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先生の意思をつなげる

「せっかくなら私の通う教会で歌ってほしい。私が主催してお金も出すからぜひやろう」と言い出したのは、私が小学生の時の恩師でした。先生が多分大学卒業してそのまま立教女学院の教師になられたはずだから22歳とか23歳。こちらは小学2年生だったので8歳?ぐらいだったでしょう。子供時代を思い出しても、その頃、先生なんて「学校で授業を教える大人」という位置付けでしか印象にないので、先生が実はアメリカンミュージック、それもブルーグラスを自分でバンドで演奏するくらい好き、大学時代やってた、、という話を聞いたのは、実に8歳から30年ぐらい経ってからのこと。それもFacebookで偶然、あれ、これって先生?と発見したからでした。こちらは結婚しても旧姓のまま活動をしてるので先生も見つけやすかったのか、「あ、確か、親が音楽業だと言ってたからあなたもやってるのね」とご連絡をいただいたのが最初。まさか時を経て先生に再会するとは思わず、メッセンジャーのやり取りぐらいからスタートして、気づけば小学校の同窓会をすることになったのが次の年ぐらい。その時は先生はお元気そうで、小学校の同級生もかなりの人数が集まった。なかなかいい会だったと思う。

 その後、先生がご病気を抱えていることがわかりました。が、多くを語らない先生なのでこちらも伺ったりはしなかったのだけど、毎週教会に通うのに歩いていけない体調になったとご連絡があり、ちょっと気にかけていました。

 ある時、「私が通う教会で歌って欲しい。あなたのライブに出向くほど元気がないけど教会は住んでいるところから近いから」という連絡を受け、正直、教会を会場にさせてもらえるのか不安もあったし、先生も体調に無理があったらと乗り気ではなかったのだけど、一度教会に伺いますねと連絡。そして教会でお会いした時、入り口で杖をついた先生がとても嬉しそうで、だいぶ痩せてたけど、饒舌に教会のことを説明してくださったり、礼拝の最後に教会関係者の皆様に紹介してくださったりとても嬉しそうな口調だったので、つい、「それではやらせていただきます」と頭を下げてしまった。

コロナという嵐が全てを止めてしまった。

日程から段取りからサポートメンバーまで全て決まった段階でコロナで教会もストップ。そこからしばらくは私も自分のことや子供たちのことで大変で、気がつけば数ヶ月が経ってしまっていた気がする。誰もが初めてのことに追われて、人にも会えず、大変な時期でした。

「血液検査で病院に入院するけどすぐ退院するからまた連絡します」というメッセージが今でも残っています。「お体変わりありませんか?」「大丈夫だよ」このやりとりが最後でした。

数日経った朝、牧師様から電話があり、病院で昨夜亡くなったとのこと、誰も病院に入ることはできないのだが火葬場に身内以外は牧師様が一人参加をして祈りを捧げるとのこと、とりあえずコンサートは延期(元々延期だったけど)から中止にしておきましょうとの連絡を受けました。あまりに突然のことで、関係者と連絡を取り合うも教会の皆様も動揺されていた様子。そこからしばらくして、選曲についてあれこれ世話をしてくださった同じく音楽好きな荒川さんという方も同じ病でこの世を去ってしまった。万事休す。

そこから実に2年が経ちました。

当時の牧師様も他の教会へ移り、やりとりさせていただいていた教会の関係者の方、お一人と季節のご挨拶程度で繋がっていたのですが、2024年の6月になんとか開催となりました。佐藤さん、ありがとうございます。慣れない企画運営にきっと気を揉んでいらっしゃることでしょう。でも、きっと大丈夫です。なんとかなります。先生が天国から見てるから。

お時間を作ってぜひ足を運んでください。このコンサートは全ての方々の心の癒しになりますように。

当日フラッといらしても大丈夫です。靴を脱いで入っていただきます。靴袋渡します。

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