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第20回 親孝行で人生は変わる。「与える」生き方のコツ

親、夫婦といった「家族」との関係についてお話したいと思います。

親子、夫婦がおられない方にとっては、「自分にとって一番身近な人」を思い浮かべて頂けると、分かりやすいのではないかと思います。

今日の話は「親孝行、夫婦仲良くすれば人生が良くなる」ということなんですが、こういう話はもう聞き飽きてますよね。

皆さんが思い浮かべるのは「もう十分やっている」という事だと思うんです。

精一杯奥さんに尽くしたり、親とも努めて仲良くやっている。出来る限りの事はやっているんだ、と、そういうお互いだと思うんです。

間違えても親をないがしろにしたり、夫婦で争ったり、子供に冷たく当たったり、それでいいと思っている人なんていませんよね。

それでも家族は距離が近いので、きれいごとではすみません。

長い人生の中では、親が無理難題を言い出したり、旦那さんのだらしないところが気になったり、奥さんのヒステリックさが嫌になったりと、距離が近ければ近いほど、相手のアラが見えてくる。

自分の思い通りにならない事が出てきやすいのが、家族です。

そんな時に私たちは、自分の思い通りにならない相手を、どうにか変えようとします。

しかし、声を荒げたり、冷たく当たったり、イライラと考え込んだりしても、そう簡単に人は変わらないんです。変わらないものを変えようとするので、苦しくなってしまう。

こうして、私達が幸せに暮らしていくにあたっては、一緒にいる時間が一番長く、関りの深い人にどう心を使い、接していくかが大切になって来るんです。

今日私がお話させて頂きたいテーマは、「自分を変える」ということなんです。

これまで相手に向けていた矢印を、自分自身に向けていただく。

周りの人ともっと仲良く暮らすためには、自分はどう変わればいいだろう。人を変えようとするのは一旦置いておいて、まず自分自身の行動を変えていくということについて、お話をさせて頂きます。

私は2年前まで、本当にうまくいってなかったんです。

服はよれよれ、髪はぼさぼさで、腹を立てたり、不平不満を抱いてばかりでした。

おそらく、目つきも、顔つきも、今と全然違っていたと思います。

しかし仕事の出張先で、尊敬できる先輩方に出会い、このままではいけない。もっと自分は変わらなければいけない、と、色んなことを考えながら帰って来まして、その時にある先生の講話を聞く機会がありました。

その先生は、とある天理教の教会の会長さんで、沢山の人を助けているすごい方なんですが、その方は信者さんに、親孝行をとことんやらせるんです。

その先生が言うには、「私たちは、親や夫婦、家族に、やってもらってばっかりで、恩が沢山あるんだ。それなのに我が強いから、自分の意見を主張するばっかりで、恩返しをするという事が出来ていない。だから人生が上手くいかないんだ。とことん家族を喜ばせて、満足させたら上手くいく」と、こうおっしゃるんです。

その先生が、是非家で実践しなさいと言われる事が、3つありました。

一つは、親の喜ぶものをプレゼントする。次に、朝晩、手をついて挨拶をする、最後が毎日、マッサージをさせて頂く。

この3つを、徹底的に実践すれば、家が良くなると言われたんです。

それも、中途半端じゃ因縁は切れない。とことん突き詰めてやらせて頂くところに、運命が切り替わるんだと聞かせて頂いたんです。

私はなるほど、と聞いていまして、今まであまり考えていなかった、自分と親との関係が、気になって来ました。

私は大学を卒業して以来、10年ほど親元を離れた生活をしています。

そんな中で私は、「親の期待する仕事をしているし、親の言うことに逆っていないので、これで十分親孝行をしている」と思っていたんです。

しかし、お話を聞かせて頂くうちに、そこまで恩返しできているかな?と思うようになりました。

むしろ顔を合わせても、それは間違っているとか、こうした方がいいとか、そういうことばかり言って、こちらから親に「何かさせてもらおう」なんてことなんてあったかな、と思うようになってきたんです。

むしろ自分は親孝行しているつもりになっているけれど、それはただの思い込みで、本当は出来ていないんじゃないかと思うようになってきました。

そこで、思い切って親孝行に踏み出してみることにしたんです。もちろんいろいろな葛藤はありましたが。

まずは1つ目、「親の喜ぶものをプレゼントする」

私の友人がその有名な先生に会いに行った時「あなたの親の好物は何だ?」と聞かれたそうなんです。

私の友人は、肉、ですかね?と答えたら、それは何肉か、牛肉か豚肉か鶏肉か、と聞かれる。牛肉…ですかね?と答えると、じゃあそれをどう調理したものが好きなのか、と聞かれる。

そこまではわかりませんと答えると、ほら見ろ、あんた親の事全然知らんやないかと言われた、という話を聞かせて頂きました。

私も、いざ親の喜ぶものをプレゼントしよう、と思った時に、よく考えてみると、親の好物って、何となく知っているつもりになって、本当の所は知らないんです。

なので、早速親に電話して、好物を聞いたんです。そしたら、夫婦同士でも、あんまり分かってないんですね。それでも色々聞いて回って、私のお父さんはどうやらアイスが好きらしいということが、初めて分かりました。

それから、誕生日や、父の日、母の日には、親の好物を送らせて頂き、機会を見つけてはプレゼントやお土産を買って帰る事にしました。

人によっては当然のことかもしれませんが、私は親にプレゼントを送るなんて、したこともなかったんです。最初は気恥ずかしくて、違和感がありましたが、もちろん親は、とても喜んでくれました。

二つ目は、マッサージです。天理教の教祖、「おやさま」のお言葉にも、「親孝行には銭金いらん。とかくあんまで堪能させ」というお言葉があります。

しかし、これまでの関係が有るので、親に、肩もみましょうか、なんて、中々言えません。最初は本当に抵抗があったんですが、続けるうちに、だんだんと自然な形になってまいりまして、両親と一緒に過ごす夜なんかは、お父さん肩をもみましょうか、おお頼むと、なってまいりました。

その先生は「人に尽くす時は、けちったらいかん、とにかく満足させるまで十分たっぷりやれ」とおっしゃるんです。

マッサージにしても、プレゼントにしても、満足させるまでとことんやろうと思ったら、お金もかかるし、時間もかかるし、すごく大変です。

ただ、そういう事を続けていくうちに、親との関係に限らず、自然と人に差し入れを持って行くようになったり、自分から人に御用聞きをしてみたりと、「人のために何かさせてもらおう」という行為が身についてきたことに気がつきました。

考えてみると、それまで私は人のためにお金をかけて、時間をかけて尽くしたことなんて、好きな女の子が出来た時にしかやったことなかったんです。

自分の重い腰を上げて、自分の貴重な時間を使って、人を満足させよう、喜ばせよう、楽しませようと、行動を変えていく事は、簡単なことではありません。

いくら人のためにと行動しても、逆に文句を言われたり、疎まれることもあります。中々満足なんてしてもらえないんです。

ただ、こうして人に「してもらう」から、「してあげる」に切り替えて行く事こそが、親の姿により近い、人間的に成長した姿であると、今では思うようになりました。

そして、3つめは、手をついて挨拶するという事です。朝起きた時はおはようございます、寝る前には本日も一日ありがとうございました、おやすみなさい、と、座って、手をついて挨拶させて頂いたら、お前も毎日ご苦労様やなあと返して下さるようになってきました。

手をついて挨拶するということは、「人を立てて通る」ということだと思います。

ある時。家族で、ホットプレートで焼肉をしておりまして、父親が締めに焼きそばが食べたいな、と、ぽつんと言ったんであります。

その時焼きそばはありませんでしたので、家族皆で、やんわり止めるような形になったんです。

お父さんもういいよ、焼きそばはないよ、と。普段なら私も、やんわり止めるほうに回るんですが、その時ふと、その有名な先生の、「あんたの我を通すんやない」「親をとことん立てたら上手くいく」という言葉が、すとんと府に落ちまして、あ、なるほど、と思ったんです。

そして、これまでの私なら絶対にしないんですが、焼きそば買ってくるよ、と言って、食事の途中でしたが、原付で買いに行ったんです。

焼きそばを買いながら、私が思ったのは、確かに親はめちゃくちゃな事も言うんであります。だからと言って、こちらもまた、親のやることを差し止めてばかりだったんです。

それは普通じゃない、間違っていると、自分の我を通すばかりで、親が喜ぶようにする、親を満足させるということは、して来なかったんだなあと、ふと気が付いたんです。

我が強く、自分の意見を通すばかりでは、上手く行きません。

人に対して尽くし下手だから、魅力がなくて、中途半端に映るんです。

マッサージでもプレゼントでも、一度でいいから、相手が十分満足するまでやってみることが大切です。

自分の我を出すのは本当に必要な時だけにして、普段から人を立てて通ったら上手くいくのです。

親孝行を通して、もっともっと出し上手、尽くし上手になって、人を喜ばせる事を突き詰めていく事が大切だと感じました。

こうして、人を喜ばせるためには、「与える」ということが、必ず必要になってくるんです。

おやさまの通った50年間は、与え通しの道なんです。

最初の25年間は人に施しをして、自分がどれだけ貧乏になろうとも、与えきって通られた。そして人が段々集まるようになると、今度は病気を治す奇跡や、心の使い方についての知恵を与え、安心を与えました。

さらに生涯を通して、にこにこと笑顔で、前向きな言葉で周りを明るくさせ、人をねぎらい安心させて、明るく通られたんです。

決して後ろ向きな言葉で、陰気な顔して、嫌なことばかり言って、人の機嫌や明るさを奪って通られたのではないんですね。

この世では、「人に与えて喜ばせたら徳積み」

「人から奪って、辛い思いをさせたら、因縁積み」と聞かせて頂きます。

つまり、「奪う」事をなるべく避けて、「与える」という事を心がける事が、おやさまに教えてもらった生き方なんです。

では、与える、奪うとはどういうことかと言うと、

例えば表情は、しかめっ面と笑顔でいる事と、どちらが与えるということでしょうか。

多少つらい中でも笑顔でいれば、人に明るさを与える事が出来ます。いつもしかめっ面をしていては、人の機嫌を奪ってしまいます。

そして不機嫌な人と、上機嫌な人、どちらが「与えている」でしょうか。

不機嫌な人といると、それだけでしんどくなりますよね。上機嫌でいれば、人に笑顔と、明るさを与える事が出来ます。

出す言葉は前向きな言葉を出しましょう、嬉しい、ありがとう、感謝します、許します、愛しています、こういう言葉を出すと、人に安心を与え、喜びを与える事が出来ます。

なんかいい感じですね、顔が明るくなりましたね、と言われて、嫌がる人はいません。褒めることも与えることなんです。

意見を言う時も、いくら正論だと言っても、自分が思う事を主張してばかりでは、周りはしんどくなってしまいます。

本当に大切な時以外は、人の言うことをしっかり聞いて、ウンウン、そのとおりですね、素晴らしいですねと、人を立てて、

服装も明るく、きっちりとした格好をしていたら、周りが華やかになります。

こうして、何事も、与えること、喜ばせる事はどちらだろうかと意識して通れば良いんです。

逆に、いつも不機嫌で周りに気を使わせたり、自分の我を通すばかりで人に合わせる心遣いもない。自分が正しいからと言って正論を叩きつけたり、愚痴や悪口、冷たい言葉など、聞いた人が嫌な思いをする言葉を出してばかり。

こういう姿は、さっきと逆で、奪う姿なんです。

自分が正しいから、頑張っているからといっても、結果としては人の機嫌を奪って、明るく楽しい気持ちを奪って、不安な気持ちにさせてしまう事も事実です。

こうして、与えずに奪ってばかりでは、因縁を積む姿になってしまいますので、いくら頑張っていても、良いことをしていても、徳積みにはなりません。

私も、ここ二年くらいは、「与える」という事を意識して、通るようになりました。

こうしてお話をさせて頂いておりますが、私はもともと、本当に我が強い人間です。クセも強いんです。

それでも、なるべく笑顔で、上機嫌で、良いところを探して人を誉めて、

我を出して、人の機嫌を奪う事のないように、人を立てて、

腹の立つときももちろんありますが、神様が見せて下さっているんだ、ありがたいと思う努力をして、

そういうことを繰り返していたら、段々それが身に付いて、自然とできるようになってきました。

私は、何事も決めつけることなく、まず「やってみる」という事が大切だと考えています。

先程の親孝行とあわせて、色々な事を実践していますが、私の行動が変わってから、親子の関係が劇的に良くなって、会話がとても増え、親とぶつかる事が全くなくなりました。

不思議だったのは、親にマッサージをしていたら、嫁が私の真似をして、マッサージをしてくれる様になり、親を立てて喜ばせようとしていたら、嫁が私を立てたり、喜ぶことを探して与えてくれる様になってきました。

私の職場の人たちも、私が楽しませよう、喜ばせようとしたらしただけ、向こうも私を喜ばせよう、楽しませようとしてくれるという事に、気が付くようになりました。

教祖のお言葉に、「一つぶのたねが幾万の理になるともわからん」と教えて頂きますが、この世の中は、まいた種が生えて来るかのように、自分がやったことが返って来ると聞かせて頂きます。

さて、私が今日言いたいのは、何でも自分からなんです。人の悪口を言っても、人に厳しく当たっても、人は変わりません。自分が変わって初めて、相手が変わってくるということを、とても実感しております。

特に家族は、距離が近くて、ピッタリの姿なので、自分が変われば、家族もつられて変わります。

逆に言えば、家族で苦労する人は、自分が変わらないから、家族も変わらないのかもしれません。

まず自分から、人を喜ばす方向にぜひ変えていって頂きたいと思います。

今日お話させて頂きましたのは、親孝行の3つの実践、プレゼントにマッサージに手をついて挨拶、こういうことを通して、自分の身近な人を十分たっぷり満足させる、立てて通るという事。

そしてその中でも、与える方向に自分を変えていく。

言葉で、表情で、態度で、人に安心と喜びを与え、人を喜ばせたら、徳が詰めます。

こうして人に与え続けることで、自分の周りも、与えてくれる人ばかりに、変わっていくんです。

間違えても、不機嫌を出して、ぐちや泣き言、悪口、自分の話ばっかりして我を通して、こうして人から奪うばっかりでは、因縁の姿でありますから、周りも愚痴泣き言、そういう人ばかりになってしまいますよ、ということです。

どうぞ皆さんも、おやさまの人生を参考に、自分を与える方向に変えて、家族に尽くして通る事を実践して頂きたいと思います。

徳を積んで、人生を幸せな方向に、変えて行きましょう。

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