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僕に「上善水の如し」が教えたもの

上手くいっているはずだと思いながら生活していても、無性に辛くなる時がある。

あれはなぜなのだろうか。

理由は定かではないが、その特性はわかっている。

この辛さは長続きするものではなく、一時的なもので、波のように寄せて返してを繰り返すものだという事。

だから辛い時に思い切り休んだり、趣味に没頭したりする事が対処法になるのは、一時的に辛い状況から離脱して時を見てまた戻る事をしているのだ。

周期的なものだからこれも仕方が無いように思う。

理由のわからない辛さの波が足元まで来ているにも関わらず、根性でそれに抗える人もいるのは事実だし、そのような人は英雄のような凄みを持っているけれど、それは決して万人ができる芸当では無い。

自分を過信して根性で立ち続けた人の中には、波に足元を掬われて、そのまま海に引きずり込まれた人だっている。

だから辛さを感じた時には立ち止まって考え、一旦身を引く事の方が多くの人には重要だと思うのだ。

ここでは一旦身を引いているだけなので、完全に身を引くわけでは無い。

つまり元の位置まで戻れるという事なのだから、心配し過ぎる必要も無い。

波が来ない所でのびのびと羽根を伸ばして、時を見て戻れば良いだけである。

凡人が理由のわからない辛さに対してできることなんてこのぐらいだと思っている。

もちろん僕がその典型例である。

僕はサラリーマンとして忙殺されていた時も、のんびり仕事している今でも、この理由のわからない辛さだけは同じようにやってくる。

頻度は変化しているけれどやってくる。

僕は今ののんびり生活になってから最初に理由のわからない辛さの波が足元に来た時に一番驚いたのだ。

サラリーマンを辞めて比較的自由に暮らしていても、あの辛さはやってくるのか、と。

サラリーマンの時よりも気ままに暮らせているから明らかに生活の自由度は増しているし、それなりの環境で不満よりも満足感の方が多くなったのに。

そこで気がついたのは、きっとどんな生活をしていてもあの辛さはやって来るという事だった。

もうずっと辛さの理由を探しているけれど、どうしても形が掴めないのは相手が波だからなのだと思う。

波の形なんて一度も同じ時はないのだから。

だから僕にできる事は一旦身を引く事だけだ。

抗うのではなく、受け入れる事としよう。

そして波を起こすような海にはなれなくとも、自分も水のようにしなやかでありたいと思う。

「上善水の如し」という言葉が教えてくれるのは、そんな生き方もあるよという事なのかもしれない。

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