のリハビリだねえ」明日花「ま、ネトカから引きずり出しただけでも大きな前進だけど、なんでその気になったんだろ?」
  ふたりテーブルに着く。
古謝「吊り橋効果って知ってる?」
  割箸の上に納豆をふたつ乗せる古謝。
古謝「吊り橋のような危険なとこをふたりで 協力し合って渡ると、自然と恋愛感情に似   た団結力が生まれるんだって」
明日花「吊り橋‥あ、ゴンドラか」
古謝「(頷き)明日花ちゃんと駿君は一緒に乗る機会が多いから、心を開き始めたのかもね」明日花「でももし、恋愛に発展したら?」
古謝「嫌なの?」
明日花「あ、嫌っていうか、そりゃ向こうが私に惚れちゃうのは致し方ないっていうか…ま、こっちも受けて立つしかないっていうか…」
  などと照れて納豆をこねくり回す。
古謝「そう言えば今日彼は?休みだっけ」
明日花「ああ、なんかサイドビジネスがあるとかって、パソコンいじってたよ」

 

○明日花のマンション・六畳間

  PCでプログラミングしている駿。
島田の声「経理部の人間が言うにはね、あのソフトは効率的で不正会計もあぶり出す優れモノだそうだ。だが著作権の問題があるんで、きみを捜していたんだよ」
駿の声「ああ、でも、あれはまだ改良の余地があるんで」
島田の声「じゃあ、改良版を作ってくれないかなあ。もちろん報酬は払う。いやそれより、会社に戻ってくれないだろうか。二度とあんなことはないようにする。頼む。きみは必要な人材なんだ」
  一息ついて、コーヒーを飲む駿。
  PC画面にメール着信の報せ。
駿「彼女宛て?」
  見出し『会わないと、これ拡散するぞ』。駿「…あいつか」
  しばらく悩むが、マウスをクリック。

 

○社員食堂

  食べ終わった明日花と古謝。
  明日花のスマホが点滅している。
古謝「明日花ちゃん、なんか来てるよ」
  明日花、差し出し人を確認して
明日花「いいの、超メーワク系だから」
  と、中を見ずにメールを削除する。
  窓の外では、雨が降り始めている。

 

○明日花のマンション(夜)  

  帰ってきた明日花、六畳間をノックして明日花「ただいま!」
  が、反応なし。
明日花「(独白)でかけてるか」
  リビングに入って、スマホをチェック。明日花「(独白)ん、美和から着信」
  明日花、かけ直してみる。
明日花「もしもし。お昼頃、電話した?」
美和の声「あ、明日花。大変だよ。あんたのヤバい写真が流出してたよ」
明日花「ええ!」
美和の声「たぶんあれ、キャバ時代のじゃない。客に氷口移ししてるとことか、ハゲ親父にお尻触られて笑ってるとことかだったけどさ」
明日花「…ほかには?」
美和の声「それがさ、LINEで回ってきた一時間後くらいかなあ。ぱっと消えてなくなってたのよ」
明日花「なくなってた?」
美和の声「彼氏が言うには、悪質メールを削除する、なんだっけネット防災とかいう団体が、専用のソフト使って消して回ってんじゃないかって…(近くの彼氏の声)ん、なに?コンピューターに強い人なら個人でもできる?…だって」
  明日花、スマホを切って六畳間に移動。 
  PCを開くと何かの作業をした痕跡が。明日花「じゃあ、彼は見たってこと?」
  その場にへたり込み、肩を落とす。
  と、ドアが開く音がして駿が現れる。
駿「…勝手に入らないでくれる?」
明日花「ご、ごめん」
  駿、PCの電源を切る。
明日花「あの…見た?」
  駿、答えず荷物をまとめ始める。
明日花「ど、どこに…」
駿「ネトカに戻る」
明日花「(蚊の鳴くような声で)なんで?」 
  駿、何も言わずスーツケースを持つ。
駿「心配しなくていいよ。写真は全部削除しておいたから」
  玄関に出て靴を履きながら
駿「あの…リベンジ・ポルノもね!」
  吐き捨てるように言って、立ち上がる。明日花「おねがい、話を…」
  駿、腕を掴む明日花の手を汚いもののよ 
  うに振り払い、部屋を出ていく。
  残された明日花の目から、じわりと涙が
  溢れてくる。

 

○雨の街

  スーツケースを引っ張って行く駿。
駿「やっぱり‥やっぱりだ」
  車輪が側溝に挟まる。
駿「やっぱり、ぼくみたいな人間は、他人に関わっちゃダメだったんだ!くそ!」
  と、スーツケースを蹴り上げる。 

 

○ゴンドラの中

  古謝と駿、清掃作業中。
駿のN「それから彼女は、しばらくバイトを休んだ」 
  黙々と働く駿の様子を伺う古謝。
古謝「駿君。今夜、飲みに行かない?」
駿「…ええと」
古謝「きみは、コーヒーでいいから」 

 

○ファミレス(夜)

  生ビールを飲む古謝とコーヒーの駿。
古謝「そう。そんなことがあったんだ」
駿「彼女の過去は汚れてる…そう思ったら急に関わりたくなくなって…最低ですよね、自分こそ、欠点だらけの人間なのに…」
古謝「生きてりゃ、誰だって汚れるからね」駿「…」
古謝「明日花ちゃん田舎に帰るからって、きのう菓子折り持って事務所に挨拶に来てくれたよ。今時は、メール一本で辞めちゃう子ばかりなのにね」
駿「田舎…そうですか」
  ふたり黙ってしまう。

古謝「ちょっと長い話になるんだけど、聞いてもらえるかな?」
駿「あ、はい」
古謝「私ね、人を殺したことがあるんだ」
駿「!」
古謝「といっても、直接ではないけどね」
駿「…」
古謝「私はあるメーカーの人事部長だったんだ。数年前のリーマンショックで急激に円高が進行し、業績が悪化したその会社はリストラを余儀なくされた。私は、その候補者をセレクトする責任者になったんだ」
駿「首を切る、責任者?」
  古謝、頷く。

 

○某メーカー・人事部(八年前)

  応接セットで相対する古謝(当時50)
  と無頼派っぽい近藤晃(36)。
近藤「承服できません。どうして俺が、リストラなんですか?」
  怒りに震える近藤。
古謝のN「近藤という営業マンがいた。彼は日々の成績は悪くはなかった。だが直属の上司である営業部長は、人間性に問題ありという評価を下していた」
近藤「俺が、部長に疎まれているから?」
古謝「そんな個人的な理由ではありません」近藤「じゃあ、何スか?」
  悩む古謝。
古謝のN「私は迷った。だが、彼の今後の人生の足しになればと思ったんだ」
古謝「わかりました。では率直に具体的にお伝えします。近藤さん。あなたの言動に対して、クレームが何件も寄せられています」
  古謝、報告書を開く。
古謝「まずセクハラ的言動。あなたは女子事務員をちゃん付けで呼んだり、私生活の話題を根掘り葉掘り聞いてくる」
近藤「それは、仕事を円滑にするための…」古謝「新人に対してアルコールの場を強制、説教や自慢話を繰り返す」
近藤「し、指導です」
古謝「こういう報告もあります。あなたが経理部に請求する接待費には、使途不明なものが多い。またあなたは、会社の所有物である事務用品を持ち帰り私物化している。ノートパソコンにいたっては、一年以上あなたのデスクから消えているそうですね」
  近藤、わなわなと震えだし
近藤「そんなの、俺以外にもやってる連中いくらでもいるだろうが!」
  と逆ギレして、テーブルを叩く。
近藤「それで、ちゃんと成績上げてんだよ!それが俺のやり方なんだ。部長だって、営業マンは自分のやり方を確立しろって言ってたくせに!」
  冷静に観察する古謝。
古謝「気が済みましたか?」
  古謝、封筒を近藤の前に差し出す。
古謝「とにかくこの『早期退職のしおり』を熟読なさって、あなたなりの結論を出してください」
  近藤悔しそうに古謝を見るが、諦めて封
  筒を受け取り退出する。
  ドアが乱暴に締められる。

 

○ファミレス

  古謝と駿。
古謝「私は余計なことをしてしまったんだ」駿「なぜですか?ぼくも知っておいた方が本人のためだと思うけど」
古謝「その人は本当は気の小さい人間で、全ての言動はその裏返しだったんだ。人事マンは心理学や人間行動学を勉強するし、そんな人間何人も見てきたはずなのに…私は彼を追い込んでしまった」
駿「…」
古謝「彼はうつ病になって、半年後に自殺してしまったんだよ」
  駿、目を伏せる。
古謝「彼が選んだ死に場所は、彼を捨てた会社の自社ビルだった」

 

○某メーカービル前

  飛び降りた現場に花が供えられている。 
  ビルの屋上を見上げる古謝。
古謝のN「私があのとき、理由など説明せずただ『会社のために辞めてくれ』と頭を下げていれば、彼の心は壊れることはなかったのではないか?」
  花を供えて、手を合わせる古謝。

 

○近藤の葬式

  受付で分厚い香典を納める古謝。
  古謝が記帳しはじめるのを受付が見、何
  かに気づいて場を離れる。
古謝のN「会社の名を伏せて芳名には自分の名だけを書いたんだが、私の苗字は珍しいから…」
  近藤の妻・靖子(32)が興奮した表情
  で古謝に近づいてくる。
靖子「お引き取りください!」
  古謝、呆然と靖子を振り返る。
靖子「夫は、会社に殺されたんです。こんなもの!」
  と、香典を古謝に投げつける。
靖子「主人は…汚れてなんかいません!」
  涙でぐしゃぐしゃの靖子の顔。
  目をそらしてしまう古謝。

 

○ファミレス

  駿と古謝。
駿「それが原因で、古謝さんまで会社を辞めたんですか?」
古謝「グサリときたんだ。汚れてない、って言葉が。彼を追い込んだ私は汚れていないのか?ボールペンを家に持ち帰ったことは一度もなかったか?同僚や部下に不快感を与えたこと?自覚がないだけで、きっとあったはずだ。私だって営業経験はある。ノルマのために経費を使ったことはあった。ただ私はうまく処理し、彼は少しだけ要領が悪かった…私にひとの汚れを指摘する資格などない、そう思って私自身が早期退職を申し込んだんだ」駿「…」
古謝「退職の日見上げたビルの壁に、窓拭きのゴンドラがぶら下がっていてね。はっと気づいた」
駿「…」
古謝「汚れを見つけたのなら、拭けばいいだけじゃないか、ってね」

 

○ネットカフェ・駿の個室

  横になり悶々とする駿。
  スマホのLINE着信音が鳴る。
  「スルーしないで。最後だから」という  
  見出しが出ている。
  駿、深呼吸をしてからタップする。
明日花の声「脅迫みたいな書き出しでゴメンね。でもどうしても中島駿に知って欲しかったことがあります。まず私が住んでいたマンションですが、あれは月契約のマンスリーマンションです…」

 

○明日花のマンション

  衣服をスーツケースに詰め込む明日花。明日花の声「実は私の実家は九州の超がつくようなド田舎で私は五人兄妹の末っ子。いわゆる大家族ってやつで、子供の頃から自分の部屋なんて持ったことがないの」
  蓋が締まらず、段ボール箱に詰め直し始  
  める。
明日花の声「大学に行けるような頭もなく高校を卒業してブラブラしてたら、よけいに自分の居場所がなくなっちゃった。ささやかな夢は、都会で一人暮らしをすることだった。ひと月でいい。渋谷だの銀座だのでウィンドショッピングして食べ歩きして、部屋で東京の夜景を見ながら眠りにつく…そんなささやかな夢」
  部屋の中を見渡す明日花。

 

○長距離バス停(夜)

  福岡行きの表示。
明日花のN「気がついたら、家を飛び出してあのマンションに住んでいた…小さい頃から貯めてたお年玉貯金を、全部吐き出してね。草」
  寒空の中待っている明日花。
明日花の声「でもひと月お姫様気分を味わってしまったら、今度はもうひと月だけ暮らしてみよう、いや半年って…オロカな私。ピエン」

 

○夜行バスの中

  車窓の都会のネオンを見続ける明日花。明日花の声「あそこの家賃は月一八万もするの。当然私がそれを支払うためには、それなりの仕事をしなければなりません。キャバクラです」
  東京の夜景に、そっと手を振る明日花。

 

○キャバクラ

  客の膝に脚をからめる先輩キャバ嬢。
  俯いて座っている、まだ黒髪の明日花。 
  バーテンの和則が氷を替えに来る。
明日花の声「そのときバーテンのバイトをしていたのが、あのストーカー野郎です」
  和則、「ガンバレ」と書いたコースター
  を明日花のグラスの下に敷く。
  明日花が顔を上げると、和則の微笑が。

 

○ネットカフェ・駿の個室

  メッセージを読む駿。
明日花の声「寂しかった…怖かった…つらかった…だからあんな奴とも…ゴメン、つまんない話だね」
  下にスクロールする。
明日花の声「ただね、開き直るわけじゃないけど…それの何がいけないの?ちっぽけな夢を見ることはそんなに悪いことなの?学歴も金もコネもない女は、田舎でおとなしくしてればいい?」
  さらにスクロールする。
  『教えて。私は汚れてるの?』とある。
駿「…」
  スマホを握り締める駿。
明日花の声「最後に、今までありがとね。さよなら、駿…カッコ名前で呼んじゃった。すまぬ」
  スマホを置いて、寝床にうつ伏す駿。
  電話が鳴り、慌ててとる。
  発信者は、古謝。
駿「あ、中島です」
古謝の声「ああ、駿君。明日休みのはずだったんだけど、緊急事態が発生してね。なんとかお願いできないかなあ」
駿「緊急事態?」
古謝の声「黄砂だよ。黄色い砂」

 

○D高層ビルの前

  二十階建てのビル。
  ビル全体が、黄砂に覆われている。
  それを見上げる古謝と駿。
古謝「専属契約を結んでいただいているクラ イアントさんなんだけど、週明けに海外か  ら取引先のVIPが来るらしくて、なんとかしてほしいってね」
駿「ぼくらだけでですか?」
古謝「連休で、みんないなかった。だがそれほど高いビルでもないし、二手に分かれて作業すればできないこともないだろ?」
駿「…」
駿、何かを思いついた様子。
駿「じゃあ、自分にこっちの面を任せていただけますか?」
  古謝、にっこり笑って頷く。
駿「やりましょう!」

 

○ゴンドラの中

  ひとりで作業する駿。
  時折スマホで、何かを確認している。
駿「(独白)まずC列の3から8まで」
  駿、一列を横に拭いていく。
駿「(独白)次はD列の7、E列の6…」
  続いて斜めに拭いていく。
  と、無線から古謝の連絡が入る。
古謝の声「駿君。始めたとこ悪いんだが、いったん中断しよう。最新の天気予報によると、どうやら今日も黄砂が降りそうなんだ。それだと、二度手間になるから」
  駿、手を止めて無線機をとる。
駿「あの。無駄になってもいいです。とにかく、やれるとこまでやらせてください!」

 

○高速バスの中

  明日花が目を覚ますと、大坂駅前。
  スマホでLINEをチェックするが、返 
  信なし。
明日花「既読スルー…ま、そうだよね」

 

○D高層ビルの下

  下から駿の作業をじっと見ている古謝。古謝「(笑みがこぼれ)なるほど。若いって、いいねえ」

 

○高速バス

  車窓には広島の風景が広がる。

 

○D高層ビルの下

  ゴンドラはもう三階まで降りている。
  ビルの上方を眺める古謝。
  無線機をとって通信。
古謝「駿君。上の方は、そろそろヤバイぞ」

 

○ゴンドラの中

  砂と汗まみれになっている駿。
無線機の声「急げ!」
駿「はい!」
  黄砂を拭き取るスクイージ。

 

○博多駅前

  高速バスが到着する。
アナウンス「長らくのご乗車、お疲れ様でした。JR博多駅前…終点です」
  次々と乗客が降りていく。
明日花「(溜息)私の夢もここが終点、か」
  と立ち上がりかけた時、LINE着信音 
  が鳴る。
  『中島駿』から。
明日花「…」
  意を決して、見てみる。
  『生きてれば誰だって汚れる』。
  また新たなメッセージ。
  『汚れたら拭けばいいだけだbyコジャさ
  ん←ドヤ顔』。
  くすりと笑う明日花。
  『こんなふうに』
明日花「…」
  添付された写真データを開いてみる。
  黄砂まみれのビルの窓が、部分的に拭か
  れて“アスカ”という巨大な文字に。
明日花「(驚いて)うそ!な、何やってんのよ。バッカじゃないの」
  毒づきながらも写真をじっと見続ける。
  フラッシュバック~駿に「明日花って呼
  んで。まず心の距離を縮めましょ」と囁
  いた明日花。
明日花「…」
  新着メッセージが次々と入ってくる。
  『きみは、ぼくの扉を開けてくれた』
  『だから今度はぼくが、きみの心の窓を拭
  きましょう』
  明日花の肩が震え始める。
  『なんてね(笑)』
  涙がこぼれていく。
  車内には、顔を伏せ嗚咽する明日花しか
  いない。
運転手「お客さん。終点ですよ」
明日花「(泣きじゃくりながら)う、運転手さん。このバス、東京に戻りますかあ?」
運転手「はあ?」

 

○D高層ビル

  すさまじい黄砂がビルを叩きつける。
駿のN「結局ぼくのメッセージは三十分ももたずに、跡形もなく消えていった」
  ビルの下では、駿と古謝が缶コーヒーを
  飲みながら、“アスカ”の文字が消えてい
  くのを見ている。
古謝「また、汚れちゃったねえ」
駿「…拭きますよ、何度でも」
  全身汚れきっているが、満足気な駿。
  夕日が黄砂に照り返し、黄金色に輝いて
  いる。

 

○ネットカフェ・駿の個室(夜

  ネットで調べ物をしている駿。
  扉がノックされる。
  駿が開けると、スーツケースを提げた明
  日花が立っている。
駿のN「彼女はどうやら、その日のうちに新幹線でとんぼ返りしたらしい」
  ふたりの間に微妙な空気が流れる。
明日花「あのさあ、明日から私もバイト行くから。大変なんでしょ、黄砂」
駿「…住むとこはどうするの?」
明日花「ここ。たまたま隣が空いてたし。身の丈っていうの?私には、これぐらいが合ってるかなあって…」
駿「感心しないね。女の子がこんなとこ」
明日花「…」
駿「今夜はしょうがないけど、もう少しだけ夢のある場所を…ふたりで探さない?」
  と、PCの不動産サイトを指差す。
明日花「…入っていいの?」
  駿、微笑んで頷く。
  部屋の中に入り、駿の横にぴったり寄り
  添って座る明日花。
駿のN「もうとっくに、彼女はぼくの部屋に入っていた」
  駿の肩にちょこんと頭を載せる明日花。   

 

○E高層ビル

  駿と明日花、ゴンドラに乗って作業中。明日花「ね、駿。晩ご飯何にしようか?」
駿「んーと、炊き込みご飯と筑前煮?」
  明日花、手を止めてじっと駿を見る。
駿「なに?」
  明日花、モップを置いてガッツポーズ。明日花「(独白)うし!胃袋はつかんだ」
  さらに目を輝かせて、駿のそばににじり
  寄る。
明日花「ねえ。そろそろ私に、キュンとかきてる?」
駿「は?」
明日花「や。だから吊り橋効果だよ。男女が危険な場所にいると、自然と恋愛感情が沸くっていう…」
駿「ああ…ないね」
  と、構わず作業を続ける。
明日花「ええ?じゃ、ムラムラは?」
駿「ない」
明日花「ううっ…ケチ!ふええん」
  泣きマネする明日花を、窓の内側からサ
  ラリーマン達がチラチラ見ている。
  溜息をついて、作業を中断する駿。
駿「えっと。一緒にご飯は食べるから…今は仕事しよっか。(明日花の頭をポンポンと叩いて)あ、す、か」
  明日花、泣きマネを止めて顔を上げる。明日花「もう一回やって」
駿「仕事!」
  ふたりの眼下には、雑然とした都会の風
  景がある。
  しかしビルの窓には、澄み切った青空が
  映り込んでいる。

                (終)


#創作大賞2024   #オールカテゴリー部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?