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個人の時代にどうしたら乗れるかアレコレ考える

ここ最近、友人らが立て続けに立身出世している。

・会社員だった女子が、いつのまにか社長をしており、そしていつのまにか議員になってたり 

・町おこしのために漫画や映画を企画すると言っていた男子がなにやら超一流映画制作企業の社長に会って本格的に話が進んでいたり

・これまた普通の会社員女子がイベントを主催し登壇する側になっていたり 
・・・・ 

うあぁ。眩しい。
なんだって自分はずっとおんなじ場所にいるのだ。

でも自問する。
果たして彼女彼らは本当に普通の会社員だったのか?
自分がそう思いたかっただけなのではないか?
会社員をやりながら様々に行動していたことが実を結んだ結果なのではないか?
自分は様々に種を撒いているのか?水をやっているのか?

あああ、
何もしていない。
ううう。
でも種はどこにあるのか?
どんな種をまきたいのか?
水はどうやって調達したらいい?
種にはどれだけ水をやったらいい?

と、またグルグルする。

もう何年も前から終身雇用制度なんて崩壊していて、
(いや終身雇用制度があったって、
別に特に望んでいないが)
個人の時代・個人の時代と言われている中、
組織に頼らず生きていく人はとても強くたくましい。

そんな人に物凄く憧れる。

会社をおこして社長になりたいとかではない、
ただ自分で稼ぐ力を持っている人に憧れがあり、
最近はいよいよそれが強固なものになってきた。

でもどうしたら1人で身を立てられる?
私には何の武器がある?何がしたい?

今は結構会社での仕事を真剣に取り組んでいて、
なかなかに人生の時間を注いでいるが、
はたしてそこを掘り続ければ泉は湧くのか?

私はそこを掘っていていいのか?
もっと掘るべき泉があるのではないか?

数年前までは、勉強・読書で安心していた。
自分は勉強しているから大丈夫、本を読んでいるから大丈夫。いつか実がなる。
土壌も種も作らず、肥料だけ溜めてるようなトンチンカンは私である。

それは過剰な期待な期待なのだ。目を覚ませ、と言いたいところだがしかし、他にすべきことが見つからない。

せめてこんな気持ちを言語化した方がマシなんではないだろうかという気持ちだけで書いている。

どうしたものやら。
この仕事の大航海時代。

私の想像では、
一生懸命生きていれば何らか社会問題や解決すべきことにぶち当たって、その問題意識によって、自ら仕事をなせることになっている。

なお、今そんな気配は一切ない。

何か突き動かされることに出会いたい。

でもやはりそれにはアンテナと感性の鋭さが必要なのだ。  

最近はどうも友人の活躍を見てもいられないくらい
気持ちが腐っているのでそこに芽が出ようもない。

がんばれわたし。
つまらんくだらん腐ったプライドを捨てて、議員の友人の成り行きを聞いてみようか。
せめて一人で考えているよりは有意義な時間が過ごせそうだ。

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