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その手に舵を握っているか

自分の人生の舵を握れと人は言う。

その通りだと、僕も思う。

このような啓蒙と言うか啓発のようなものが何故声高に叫ばれているのだろうか。

何となく理由はわかるのではないかと思う。

それは単純だが他人や世間に流され続けている人があまりにも多いと言う事だ。

このように書くと、「世の中で生きていくとはそう言う事だ」と言う人がいるが果たしてそうだろうか。

人に流されて、安心だとか安全だとかを信じ切ったが為に後悔したと言う人もいただろう。

安寧なんてものは他人や世間がどうこう言えるものではないのだ。

こんな偉そうな事を言っている自分も過去には流されている事自体には気がついていなかったが、結果的には流される事でしか生きられない人間になっていたのは事実だった。

恥を承知で書くが、僕は社会人になってから3年目ぐらいまではずっと何かに流され続けて来た。

会社の人だったり、友人だったり、家族だったりに自分の舵を任せてきてしまった。

意志とか興味とかそんなものは無く、とにかくどこにも角が立たないような行き方こそ平和で素晴らしいのだと本気で思っていた。

だから言われる事はそれなりにこなしていたし、周りからの評価は平々凡々だが悪くも無く良くも無く褒めるまではいかないが、注意するほどでもないみたいな存在だったと思う。

自分で言うのも何だが会社としては使いやすい社員の典型例だったのではないかと思う。

文句を言うわけでも無く、忠実に働くが、突出した成績を収めるわけでもないし、会社の中での野心みたいなものはないから昇進などを考慮する必要もない(周りには上の言う事を聞くだけで昇進していた人も多かったから、もしかすると昇進したく無くても、候補には上がっていたかもしれないが)。

ただ給料を渡していれば働いてくれる存在、少しだけ角度を変えて見れば奴隷だった。

よくよく考えると、わざわざ大変な思いをして就職活動して苦労して勝ち取ったのが奴隷の生き方だったと言うわけだ。

これが自分の舵を握らないと言う事である。

確かに会社にいる事で最低限に生きることはできたし、大学院まで出ている僕はかなり恵まれていたことは事実だと思う。

会社にいながらでも自分の舵をしっかりと握りしめて生きている人もたくさんいるが、過去の僕にはそれが理解できなかった。

途中で自分に起こっている異変に気がついて、ようやく僕も入社3年目にはじめて自分の舵を握った。

結局そこから2年ほどで会社は退職したが、今も舵を握り続けられていると思う。

今はひとりで文章を書く事が多いのだが、この生活では舵を握ることが当たり前なのだ。

僕にはこのぐらいの環境が心地良いのだと最近になってようやくわかってきた。

舵を握り続けることは大変だが、辛いとか苦しいとかそう言う類の脅威からは距離をとる事ができる。

もう一度確認して欲しい。

あなたの手には舵が握られているだろうか。

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