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わたしたちはきれいに死ねない

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2020年に発行した「女と女のエモい関係性」がテーマの百合短編小説集。完売から時間が経ったのでweb再録します。タイトルのイメージほど物騒ではない(はず)。関西弁の女の子多め。ふ…
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ひかりを孕む

ひかりを孕む

クリニックに行く朝、私は化粧をしない。元々朝が苦手で、だからこそ昼に出社する仕事に就いたのだ。なるべく朝は起きたくない。けれど、予約を受け付けない方針のクリニックは、診察時間前に並ばなくては待ち時間がかなり長くなる。電車の中は日が差していて暖かい。OL。高校生。一目でそうとわかる格好の彼女たちと比べると、季節外れのマスクで気休め程度に素顔を隠した私はとてもみじめに思える。着ているワンピースも、数年

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掌編集

掌編集


ゆめのあと

先生は作家になりたかったんよね? と彼女は言う。恥ずかしげもなく夢を語れたほんの数年前の私のこと、今もここにいる私のこと、そういうのを全部見ているくせに、何のためらいもなく過去形にしてしまえる彼女の青さ残酷さ、そのひとつひとつにいちいち折り合いをつけながら、大人として笑う私に彼女は続ける。

「先生、うちのこと書いてくれへんかな?」

何を? と尋ねると、何でもいいと言う。私の生徒

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ローリン・ガールズ

ローリン・ガールズ

「ここでしたか」

まだ五月だというのに、この土地はもう夏の盛りみたいに暑い。東京とは違う、どこか軽い風に制服の裾をはためかせ、彼女は重い扉の奥へと足を踏み入れた。班行動をとらない彼女を、咎めるものは誰もいない。
建物の中は薄暗く、奥の大きな水槽がゆらめく光を投げている。ここにあの子がいるという予感は、もう確信に変わっていた。

(また会えましたね)

巨大ないきものが、エメラルドグリーンの水槽を

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春は戻らない

春は戻らない

その日が来たら死のうって、そう思っていた瞬間はあっさりと訪れた。

「好きな人ができたの」

私が大切に大切に、世の中のいやなものから守ってきたはずの彼女はいつもの柔らかい笑い方でそう言った。奥二重でまつ毛がすごく長くて、笑うと黒目がちになる。私の大好きな表情で、可愛いこの子は世界の終わりを教えてくれる。

手を離したのは私のほうだった。あの子を守るだけの私をやめたくて、地元から離れた大学に進学を

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プリズム

プリズム

きょうが晴れていなければいいのにと願いながら、屋上までの薄暗い階段を上る。教室は一面が大きな窓になっているけれど、日焼けを嫌う子が多いから厚ぼったいカーテンはいつも閉ざされている。静まり返った授業中よりも、賑やかな昼休みの方が息苦しく感じてしまうのはどうしてだろう。そして、そんな教室から連れ出してくれる彼女が望んでいる通りの晴れ間を、私が期待できないのはどうしてだろう。今日が晴れていなければいいの

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はりがゆれる

はりがゆれる

私の可愛いひとは正直なので、私のどこが好き? などと腑抜けた質問をしようものなら「あたしのことが好きそうなところ」なんて言葉が容赦なく返ってくる。こういう言葉にいちいちシュンとしてしまうあたり、私にこのひとは荷が重いというか合わないのだろうとは思うのだけど、私は私でこのひとの顔かたちが気に入っているという理由で好いているのだから、ダメになるまでは頑張ると決めている。私は不正直なので、口に出しはしな

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さよならベイビー

さよならベイビー

「るうちゃん。ごきげんようって、言って?」

言いながら姉は、こころもち首を傾ける。玄関を開けてすぐ、目に飛び込んだ姉の姿に動じ、背負ったラケットバッグがちいさく跳ねた。高校を出てすぐに家を出た姉は、しばらく顔を見せない間にすこし肉づきがよくなっている。微笑んで高くなった頬が、光を抱いたようにほの明るく見える。こんなふうにして、恥じらいもせず百点の笑顔を見せられるのは、自分がきれいだと知っているか

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エスケイプ

エスケイプ

「誰か犯してくれへんかなぁ」

まりはそんなふうに言った。紙パックのレモンティーにさしたストローを噛みしめて。まりの隣では声の大きいグループが、スマホを眺めながら笑っている。私たちの教室は窓が大きくて、ふんだんに日が差すぶんものすごく暑い。クーラーの冷気も窓側ではほとんど意味がなくて、カーテンを閉じたまま窓を開けて風を通すから、さっきから何度もカーテンが翻る。それをじゃまそうに手で払いながら、それ

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